九州に帰っています。
寄り道ばかりしているようだし
近道しているようでもある。
そんな時間を過ごしています。
東京の従業員と話をしていて一番感じるのは、結果を出すことを優先するあまり、規律がなくなってしまっていることです。
お客さんの残した食べ物を食べたり、
ユニフォーム姿で客席に座ってみたり、
友達とくっちゃべってみたり・・・・・・
これは何も東京に限ったことじゃありませんが、価値観の違い、男の美学の違い、自分の背中を誰にどう見せたいのかの違い。
その違いを、少しずつ、少しずつ形にして変えていかなきゃいけません。
そのためにはもっとチカラを付けなくちゃならない。
世の中を変えたいならば、優しいだけじゃ何も変わらない。
でも、優しさこそがその原動力だとも思っています。
価値観の違う人間を同じ方向に向かせる難しさ。
逃げるでも、立ち向かうでもない、3次元の方向を模索しています。
Posted by ゆうじ at 2011年11月27日 01:52
お疲れ様です。
筆が重い気持ち。よくわかる。更新がなかなか進まなくっても 爺にゎこのての
メッセージを提供し続けていただきたい。そんために俺達が何か出来る範囲内なら協力ゎ惜しまないよ。実際ゎな-んにも出来ネェかもしんネェけど。
に
してもダ!←(ソフトバンク川崎ノリ)(笑)
カックイ過ぎだぜ!今日の爺ゎ!
【メヒカリ】
鮨板にゎあんまし縁のネェ魚だが 俺にゎ福島繋がりで縁のある魚。
【揚げ】も鮨板にゎ縁遠いが メヒカリにゎ[揚げ]が合う。不思議と揚げ物にすっと
この魚の持つ脂感が消え
良質な淡泊な身であることがわかりますよね。
しっかしよ爺。
最近のガキンチョから
「キラキラ感」が消えてると感じネェか?
子鯔1号の卒部式ッツーかな
ようするに3年生サヨナライベントみたいのが先日あってよ
朝と休憩時間にだけ顔出ししたんすが 確かに中3ッチャ気持ち悪くなる時期だが
暗-い表情の子が多い。
キラキラしてたのゎ我がバカ息子と小学生時代ゎ敵チームだったにもかかわらず 何故か[恋人同士?]みたいに試合のたんびにコミュニケーションを取る二人だけだった。
そいつがエースで1号ゎオールマイティカード。よするに1号ゎ全てに於いてハンパ者(笑)
和食ゎ包丁と器。
子育ても包丁と器なんだよ。
【包丁】←に感しちゃ無駄でもイイんさ。とにかく食材を愛すること。子供も一緒。これをしない親御さんが多い。やたらめったに塾だの予備校だの…子供の放つキラキラを奪っている。し!奪っていることに気付いてネェ。
【器】←環境だね。一言で言うなら。
自然溢れる場所が一番さ。
器も大自然から恵みをいただき現形容を成してるはずだ。 不自然なんだな。親の引いたレールが。
勉強すんのゎ悪いこっちゃネェ。
が!
【食】←ヒドイでしょ?
特に[明るくない子供]に悩むお母さん方。アンタら普段さ何食わしてる?愛犬に…
いや!愛息や愛娘に!
流行りの精製された炭水化物に科学調味料でしょう?
オマケにオヤツゎスナック菓子で 人間(日本人)が まともに育つ訳ネェダロ!
そのうち鬱になり
老々介護ならぬ老若介護になんのゎ必然。
だって当然の結末だもの。
爺がコサエタ メヒカリの南蛮のスッゲーとこゎ メヒカリの腹鰭以前を落としてること。一口サイズもイイが とにかく[頭]ゎ落とす。←包丁だね。
俺 南蛮漬けゎしたことネェが メヒカリをガキらに食わす時ゎ必ず頭を落とす。
だって せっかくの良質なタンパク源だもの。
嫌いになられちゃタマンネェからな。
栄養も料理に不可欠。
お願いだからチェーン店の惣菜やインスタント食 もしくゎ加工された食品。出来るだけ子供達にゎ与えないで欲しい。大人なら 良質なタンパク源を積極的に摂取すること。
良質なタンパク源とゎ。?
