先輩板と本焼包丁
板前稼業に入ってこのかた、先輩にだけは恵まれてたと思います。
「先輩運が良かった」ということになりましょうか。
もっとも、おいらは「運」なんてものはないという考えですけどね。
【あらゆる場面で無数の「無意識的選択」を繰り返した結果】
それを人は「運」だと言っている気がします。
まぁ要するに「自分自身で招き寄せている」って意味ですな。不可抗力による外的要因って例外はあるにせよ、です。
「生きる姿勢が磁力を発する」
そう思うんですよ。
仕事も同じです。
その磁力が「磁界」を作り出し、「良い仕事」を吸い寄せます。その磁力こそが「仕事のスジ」だと自分は思います。
先輩板前
昔の板前ってのはね、そりゃ~もうイカレた野郎が多かったもんです。今のように無個性な時代じゃありませんので、人の性格も極端なんですよ。
仕事の出来る出来ないも差が激しくて、出来る人ってのはもう人間のレベルを超えてたりしますけども、出来ない奴ってのは掛け値なし、正真正銘のアホなんです。
だけど、そういう阿呆は分かりやすくて可愛い部類。たとえ仕事がトロくても何かしら長所があるし、根性は悪くない。
問題は「性根が曲がった奴」でしてね、これがタチ悪いんですよ。そしてまた多いんですわ。板前の世界にこのタイプが。
狭い空間で一日中ツラを突き合わせてる仕事です。朝から晩まで毎日、そうやってる。下手すりゃ寝る場所まで一緒。
これが意味するものは、「兄さんに嫌われたらやっていけない」です。
つまり、先輩に睨まれたら終わりってこと。
小さいながらも板場だって競争社会。誰でもが調理長になれるわけじゃありません。才能のある者だけが上にあがり、大多数はそうならない。
兄さんたちの多くはその「大多数」
なので性根が歪んでしまう者が出るのでしょう。
それをバネに励む者もいるし、良い人だっておりますので、生まれつきの性格とか環境などもあるとは思いますが。
で、新人をいじめて鬱憤を晴らす。近年ハヤリの「イジメ」なんてのは比べ物になりませんよ。
その凄まじさに比べれば昨今の「パワハラ」なんぞママゴトに等しい。
包丁の背や鍋でぶん殴られるとかはまだいいほう。厄介なのは陰湿な嫌がらせの方ですな。包丁にこっそりと酢をぶっかけられて翌日は錆だらけとかね。
その他キリがないほどアレコレやられる。
(現在はもうこんな板はいないと思います。というか存在できません)
何度か記事に書いてますように、おいらは一人の親方に師事し、他の人の下についた経験はありません。
祖父のような年齢の親方の指図で各地の店に出されはしましたが、流れ板という訳ではなく、「出張」とか「派遣」に近いニュアンスです。なので地方の店に働きに行っても「応援」または「客分」のような感じです。
なので、そういうタチの悪い「シゴキ」は目撃するのみ。おいら自身はそういうひどい目にあった経験はありません。
もっとも、相手が誰であれ黙っていじめられる気はサラサラありませんが。それなりに「ハラ」を括ってなきゃ、ダボシャツ1枚で旅なんぞ出来ません。
そんなおいらにとっての「先輩」とは、もちろん親方の店にいた兄さん連中になりますが、範囲がもう少し広くなります。親方にも親方がいたわけで、そのときの兄弟弟子なんかがいたりします。ある意味で親方が属していた「世界」に関係のある人達全部がファミリーと言えますので「親戚」は存外多い。
そういう感じですので、「こちらから先輩を選べた」んですよ。好きな人の店には足繁く通うも、そうじゃない人の所には行かない。
親方のおかげで、そんな「押しかけ後輩」が可能だったわけです。板場の作業をのぞかせてもらえるだけで勉強になりますからね。
様々なタイプの先輩がおりました。
名が売れて有名になってしまった人も少なくありません。
また、今は料理と関係のない仕事をしてる方もいらっしゃる。
そうしたなかで面白い先輩がいました。良家のボンボンで、有数の一流校を出てながら料理の世界に。
昔の仕事をよく研究する方で、めったに人を褒めないウチの偏屈親方が「あいつはスジがいい」って言うほどの職人気質を持った板前でした。
元々頭脳明晰ですし、仕事熱心なのでたちまち名をあげます。その時期から親方の偏屈が伝染(おいらの生まれつきかも知れませんが 笑)していた自分としては、「有名」というだけで抵抗感があり、初めて先輩の店を訪ねたのはかなり後のことになります。かなり後とは言っても、当時まだ自分は「若手」の部類でしたけどね。年齢的に。
親方の命令で所用を兼ねて訪問しました。
挨拶を交わし、弟子達に紹介してもらいつつ板場を覘く。板場を一瞥しただけで「筋が良い」の意味が分かりました。非常に清潔で整然とした調理場。ゴミ一つ落ちていない。
