なぜ日本の海から魚が減少したのか

  

日本漁業の穫り尽くし体質

魚の減少と【ゆとりlife】の相関図

我が国は80年代あたりから(もう少し前からかも知れませんが)、「ゆとりを大切に」という言葉が民からも官からも喧伝されるようになりました。



それ以前は「所得倍増」「経済成長」「企業戦士」などという言葉が日本を席巻しておりました。まあ「働き蜂」、「仕事しすぎ」ってことでしょう。

当然ながら激烈な競争社会になりますので、子供たちは「つめこみ教育」や「落ちこぼれ」などの弊害が顕著化。企業による環境破壊や公害病が続出し、社会問題にもなる。

どうにか「人間」や「環境」に優しい社会を作れぬものか。
そんな声を背景にして、【ゆとり】という言葉が浮上したのでしょう。

もう一つの背景は日本が世界第二位の経済大国になったから。
自動車や精密機械でトップシェアを誇る企業が続出。
貿易黒字は揺るぎもなく、全世界が羨むほどの金持ち国に。

高くつく安全保障を引受てんのに、貿易赤字になってるアメリカは面白くない。そこで日本に圧力をかける。「もっと内需に目を向けてはどうか」

ようするに「ガツガツ稼いでばかりいる儲け主義が目に余るよ」と言いたいわけですな。(実際は当時も今もアメリカは世界一の経済大国であり、貿易赤字は日本のせいではなく米国自らの政策が大きな要因。これは現在の米中貿易問題もまったく同じ)

ま、日本って国は昔から外圧にとても弱い。
内部からの声(国民の声)はいとも簡単に無視するが、外ヅラだけは異常に気にする(現在の日中関係をみるべし)

で、国民の意見を「きいたふり」しつつ、ゆとり政策を言い出す。

まずは次世代を担う子供たちから。
ってんで、「ゆとり教育」が始まったわけです。

この【ゆとり政策】
典型的な「掛け声倒れ」
「言うだけで本気度はゼロ」 「やる気なし」

その欺瞞がどういう結果を招いたか。

最高学府の大学生に次のような者が続出
「単純な計算もできない」
「常識的な日本語さえ読み書きできない」

ようはね、海外に出て戦えるような「競争力のある若者」が減少しただけってことですな。この「ゆとりナントカ」で得をしたのは日教組とか労働組合だけでしょうかね。(関係はないが、消費増税に賛成しまくった連合の醜さ! こうなるともう喧嘩相手であるはずの経団連と同じ組織)

なぜこうなるのか?

それは【ゆとりの意味】を取り違えているからです。
ゆとりとは豊かさから生まれます。

が、その豊かさには条件があるのです。

それは、【持続性のある豊かさ】【循環性のある豊かさ】です。
つまり、「富がリサイクルされている」ってことです。

骨まで浸透した”三光”的な気質

日本人には「この豊かさ」が非常に欠けている。
例えば美しい富士山に誰でも魅力を感じますね。だがその富士山の美しさが「タダ」だと思っている人がとても多いのですよ。だから富士山に行ってゴミをまき散らして帰る。マナーが悪いとかそういう問題ではなく、「意識が欠落」しておるのです。

【次の世代のために残しておく】
この意識が見事なまでに欠落しているのです。

では、どういうものが「豊かさ」だと思っているのか。

昭和の初め頃、日本は大陸で戦争をしておりました。抵抗勢力のゲリラに手を焼いた日本軍は「燼滅掃討作戦」なるものを実行したと云われます。

これを『三光作戦』と呼ぶ人々がおります。
「奪い尽くす」 「焼き尽くす」 「殺し尽くす」 以て三光です。

焼け野原から這い上がった日本が戦後に目指した所得倍増計画は、洪水のような「輸出」にて達成されました。ダンピングすれすれの手法も使い、北米を中心とした全世界にモノを売りまくって高度経済成長を成し遂げた。その勢いたるや、少し異常な程であり、見方によっては【売り尽くし】

小さな島国でこのような離れ業をやってのけるには「裏側に犠牲」があればこそ。端的に言えば国民の【働き尽くし】です。

団塊世代から上の人達というのは人生のほぼ全てを仕事に捧げ、その代償に「仕事以外のことは何も出来ないし知らない」という人々が多数になった。まぁこの方々は犠牲者といえるかどうか疑問。何故なら充分な余生を暮らせる金銭的余裕があるからです。むしろその余波を受けて自動車も買えないビンボー若者の方が犠牲者かも知れませんな。

