包丁を持つ手。板前の晩年

  

木枯しに吹かれて

これはおいらの右手です。



掌の甲側に筋肉(母指球筋?)があるのは、
白身の刺身を一気に引く為です。

握力はおそらく常人の倍くらいありますが、醜い。
傷だらけです。

傷が、目に見えぬのを含めれば数百あるはずです。
その8割は庖丁傷です。
ですので左手はこの倍くらい傷があると思います。

関節の部分は擦れてタコだらけ。
とても汚い、おっさんの手です。
だけど庖丁を持つために特化した手だと思ってます。
反対側の先の方には庖丁ダコ。
数えきれない数の魚を庖丁で捌いてきました。

真冬の京都で氷を張った塩水の「明石樽」に突っ込んだ手。
外洋のマグロ船で巨大なマグロやサメを捌いた手。
鱧の歯に引っ掛けた事もあれば、牡蠣の殻にぶつけた事もあります。

もちろんコイツで人をぶん殴ったこともあります。

だからって粗雑なだけはありませんよ。
鉄の盛り箸で豆腐の破片をつかみ、胡麻粒をはさむ。

女性の髪には羽のように優しく触れる事もできます。
だからカミサンを口説いて落とす事ができました(笑)

自分の手を眺めてますと、
色々な事が走馬灯の様に脳裏に浮かびますねぇ。

おいらはね、『真面目』でした。今となっては信じられないかも知れませんが本当です(笑)ガムシャラに仕事をし、遊びも真面目に遊んだ。

若い時は気の短さが災いし、際どい経験を重ねたこともあります。しかし危ないところで「生真面目さ」がおいらを救ってくれました。

もしそれが無ければ、良くてさすらいの流れ板、悪ければ職を失い宿無しの運命だったかも知れません。ともかく今の自分は無かったでしょう。

木枯しが吹く時期になりますと、家の明かりが恋しくなるものです。早く暖かな部屋に戻りたい気持が家路への道を足早にします。

だが、もし帰る家が無かったら?
そいつは普通の人間には想像がつかないと思います。

しかしおいらは生来の旅人。国内で行ってない県はないし、旅券のスタンプがうざってぇくらい海外にも出ています。旅先ではトラブルが日常。うまく宿がとれない事もあるし、そもそも野外に寝る事を前提に行く場所も少なくありません。

帰るべき場所がないという寂しさは容易に想像できます。言葉に尽くせぬ無力感が腹の底から湧き上るもんですよ。冬ともなれば寂しさに加えて生命の危険さえも襲ってくる。

そんな寂しい残念な板前人生を送った先輩板前の話を書きます。

庖丁の魔人

昔ね、先輩で恐ろしいくらい仕事のできる板前がおりました。

その庖丁技術は真似ができる水準ではなく、極めて特殊なものであり、その後現在まであのレベルの技を持っている板前を見た事も聞いた事もありません。

高名な先生方でも無理でしょう。

おいら達小僧は陰で「あの人は人間じゃねぇ」と噂したもんです。

残念ながら後輩板前の面倒をみるタイプではなく、ろくに話す事は無かったし、教えを請う機会などゼロでした。もっとも昔の板前は他人に教える事などしないのが普通でしたけどね。

ところが1年目くらいにその先輩が突然おいらにこう言いました。
「おめぇは見所がある。今から先、分からない事は俺に聞け」

それからこの板さんと急接近することになり、仕事だけじゃなく飲みに行ったり家を訪ねて泊めてもらったり。

しかし有頂天も束の間。それから半年くらい後、その先輩は親方ともめてしまい、プイと店をあがってしまいます。

そして移って行った新しい店でもトラブル続き。
さらにどこの店に行っても、半年、三ヶ月、数週間、ひどい場合にはその日でやめるって有様。

気がつけばいつの間にか部屋(調理士会)に所属してる。だが徐々に会でも仕事を回してもらえなくなり、流れ板として地方へ。

今のように携帯電話のある時代じゃありません。三年もしたら完全に音信不通でどこに居るのか誰も知らぬ。

それからどのくらい経ったでしょうか。自分の店に力を入れていた時期、昔の板前仲間からその人の消息を聞きました。
「銀座でゴミ箱を漁っていたのを見た」

ほっておく気になれないおいらは、あの界隈の、その世界の顔役を訪ねて、率直に事情を話して捜すのを依頼しました。プーの親分は「浮浪者になったそいつが今のアンタに会いたがるかどうかは保証できない」と言いながら一応引き受けてくれました。

暫くして、おいらは一升瓶をさげて隅田川へ向かいました。

顔の表情筋を失ったようなツラをした先輩は、突然声をかけても別に驚きもしませんでした。

挨拶はなし。
いきなり、
「奥さんは今でもアンタを捜してます」
「戻る気があるんならおいらが手を打ちます」
「アンタにゃ教えてもらってない事が沢山ある」
「頼むから戻ってください」

返事はなし。
暫くして一言。
「俺はゴミだ。もう帰れ」
「二度とここには来るな」

その後もう1度訪ねた時には会えず。
東京を後にしたのでしょう。

それきりです。

この経緯は考えた末、奥さんには言ってません。
言えるもんですかってんだ。

あれほどの人間にいったい何があったのか。
そう考えることもありますが、それは無駄な事です。
天才には天才の苦痛がある。
他人には絶対分からぬ苦痛です。

社会人としての常識的能力を犠牲にしてこその天才的庖丁技術だったのでしょう。

本物の天才は「何でもそつなくこなせる」というものではない。他の事がダメだから一つの分野が飛びぬけているんです。

自分の手を見た後、目をつぶって先輩の手を思い出そうとします。
だが思い出せません。
意外と細く華奢な指だった記憶があるが定かではない。

木枯しの吹く寒い夕方。
あの人はどんな気持で暗く重い夜を待ったのか。

「自分の人生はなんだったのか」
そう自問自答せずに眠りに落ちる事はなかったでしょう。

おいらがこの手であと何年くらい庖丁を握ってられるのか、それは分かりません。だがどうしてもあの人のレベルまでは到達できないと思います。

先輩の生き様から学んだのはね、「何かを犠牲にせず、何かを得る事はできない」って事です。人生の全てを捨てればあるいは「庖丁神の領域」を覘くことができるかもしれません。

でもね、それがどうしたってんです。
愛する人達を泣かせて不幸にしてまでそんなモンを見たくない。

料理の「初歩」と「究極」は同じです。
それは《好きな人のために作った料理》なんですよ。

それを失えばね、
庖丁人としてはともかく、「人として」は終わり。

ゴツゴツしてても優しい手。
これを死ぬまで維持していこうかな。
窓から木枯しを眺め、そんな事を感じました。


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