年末は包丁と蕎麦
年末独特のピリピリした板場の雰囲気に正月料理。だがそれも山場を越えて、あとはもう最終段階といったところです。正月の段取りもほぼ終えており、「盛り」に集中すればいい。
この二週間くらいの間使うばかりでロクに手入れしてやれなかった包丁を磨き上げるとしましょうかね。年内にやるから意味があると思っています。今年一年のお礼です。庖丁への。
指が真っ黒になるほど磨いたら、次は蕎麦です。
「丸抜き」に「玄そば」をどれだけ加えるか加えないか。迷うところです。秋にサンダーという電動工具(固いものを加工する電気ヤスリ)と石切刃、それに尖った石砕ハンマーを買ってきて「石臼」の手入れもしてあります。「あたり面」の「目立て」をしたり、「ふくみ」の調整ですな。
玄蕎麦は石臼でなきゃ香りが立ちません。他の製粉方法では熱が入ってしまいますからね。
もちろん「年越しそば」を作る準備です。
そば作りで一番大事なのは蕎麦の「元気度」を確認すること。それによって挽いたものをふるった更科粉(一番粉)と甘皮(そばにねばりを出す)の配合や中力粉を半分以上添加した二八蕎麦にするか判断しなきゃいけません。つなぎをどうするかは蕎麦次第。
夏場などは元気無いんで思い切りつながなきゃ話になりませんけどね。このところ良いモンが入ってますんで「生粉」で打ってます。
中力粉のねばりを借りれば上手に打つ若い者も、生粉となると「友つなぎ」や「湯ごね」までしか出来ませんので、おいらが自分で「水こね」します。香りが違ってきますし、年越しは細く長くしたいので結構難しいのですよ。
頑張って挽きたて打ちたての美味い蕎麦を皆に振舞うとします。
さて、2010年も今日で終わりですなぁ。1年は早い。今年最後の「ゴタク」でも書いてみましょうかね(笑)
サイト運営と飲食商売の不思議な交点
サイトを始めて既に4年が経過しております。バックサイトの『手前板前』というHPに記事を分けて2年ほど。
最初の頃は砕けたマルちゃん路線を真似した「馬鹿板前」って感じで軽いノリのブログにする思惑もあったんですけども、結局のところ「偏屈な性格」はどうにもなりませんので、徐々にうるせぇ事を書くようになり、「ああこりゃダメだわ。読む人はいなくなり、サイトもあと1年くらいで自然消滅だろうな」、この4年の大部分の期間おいらはずっとそう思っていました。ウルセェ説教など読みに来る人はいないはずですからね。
それが身に余る多数のアクセス。ありがたい事だと感謝しつつも、何故こうなったのか自分でよく分かっておりません。自己分析してみますとね、「マニアック」に陥らず、「初めての人」の目線を厳守してきたからではないかという気がします。
限られた仕事の合間の空き時間に記事を構成し続けておりますが、その大半は正直「ボツ」です。
「板前にしか分からぬ言葉」、「現実の自分に関係する料理」などは、書き上げた後でも気付き次第お蔵入りでアップすることはありません。
「素人には作れない料理」は紹介だけにして「レシピ」を付ける事はありませんし、このサイトを見ながら料理を作るという事を意図的にできないようにしております。
料理ってものはね、実際に自分で作ってみなきゃどうにもなりません。レシピなどより、「始めるきっかけ」の方が大事なんですよ。技巧よりもモチベなんです。
それは料理初心者の立場にならないと見えない。自分が何も出来ない頃、どういうものに興味を引かれていたか。その想像力がポイントじゃないでしょうか。板前目線であれば傲慢さが出てそれを忘れる。
つまりサイトのタイトル「手前板前」とは逆に、できるだけ「板前風」を吹かさないようにしてる訳です。庖丁にしろ板前料理にしろ、もしそれをやっていれば1年くらいで確実に一部のマニアが立ち寄るのみのサイトと化し、内容も先鋭化せざるを得ず、結果として更新もいつしか止まってしまい、「陸の孤島」のような有様になるはずです。流行を追い続ける虚しさと同じ事なんですよ。「最先端の店は古びて陳腐になるのが早い」です。
「作り方」は書いても、レシピはむしろ書かぬ方がよい。
作り始めればレシピは後から付いてくる。
育って欲しいと願うのは「想像力&創造力」なのですよ。
こうした考え方とか姿勢は現実の自分の在り方とほぼ同じですけども、インターネットで「現実の自分」、「その自分がやっている商売手法」を適用するのは「何か違う」と最初の段階で気付いていました。
これは一例ですが、この4年の間、「魚山人あて」、に実に多くのメールを頂いております。最初の頃は一通一通に必ず返事を書くようにしてましたが、今はほとんどの場合返事を書く事はありません。
量が増えすぎて物理的に対応する時間が無いというのもありますが、他人に質問等をしておきながらあとは知らぬ顔。これが多い。人に「時間」を使わせることの意味が分かっていないようですな。
時間は有限であり、大人の時間はどのような場合でも「有価値」なのです。その時間を無駄に使わせていることに想いを馳せる想像力が欠乏しておる様です。