あちこちに汚れが染み込んで、ストーブや作業台の下からは異臭。まな板の隅には魚の頭がゴロリ、メン玉がこちらを見てる(オーバーか 笑) そのような調理場で仕事を続ければ「筋」もへったくれもない。
そんなのは結局のところ「責任者の姿勢」なんです。つまり親方がどんな仕事をする人なのかってこと。
自分が率先して丁寧な掃除をする人間でないと、下の連中も自然と雑になるものなんですよ。
自分は何もしないで、口喧しくてガミガミ怒る親であっても似たような結果になる。そんな頭の下では、見てるときだけ動き、見てなきゃ手を抜く弟子だらけになりますな。
トップが自分で流し台の下まで腰を低くしてタワシ磨きするような人なら部下達も「自分の意思で」隅から隅まで掃除するようになります。
それが意味するもの。
「掃除と整理整頓が見事に出来る人々が料理で手を抜くわけがない」
つまり、「訪問して良かった」「来た甲斐があった」
自分はそう感じたってわけです。板場を見ただけで。
ざっと調理場をみせてもらった後、事務所で世間話になりました。
「君は握力はどうだい。強い方かい?」
「はい」
「小さい時から学生時代を通してスポーツしてましたから」
「腕相撲もクラス単位なら負けたことないです」
「じゃあ、僕と腕相撲してみよう」
で、初対面でいきなりアームレスリング。
いい勝負でしたが、おいらの負け。
この人は強すぎ。
「君は相当なもんだね。でも僕は柔道歴20年だから・・・」
ぶっとい猪首に盛り上がった肩、塊キャベツの様に潰れた耳。半端じゃない高段者で、おそらく道場を構えられる段位でしょう。
「はい。見たら分かります」
「板前としてまともな仕事を目指すなら握力をもっと鍛えるといいね」
「いいものを君にあげよう」
そう言って差し出してくれたのは硬式テニスボール。
「足し算は難しい。1しかないものを10にするのはね」
「でも、10を5にする引き算はとても簡単ですよ」
「包丁にそれを教えてもらいなさい」
「ありがとうございます!」
「職人の意味」を教えてもらったような気持ちになりました。それからというもの、通勤時を始め手の空く時間帯にはいつでもボールをグニグニ。鬼のように握力を強くしようという魂胆です(笑)
数年後、その先輩を訪ねた時のこと。
「こんにちは、先輩」
「こないだ出された新しい本、買って来ました」
「著者の直筆サインを下さい。かっこいい奴(笑)」
「なんだ、買ってくれたのか」
「電話くれれば贈ってあげたのに(笑)」
「お礼をしなきゃいけないと思ってたんだよ」
「本当に助かりました。ありがとう」
先輩の身内が店を新規にオープンさせ、そのお手伝い。プロデュースは大げさですが、こうした事はよくあります。
「お礼なんてとんでもないですよ」
「ちゃんと料金は頂いてますんで、お礼はこちらの方です」
暫く話をし、お暇しようと席を立ったとき、
「これを持って行ってくれないか」
そう手渡されたのは一本の包丁。
「たいした物じゃないんですが、水焼きです」
「もう腕相撲では君に勝てない(笑)」
「君ならこの包丁をちゃんと使ってくれるから惜しくない」
はからずもその包丁は先輩の形見になりました。平成の世になって暫く後、亡くなってしまったからです。まだまだこれからって年齢でしたので非常に残念です。
包丁使いの極意・先輩がくれた財産
包丁の理想は鋭い切れ味。つまり「力を入れなくても切れる」ような奴です。
徹底的に研ぎあげた刃先を使う。そうすれば無駄な力は必要がありません。
だからこそ女性であっても魚をさばく板前になれます。
そのコツは肩の力を抜くこと。
これは「刃に仕事をさせる」いわば1を10にする技法です。つまり足し算。あるいは掛け算。
だが、包丁にはもうひとつの側面があります。
それは「重さや厚みに仕事をさせる」という部分。
厚みや長さのある和包丁にはそれなりの意味がある。その意味を理解して特長を利用する。
これは「引き算」になり、コツはやはり肩に無用な力を入れないです。
両者ともに肩の力を抜くのは同じ。
そのために重要になるのが手首と「握力」なのです。
刃物は「重心」を支える力が確かであるほどに能力を発揮する。「支点」だとイメージすれば分かりやすい。
例えばジャックナイフの支点になる留め金が安っぽい針金細工なら信用できません。しっかりした鋼で固定されるから何かを刺しても自分の指を切らないですむのです。
包丁の支点が針金細工か鋼かを決めるのは「握力」なのです。
握力が25キロしかない人でも筋が良ければ包丁を自在にこなす。しかし25キロよりも60キロの方が良いに決まっている。前者は後者になれないが、後者はいつでも前者になれるからです。
さて、下準備もできたようです。
段取りはまぁまぁ。あとは仕上げです。
仕事でもしましょうかね。
久しく使っていない、先輩から頂いた包丁で。