加工されてネェ魚やヨツアシ動物&鯨や海豚。大豆だけジャ賄いきれネェ栄養素ゎ仕方ネェ動物サンから いただきませ。
さすが爺。
素晴らしい記事だよ
深い。
…とまぁ こんクレェにして
返事コメ待つゎ。
もしかしたら勘違い野郎の恐れあっから俺(笑)
オヤスミナサイ。
Posted by 鯔次郎 at 2011年11月27日 02:04
ゆうじさん。
時々九州に帰るのは賛成ですよ。
東京は異常な場。例えるなら宇宙空間やICUみたいないモン。
長く居続ける所ではない。
「染まる」し、その結果「見えなくなる」からね。
外からしか見えないものは多い。
大事なのはアンタが「ゆうじ」であり続けることだ。
そこに光明があると思います。
Posted by 魚山人 at 2011年11月27日 07:32
鯔さん。
子供たちの目。
「ギラギラがねぇ」これは長年、おいらの口癖でね、時々記事に書いている。
もはや輝きがないというレベルではない。「老人の目」だよ。
その理由はいくら書いても書きれないし、論じきれないだろう。
だが一言で表現すれば、こうなる。
【豊かさの追求方法を間違えている】
豊かになろうと努力するのは間違っていない。
だがその方法を間違えて、道を踏み外しているのだよ。
これは世界的な傾向だ、日本だけじゃなくね。
日本人はおよそ40~50年で輝きを失くした目を常態化した。
中国は僅か20~30年でそうなっている。
おいらは30年前の中国の人の顔と目を憶えているよ。
【豊かさとは何か】
人間は今世紀中に、これを問われる事になるだろう。
おそらく「否応なし」にね。
Posted by 魚山人 at 2011年11月27日 07:34
メヒカリ懐かしい魚です。
30年以上前、前職時代数年間毎月いわきに仕事で行っていました。
そこではじめて、メヒカリの唐揚げや干物を食べて好きになりました。
最近は刺身でも食べられるようになっているようですが、数度食べてわざわざ刺身で食べる程のものではないように感じました。
最近の何でも刺身という風潮あまり好きではありません。
いつもながら魚山人さんの美味しく食べやすいようにという心遣いすばらしいです。
少しでもそう心がけて作れるようになりたいものです。^^;)
「人の基本は食事」同感です。
同じくふれあい、コミュニケーションも”基本”だと思いますがどれもなおざりにされた世の中になっています。
せめて地域社会が無くなってしまった今、家族、友人、”会社”だけでもと思います。
会社人間はリタイアしたらどうなることか、とりあえず2年ほど執行猶予になってしまいました。(笑
「人の基本は食事」まったくそのとおりです。が、”食育”という言葉、それを唱えている人々に胡散臭いものを感じる人が結構います。
人の世は難しいですね。(笑
Posted by 庄助 at 2011年11月29日 12:04
鯔さん。
ここは「Mixi」でも「2ちゃんねる」でもない。
「個人」の事をあげつらっているコメントはその時点でボツ。
公開も非公開もなく、その場で削除してます。
Posted by 魚山人 at 2011年11月29日 13:53
こんにちは、庄助さん。
”食育”を一種の「ステイタス」にしてしまう傾向は愚かなものです。
食育とは「金の力」ではなく、「自分の手を動かす力」
それがつまり「ひと手間」の意味ですね。
>少しでもそう心がけて作れるようになりたいものです
庄助さんのサイトを拝見してる限り、それは既に出来てると思いますが(笑)
Posted by 魚山人 at 2011年11月29日 13:54
トロボッチの南蛮
駿河湾の深海魚
赤甘鯛(グジ)狙いで船を出すと、外道に【ヒメ】という魚が掛かることがあります。別名の「オキハゼ/トラハゼ」の方が分かりやすいかも知れません。この魚はヒメ目という分類。この目の傘下にはヒメ科の他に【エソ科】の魚がいます。「マエソ」「クロエソ」などですな。細くてワカサギ体型だが少し大きくなる。なにやら爬虫類を思わせる外見から「ワニエソ」「トカゲエソ」という奴もいます。
その親戚(※)で深海型にヒメ目アオメエソ科の魚がおります。
これがアオメエソですな。
生息域は水深200~300メートルの大陸棚斜面。
つまり深い駿河湾などが漁場って事です。
※人間による学術的分類であり、魚同士が親戚かどうか知りません(笑)
近縁種に『マルアオメエソ』という奴がおりますが、これは同じ太平洋岸でも関東より北に生息します。 ややアオメエソより小さく目が大きい。なので【メヒカリ】と呼ばれます。メヒカリは福島県いわき市が力を入れている魚ですね。