これは自分が棲む世界では有り得ない話です。商売で生きる我々にこのような「礼儀」は常識外れで通用するものではない。ところがネットの世界ではそれが常識らしい。そうだとしてもおいらはそんな常識に付き合う気持などまったく無いんですよ。
「書き捨てコメ」などと区別が出来なくなっているのでしょうかね。
(まあそのような方は現実世界においても、公共の場等で他人に迷惑な行為をしても何も感じない自己本位な生き方をして恥じない人なんでしょうから、「ネットだから」って訳でもないのでしょうが)
どうもインターネットと言うのは「礼儀」や「常識」が少々異なった傾向にあるようです。「気軽」と「無礼」の区別がつかなくなり人の重みが消えつつある感じがします。またぞろ違う形での「軽佻浮薄」時代の再来でしょうかね。「子供の国」らしい話ではあります。
まあ兎も角そんなネットの世界でサイトを維持しなきゃいけない。中途半端で終わらせるのは嫌ですからね。
試行錯誤の過程で「衛星サイト」を作っては閉鎖というのを何度か繰り返しておりますが、これは「支店」を増やしてチェーン展開したいからではありません。結局は「本店」の柱を太くする為のチャレンジです。
「痒い場所に手が届く」そのようなサイトを目標にして空き時間の大部分を費やしております。そのためにシチ面倒臭いアフィリエイトの更新も続けています。自分で用意しきれない画像や、書き切れない情報がそのリンク先にあるからです。
何かしらの疑問や質問があればサイトの隅々までご覧になって欲しい。必ず答が見つかるはずです。今はまだ足りなくてもそういうサイトにして行くつもりです。それをせずにメールで質問してくるのは礼に反する行為だと思いますよ。
不思議なのはネットの「魚山人サイト」と、おいらの現実の商売手法がだんだんと似てくる事です。先に書いたようにネット世界は自分等が生きてる業界とは異質。なので想像を働かせてネットに合せた手法を創り出していく必要があり、それが楽しみでもあります(ラクじゃない事は楽しくなる性格なので)
ところが最初は地味にスタートして、偏屈なりにコツコツとやり続けているうちに少しずつお客さんが増えてくる。って部分とか、現実とかぶってしまうところが多いのです。不思議なものですなぁ。切り離そうとしてもある部分は同じになってしまうんです。
しかしまぁ、いつの時代でも「礼儀」のなんたるか、「人としての姿勢」のなんたるかを、絶対に理解できぬ方々というのは必ず存在します。
「そろそろブログ書きもやめる頃合かも知れないなぁ」
拡大を永遠に続ける事は無理だからです。無理強いすれば、いつか天井に突き当たり「内憂外患」に蝕まれるのは間違いないでしょう。「盛者必衰」ですね。舞台からはいつか降りなきゃいけないのですよ。
そんな考えが頭をよぎるようになった2010年の暮。年の瀬のクリスマスに、このブログを読んで下さっている佐賀県手作り豆冨と佐賀牛の店【水匠】の店主さんから嬉しいクリスマスプレゼントを頂戴致しました。
可愛いサンタに感激しました。ですがこの話にはまだ続きがあります。
プレゼントはおいらだけじゃなく、長年の読者である「鯔次郎氏」「たいら氏」宛てでもありました。が、その事はここに書いておりません。プレゼントの件はコメント欄に表示してありますが、その内容は書いていない。
なので先方にはおいらが代表して三人分のお礼を書いて来ました。しかし翌日にはたいらさん、鯔さんもお礼を書き込んでいる。もちろんですがおいらから二人に何か言った訳じゃありません。こんな予想をしてなかったからおいらが勝手に3人連名のお礼を書いた。
自発的にやっているんですよ。二人とも。
感じ入りましたねこれには。
これが「人としての姿勢」と「礼儀」なんですよ。
こういう読者を得る事ができた。
それだけでもブログを書いてきた意味は充分ある。
あらためてそう思いました。ブログもなかなかですわ。
飲食店のこれから
相変わらず景気低迷は長引き先が見えない時代が続いております。飲食店も例外に漏れず厳しい状況です。来年もさらに厳しさの度合いを増すでしょう。
今の状況を見て大型の飲食店の時代は急激に終わりに向かっている気がします。もう100名以上を飲み込む大型店舗に客を根こそぎ持って行かれる時代は終わりを告げました。特殊な立地にある例外を除いて、日本中の大型店のどこも「満席状態が続く」というのは、もはや過去。
お客さんそのものが変化しているんですよ。
大型量販店の致命的欠陥は「数字だけをみて、お客様を見ていないこと」です。
上から現場に向かって「売上をどうこう、原価率をどうこう、人件費を削れ」と喚いてばかりで、お客の姿、お客の視線や考え方をまったく知らない経営サイド。
個人店のみなさん、それと同じ轍を踏まないように注意して下さい。小型の店舗に客を呼び戻せるかどうかはそれの真似をしないことに尽きると思います。
だからといって繁盛店のやり方を模倣して駄目です。
「人がやっていることを真似しても無駄」なのです。
「お客は馬鹿ではない」からですよ。
冒頭に蕎麦打ちにの話を少し書いておりますが、
「手を抜かない」
それが「旨いもの」を作る唯一無二、たった一つの方法なんです。
今年もお世話になりました。
良い正月をお迎え下さいませ。