真空調理法と保温調理

  

真空調理とおせちの話

和食の板前らしいこともタマにゃ書いてみましょうか。

この時期に和食の話といいますと、どうしても「おせち」になってしまいますね。



おせち料理って奴はね、まとまった売上金が得られますので、合理化して大量に売ればソコソコ儲かりますが、そういうのが得意なのは企業さんであって、一般の料理屋は企業に勝てません。

値段に見合うような内容のおせち料理は、手間暇や原料費を考えると、そんなに儲かるものじゃないんですよ普通はね。それでも作るのは顧客サービスのためです。

贔屓にしてくださる大切なお客さんに、「今度の正月もお願いします」と言われちゃ断れる筈がありません。信頼が途切れちゃ続けられない。それが商売ってものですし。

おいらが若い頃はね、年末の1週間くらいは徹夜で板場にいることが普通でした。いわゆる「豆番」という奴で、黒豆などのおせち用煮物に張り付いていないといけないからです。今でも似たような「追い込み」をしてる板場も多いでしょう。

当時からハウス式の大型冷凍冷蔵庫はどこにでもありましたから、前もって仕上げておいたおせちを冷凍しておけばよさそうなモンですが、「冷凍おせち?話にならねぇよ。板前やめちまぇボンクラが」というのが普通でしたから、そういう選択肢はない。だからこそ、時間が詰まり、徹夜までするわけです。

いくら冷凍の技術が進んだとはいえ、やはり今でも「冷凍おせち」なんてモンは嫌ですねおいらは。もしそれをやれば、あの世に行ったとき親方に殺されますし(笑)

でもね、さすがに「徹夜の連続」というのはどうなんだろう。
それは昔から疑問に思っていました。

それで自分の店を持ってから早い段階で「真空調理法」というのを取り入れるようになりました。色々と試行錯誤を繰り返し、向いている料理と向かない料理があることが分かってきた。

「煮物が多いおせち」には結構使えるのですな。

真空調理法とは

真空調理法は、何か特別な真空装置を使ったりする調理法ではなく、「湯煎」をやや複雑にしたようなものですから、別名「低温調理」とも呼ばれます。

簡単にいうと「100℃を超えない低温で火を通す調理」
なので、静かなブームになっている魔法瓶のような構造の鍋で余熱調理する「シャトルシェフ」などの保温調理器具と、少し原理が似ているわけです。

保温調理鍋シャトルシェフの構造

画像元

保温調理との大きな違いは、真空調理法の場合食材を真空パックして厳密に温度管理をできる水槽に入れるという点。まぁ「煮て(似て)非なる調理方法」だということです。

真空調理法を料理に使い始めたのは意外と古く、1970年代にフランス人コックのジョルジュ・プラリュ達が導入したのが最初だと云われています。

食材を加熱すれば加水分解や変性などの化学変化が起きます。料理とはこの変化を巧みにコントロールするものなのですが、どうしてもコントロールできない化学変化もあります。

たとえば分水作用が始まる前の温度でタンパク質を加熱するのは不可能に近いものがあります。

「68℃以上にならない温度で加熱を続けられたらいいのに・・・」
これは現代栄養学が加速しだした50~60年代から専門家が思っていたことです。

これが可能であれば、余計な変性をおさえて、全体を均一に過熱する事ができ、栄養も旨味に逃さず、しかも非常に口当たりの良い(柔らかい)料理が作れる筈です。調味料も均一に回るため、味のムラもまったく出ない。

そこでアメリカなどでは60年代の後半あたりから「無水鍋」とか、「油を使わず極めて低温で加熱するパン・ブロイリング」などの調理法が試みられたりしていました。

そして70年になると「極めつけ」という感じでフランス人シェフが真空調理法を始めたという流れです。

真空調理法は公式で温度変化を固定するものです。
「温度×時間」ですね。

食材と調味液を、真空にできる袋に入れて、厳密に温度管理(TT管理)ができる機器に張った湯に入れる。

真空にするのは、まず水に食材の成分を流出させない為ですが、熱伝導が良い、旨味・栄養・風味を閉じ込めて逃さない、調理しすぎや味ムラがない、などなど利点が多いからです。水だけではなく油やバターなどを使うことも可能です。

もっとも分かりやすいのは「卵料理」でしょう。
卵は144~158°F / 62~70℃で変性(凝固)します。
真空調理法によって自在に温度コントロールをすれば、「完璧なゆで卵」ができるということです。

卵はある意味で「既に真空状態になっている」わけですから、袋に入れる必要もないですしね。和食でお馴染みの「温泉卵」も機序は同じですので、フランス人シェフよりも早くから真空調理法を実践していたと思えます。



温泉卵

しかし、先ほど書きましたように真空調理法というのは厳密な公式による「科学」ですから、主に「カン」で作られてきた温泉卵とはやはり違いましょうね。

現在この分野のオーソリティの1人になっている「ダグラス・ボールドウィン(Douglas Baldwin)」さんも、元々はコロラド大学の数学者だった人です。

彼の動画とウエブサイトを紹介しておきますので、詳しく知りたい方はサイトを読んでみて下さい(英語ですが)

※説明などはサイトで:DouglasBaldwin.com

この人のサイトを隅々まで読めば、何故「おせちに使える」のか理解できる筈です。

この手法の最大のネックである【細菌や寄生虫による食中毒のリスク】を回避できる方法(温度設定や急冷のやり方など)も詳しく書かれています。数学者さんですのでやや難解ではありますが、そのぶん合理的で分り易くもある。

「均一に加熱できて味ムラがない」
これは煮物に最適です。

もともとジョルジュ・プラリュさんはフォアグラのテリーヌを完璧に作りたくて真空調理法を導入したということから分かりますように、この調理法はどちからといえば「タンパク質(肉)」の調理に最適化されたものです。

しかし、料理人であれば、考えるまでもなく和食の「含め煮」に最高の方法であるとすぐにわかるでしょう。

たとえば「おでん」
完璧なおでんが出来るはずです。
煮崩れないで味が浸透するわけですからね。

ですからけっこう前から飲食大手さんなどはこの調理法を応用して使っています。外食でもセントラルキッチンなどを持つような大手さんだと導入しているところが多いですね。

我々のような「お客さんの顔を見てから作り始める」ようなタイプの料理人には殆ど必要のない手法です。ですから逆に「タイムラグが生じる」おせち料理などに最適と言えるわけです。おせちは元々そういう料理であり、どちらかかというと「工場で製造する企業に向いた商品」なのですよ。

いかに優れた手法であっても、ポイントを見極めて使わないと結局「レンジでチン」と同じようなもんですからね。まぁ栄養が完璧に近いので、病人食など特殊な料理ではよく使っていますけどね。ようは「どんな目的で作る料理なのか」で使い分ければいいのですよ。

真空調理法というのは、料理人が長い経験を重ねて習得したノウハウを、機械があっさりと再現してしまう方法だと考えてもよいでしょう。和食でいうと、「煮方になるまで10年」といわれますけども、その大半は「火加減のマスター」に費やすのです。

極めて微妙な火入れによってシロウトではできない煮物を作る。
それを「数式化」されてしまったという事です。

これが暗示する未来はすぐに頭に浮かぶでしょう。
すべてをロボットがやってしまうという未来です。

まぁ、介護ロボットが人間の介入などまったく必要のない完璧なレベルになる時代になれば、同時に料理も機械が全部やってしまっているでしょうね。
人工知能というのは簡単ではなく、なかなか研究が進まない現状からして、それが何十年後になるかは不透明ですが。


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