雪菜

  

雪菜と地産地消

「スローフード」という言葉は好きになれない。
だが日本各地に残る「伝統野菜」は素晴らしい。
もちろん作るのが「並大抵ではない」有機野菜も良いと思います。



しかしその「並大抵ではなく苦労しなきゃ作れない野菜」をね、何かこう「「ふわふあ」っとした「スローフード」って言葉がある方向性を持たせてしまって、特定のイメージを創りだしている気がするんですよ。

これはまぁ、「マスコミ」が介入しすぎた結果でしょうな。
日本のマスコミは「食文化」と「グルメブーム」の区別がついておりません。

何でもかんでも「軽い場所」へ引きずり下ろしてしまう。
自分達の「影響力」で天狗鼻になり、「大衆化」が使命だと己惚れてます。

行動の結果を掘り下げて考える事はない。
判断力や思考力が低すぎる。

その行動原理ってのは実は「商業主義」が本質なんだが、本人達はそれにまったく気がついておらん訳で、これは三大紙など大マスコミに顕著ですな。

早い話が「自分らを偉いと思い込んでしまってる」んですよ。
悲しいかな。

彼らマスコミが「商売人」の自覚を持てば、日本は少しだけマシになるでしょう。本来の姿「事実だけを国民に伝える」が理想だが、それはもう無理なんで。

商業的実利と結びついた「グルメブーム」
それを煽るしか能がないマスコミ陣。

この構図にゃ、もういい加減ウンザリです。
「スローフード」という造語もこの延長線上に位置してしまった。

結果的に「ほんもの(の食材)」という言葉がブランドになり、【「本物」の偽物】が跋扈する。

それにマスコミは気づかない。
気付かないどころか、【偽】を広める事に一番加担してるのもマスコミ。それが広まり、あまりの酷さに騒ぎになり始めると手のひらを返し「市民の味方」のフリをする。

元々「偽物を売る業者」を触発したのはマスコミの過剰さ(煽り方)にある。自らが生み育んだものを、都合が悪くなればバッサリ切り捨てて非難を浴びせる。

菅総理やヨソからノコノコやってきた大臣さんでもあるめぇに、なんてザマか。どうも日本人ってのは「裏切られる事」「騙される事」が大好きなんじゃねぇのかと、マゾっ気を疑いたくなってしまいます。

余計な話はこれくらいにしときましょう。
今の季節にふさわしい野菜の話でもしましょうかね。

雪菜

雪菜という呼び方は美しいと思います。この文字を見ただけで雪原とか雪に埋もれた畠、雪に埋もれた菜を連想します。日本人の郷愁をかきたてると言いましょうか、想像力を刺激するよい字面ですね。

雪菜とは何か

我々一般の関東人にとって雪菜とは「小松菜」を指します。
小松菜は雪菜の他「冬菜」「鶯菜」とも呼ばれる事があります。

もっと広義には冬から春にかけてが旬の菜全体で、雪国で育つ菜が雪菜です。しかしそれでは定義があまりに曖昧。なのでアブラナ科の青菜に絞れます。
それでも範囲が広すぎますので、「ツケナの仲間」としてもいいでしょう。

漬菜の仲間

☆畑菜とカブナ

古くは茎立菜類、水掛菜類、野沢菜、小松菜など。
京都伏見の「菜の花漬け」に使う菜花は「畑菜」の一種で「寒咲花菜」
※「菜の花」は早春に咲くアブラナ科全体の花を指す
カブナ群は根がわりと太くなり漬物にも適する。酢茎菜もこれ。

☆体菜

元は中国の大衆野菜でして「杓子菜」のこと。
チンゲンサイ、パクチョイなどはこれになる。
体菜に近いものに「菜心」があり、これは「とう立ち」が早い。

☆水菜

水菜は日本固有の種。
ハリハリ鍋に使う京菜(水菜)の他、壬生菜もある。

☆タアサイ

中国野菜。如月菜(タアサイ)、唐人菜(長崎ハクサイ)、縮緬ハクサイなど。

☆ハクサイ(結球しないもの)