では内外の圧力で「内需」に目を向けた「ゆとり」の後はどうか。
結論から言えば【破壊し尽くし】です。

日本の人々にとって「内需」とはイコール【公共工事】

山を切り崩し、河川を、海浜を、コンクリートで固めること。
そして全国津々浦々にまで「画一的な街」を造り、必要性のない「公共的なハコモノ」を作り続けること。

こうした行いに共通しているのは、
やはり「次の世代のことを考えてない」ということですね。

例えば原子力発電。
「未来のための効率的な発電方法」
「リサイクル可能で環境的な発電」
今でもそう思い込んでいる人が多数。

確かに使用済み燃料棒を再使用すればリサイクルにみえる。
しかし、その後は?

使用済み燃料棒を燃やしても消えて無くなるわけじゃない。
永遠に増え続ける「核ゴミ」を、誰が、どうやって処理するのか?

それに答える関係者がまるでいないという異常さ。
答えようがないからですよ。

「知らん。未来の日本人がどうにかするだろうさ」
そんな本音は言えないので黙るしかない。


循環性のない豊かさゆえに【歯止めがかからない】のですな。
貧乏性だからか、全体主義に傾きやすいからなのか。
「ほどほど」で止めておくという発想ができない。

誰も見てなきゃゴミをポイ捨て。
絶滅寸前の山菜であろうが根こそぎひん抜いて来る。
小さな赤ちゃん魚が釣れてもリリースせずに殺してポイ。

日本の海から魚が消えつつあるのも、
そうした「気質」に根があるようです。

獲り尽くす

あるサイトにて非常に気になる記事をみました。
本質を突いた優れた内容であり、唸らされました。筆者は水産大手に務める、現場を知り抜いた水産業のプロであり、なので迫真性と信憑性も高い。

以下、抜粋引用して紹介いたします。

引用先
WEDGE Infinity(ウェッジ) 日本の漁業は崖っぷち

 日本は将来、「買負け」よりも深刻な事態に直面する

世界の水産物需要の増加で、他の国々と競合するようになって来たのです。すでに日本の輸入数量は01年の380万トンがピークで年々減少しているのです

輸入数量が減少すること自体は仕方がないことだと思いますが、これに加え、水揚げが減少している現実が続くと近い将来、どのようなことが起きてくるのか? ということです

以上は
「獲れない、売れない、安い」
深刻な事態に直面する日本の漁業

より

あくまでも抜粋であり全文ではありません。ぜひリンク先の全文を読んでみて下さい。

片野氏の冷静な、かつ本質を捉えた文章は非常に分かりやく、慧眼に感心しますよ。日本の現状を憂う気持ちもよく出ていると思います。

ノルウェー漁船の画像はぜひ見て頂きたく、リンクを張らせてもらいました。なぜならここに「豊かさ」の意味があるからです。

ノルウェー人は「持続する豊かさ」を知っており。実行している。
反面、人間が「人間らしく扱われぬ豊かさ」とは何か? という事です。

漁業だけじゃありませんよ。農業も似たようなモンです。
そして一般の勤め人だって同じこと。

「奪い尽くすだけ」で、「育てる」という思想がないからです。

倭の国 和国 と言いながら全然「輪」「環」が無い。
誰も彼も「目の前のモチ」だけが欲しくて動く。
他人のことはどうでもよく、循環など気にしない我欲のみ。

国は北欧のように「国民の将来を保証する」気もなし。
「先のことは何も考えていない」と言っていいんじゃないでしょうか。

片野氏は「育てる水産」にシフトすれば間に合うと期待も寄せており、漁業の再生にも望みを持っておられるようですが、残念ながら期待はずれになる気がします。

日本の政治家と役人は、今この瞬間も魔法使いのように同じ呪文を繰り返すしか能がない。
その呪文とは【経済成長】【経済発展】

経済成長が悪い事とは言いません。
ただし、「国民のための経済成長」であればです。

大企業と役所だけが発展を続ける国に、何の未来があるんです?

真に「成長」を願うなら、現在目指すべき方向は一つ。
「サイズダウン」です。

手に負えなくなるまで肥大する前に、身の丈に合った姿になること。
富が全身をめぐる血流のように隅々まで行き渡るシステム。

アメリカばかり見てないで、少しは北欧やスイスから学べ、です。

それ以前にね、
少しくらい「将来の日本人のことを真剣に考えること」
つまり子供たちが大人になった時の姿を想像できるようになれって話。


「ゆとりlife」の正体。
それは「余裕のない人間を大量生産する仕組み」だったのでしょうか。

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