しかしアオメエソとマルアオメエソは特に区別しません。
両方とも【メヒカリ】の名で流通してます。
このアオメエソ、沼津あたりでは【トロボッチ】と呼ばれてます。
戸田温泉のある駿河湾の戸田漁港は冬場に深海魚が水揚げされます。それでこの魚も、この季節に市場に出てくるようになります。
金目ほどではないにしろ、小さいのに脂があります。で新鮮なものは刺身になりますが、深海魚特有の身質は揚げ物向き。天ぷら、唐揚が向いています。水分を抜けば、つまり干物にすれば他の魚同様旨みが増します。
料理は心遣い
和食はね、「包丁」と「器」で決まります。
それは、ほんの少しだけ余分に「心を込める」って意味です。
天ぷらよりも油を吸わない空揚げ。
揚げ方もできるだけ油を吸わないやり方。
揚げたらきちんと油を切る。
何故か。
「食べる人のために」です。
現代人はただでさえ脂の摂り過ぎ。
出来る限り揚げ物は出したくない。
だが揚という調理でしか決まらない料理もある。
だから細心の注意を払って作るのです。
加えて、【食べやすくする】
そして【箸を出しやすい盛り付け方をする】
上のメヒカリの南蛮漬けは「ひと口サイズ」にしてあります。
この小さな器をさらに「料理箱や八寸皿」に盛る。
こういう事が出来るのは「和食器」ならではです。
すべては「一手間」の連続。
「あとひと手間かけよう」の繰り返し。
なんでそうするのか。
簡単です。
それが「和食のおもてなし」だからですよ。
「包丁」と言ったのは切り方のことです。
たとえばカマボコや厚焼き玉子。
普通は真っ直ぐ直線にカットすればそれでいい。
ところが板前の中には「ほんの少し」包丁を動かす者がいます。
縁起の良い「扇の形」を出すためギザギザにするのですな。
あるいはそれが扇面だと知らず「ちょっとした飾り」の気持ちかも。
※これは浪切の一種で、言葉で説明するのは難しい包丁。ですが覚えておくと年末年始に便利な包丁です。もっと細かくした「小波切り」を参考にして下さい。やり方は幾通りかありますが、簡単なのは包丁の先をまな板に接地させたままで、中程の刃だけを左右に動かしなら切り込む方法です。
→小波切り
こうした事は合理的に考えると「やらなくてもいい」部類に入ります。まあ、「余計な手間は必要ない」って話でしょう。
しかしね、「合理的」「やらなくてもいい」
それの積み重ねが今の日本の姿じゃないのかな。
と思います。
「人様への思いやり」も「無駄」だと切って捨て続ける。その結果が殺伐とした街の風景と、ギスギスした心根を持つ人々ばかりになった今の日本でしょう。
いいじゃないですか、多少ムダでも。
少しくらい余分に時間を食ったからって眼の色変えてどうすんです。その合理化で何円か利益を出すより、人様を喜ばす方が良い。
ほんのひと手間。
それで「雑」な料理が、人の目を楽しませる料理になるんです。
ナンボ合理化を進めて機械的な世になろうがね、
人間はロボットとは違うんですよ。
「心」がありますから。
もう師走に入りますねえ。
2011年も終わりですよ。
歳月の足はなんとも早いもんです。
今年は本当に色々な事が起きました。
そして思ってもいなかった人々が沢山逝きました。
世は儚いもんだと理解はしてますが、
やはり浮世に残された我々は心が重い。
「もう二度とあの人には会えない」
その現実を認識する。
それは長年心を鍛えてきた大人でも、重い。
それが今年の自分のBlogに反映してる気がします。
そもそも筆が重く、なかなか更新できません。
東京の中心部はやや喧騒を取り戻しつつあります。
けれども世界的な状況をみますと「終了前の蝋燭」という疑念も残る。怪しげな欧米の台所、それがアジアに飛び火しないわけがないからです。
それでもまぁ、
生きていかなきゃなりません。
何がどうあろうとね、コツコツ働いてメシを食っていくしかない。子供たちを学校に行かせ、カミさんの服代を稼ぐ。それ以前に朝晩の【食事】を食べさせる。それが基本です。
どうせ食べさせるなら、少しでも美味しい方がいいですね。
「気持ちが入ったほうがいい」って事です。
複雑な問題が山積した「この世」
だがそんなもん全て取っ払ってしまえば「人の基本は食事」
食べることが基本であり、そこからしか始まりません。
その「裸の基本」すら疎かにして雑になるか、それともほんの少し「心を込めて」作るか、それが「分かれ目になる」 そんな気が致します。