山東菜(べか菜)、広島菜、大阪シロナなど。

これらの中で特に「雪菜」の名を冠するのが、「小松菜」の他、体菜の種で「長岡菜」になります。他に信州で自家栽培されている「信州の雪菜」もありますが、今日の記事で書きたいのはこの長岡菜の話。長岡菜は体菜の一種で、小松菜や野沢菜と自然に交雑して出来たツケナだと思われます。

なぜ長岡菜なのかと言えば、新潟県長岡市中島での栽培が多いからで、従って「中島菜」と呼ぶこともあります。しかし近年ではむしろ「仙台の雪菜」、それに「山形県米沢の雪菜」にお株を奪われた格好でして、「長岡菜」という名称自体が薄くなっております。

仙台の雪菜は雪の下での栽培をしていないようですから(仙台雪菜は霜に当てて甘さを出している様です)、実質的に「米沢の雪菜」が雪菜の名に最もふさわしいのではないでしょうか。

本当の意味で雪を被り育つのは、この米沢の雪菜だけです。雪により日光を遮断する軟白野菜で「とう」を食するものですから「青菜」ではありませんが。

米沢の雪菜、「かぶのとう」

米沢の雪菜の親が長岡菜なのか、それとも400年ほど昔、上杉鷹山公が越後から持ち込んで上長井遠山地区に根付かせた「遠山カブ」が祖先なのか。遠山カブの「とう(花茎)」を食していた事から古くは雪菜を「かぶのとう」と呼んでいたといいます。どうやらルーツはその両方であるらしい。

こうした伝統野菜を守り続けるのは難しい事です。戦後の日本は完全な工業国家の道を選び、食料自給率を下げ続けた。その結果荒れ果てた農地が日本全国で普通に見られる。

生き残った農業生産者は大型化し、野菜の顔も均一化した。確実に食材も「製品」と化しております。行く末は野菜も米も魚も肉も工場から供給される未来でしょう。

日本は伝統的に食料政策が無きに等しい。政治家の頭にあるのは「票」だけであり、国としての食料戦略など皆無。同様に役人の頭には「利権」しかなく、国家像など描けはしない。

そうした事情から「まっとうなモノ」を作ろうとする人達は道を妨害される。

「まとも」な事をしようとすれば迫害されるのだから不思議な話ですよ。まあ「牧場主」にしてみれば、「家畜」を従順に「しつけ」するのが当たり前ってわけなんでしょうな。

羊たちはおとなしいほうが、「稼ぎ」に専念しやすいって事です。
それに日本国民ほど「おとなしい羊」は珍しい部類でしょうなあ。

背景にそういうものがありますんで、日本の伝統野菜が歩んできた道は悲惨なモンが多いです。自然農法にしても日本ではなかなか根付かない。国民全員が「楽な道を選ぶ世界」で農家だけ例外なわきゃありませんからね。

しかし郷土食はまだ完全に滅びたわけではありません。
そのよい例が米沢の雪菜でしょう。

夏に蜜蜂で交配して種採り。
秋口に露地の畑にその種を蒔く。
冬になれば植え替えて床寄せをする。
厳冬の1~2月に雪を掘り返して収穫。
外側の大部分を取り除き、中心部分の白いトウだけにする。

これだけの苦労をして販売価格は数百円。
商売としちゃこんな事はやってられない。

だが郷土料理である「冷や汁」
(汁というより浸し物に近い)

それに「雪菜のふすべ漬け
こうした伝統の料理を守るためにも、そして自分たちの土地の野菜に誇りを持っているから出来ることでしょう。

※ふすべ漬け
雪菜を刻んであおる
しんなりしたら冷水へ
2%の天塩で仮漬け数時間
水があがったら混ぜて本漬け
密閉して数日置く

だが上記の通りこのような作物は量産が不可能に近い。
「ハゲタカ」が群れて「過熱」しない事を願うだけです。

こうした例は実は日本各地にあります。
自分が住んでいる周辺にも必ずこのような農家さんがいるはずです。

「野菜は産地で食べるもの」
それが基本です。
はしょらずに自分の周囲をよく調べてみるのが筋道だと思う次第です。

美味い野菜を


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