春鰹・秋鰹
初ガツオ(春鰹)
江戸前ですと鰹は初夏の魚と決まってます。
「初物好き」の江戸っ子の粋って訳なんでしょうか。
「目には青葉 山ほととぎす 初がつお」
この句は有名ですが比較的新しく、江戸時代、山口素堂が作ったと云われます。
この俳人は何故か大阪の人。
「女房を質に入れても・・」の方が、江戸っ子の「せっかち」ぶりをよく表現してると思います。
カツオの栄養
いつぞや書いた「グルメになって肥え太った銀座のネズミ」ではありませんけども、秋の戻りカツオの脂肪量は春カツオ(のぼり鰹)のおよそ10倍。
戻りガツオ(秋鰹)
しかしアレと違うのは戻りガツオの場合「自然」だって事。
エサをたっぷり食べて脂肪量を増加させてUターンしてくるんですが、脂肪とは言っても激しく泳ぎ回っている為に、所謂「病的な脂肪」ではありません。基本的に「高たんぱく・低脂肪」なのが自然の魚類です。 脂肪が増えても全魚類トップクラスの「たんぱく質量」が抜群の栄養バランスを保つ戻り鰹。
「さばの生き腐れ」なんて言葉がありますが、カツオも同じサバ科の魚。「忙しい魚」とも言います。鮮度がものをいう魚ってこと。
栄養価の高い魚でして、注目すべきはたんぱく質です。だいたいの魚は100グラム中、20グラム程度ですが、カツオは25グラムを超えます。必須アミノ酸含有率は88。ただ、このタンパク質が独特の臭みを持ってまして、ワサビではこの臭いを消せません。ですからカツオにはショウガを使います。
ニコチン酸やビタミンDも豊富、Dはカツオ100グラムを食べれば一日の必要量を満たすほどです。ちなみに糖尿病のインシュリン、この薬は昔、カツオのすい臓組織から作られてました。
名の由来
日本人の鰹好きはその名前によく現れています。
遙か昔は「頑魚」
それが「堅魚」(カタウオ)になり、カタウオがつまってカツオになったそうです。縁起をかついだ当て字の「勝魚」って表記もあります。
堅い魚。これは平安時代に戒律で「なまぐさ」を食べれない坊さんが、鰹をカチカチに干して「木片」として使ったからだとか云う話もあるくらい。その辺から鰹節が発現し、和食が形を整えて来たんでしょうね。仏教と日本料理の因果がここにも見られますが、それはまた別の話ですので。
一本釣りの漁師が歓喜する「素群」(すなむら。鰹の群)も去り、銀杏が視界を黄色く染める季節になりますと、物寂しい気持ちが起きてまいります。それは現代的機器が普及する前の日本人にとって、訪れる「冬」が厳しく暗鬱なものであり、その数千年の歴史が我々現代人の中にも消えずに残っているからなのでしょう。人は「春待ち草」にすぎないのですよ。
カツオ(鰹節)と日本文化
群になって猛スピードで移動する
立派な体をしてるが「性格は長い物には巻かれろ」
そして大群であるにも関わらず、上から見ると周囲環境に合わせた「ステレス色」によって非常に見えにくい。
これは国際政治経済における日本の現状にとても似ておりますが(笑)
そうじゃありませんで、お魚の話です。
上からは藍色、下からは空の銀。この「保護色」によって上からも下からも敵に発見されにくい様になってる訳ですな。藍の大潮流「黒潮」で移動するカツオの事ですが、一般に青魚は全部そうです。
「長い物には巻かれろ」というのはね、自分は肉食性でありながら、わりと臆病というか温和な性質でして、クジラ・サメなど自分より大きなものの陰に寄り添いながら旅をするんです。体の大きなものを守護神にするわけで、海に漂う「流木」にさえ寄り添っちゃう。
その理由は敵(とくに天敵のカジキ)を避けるためなのか、もっと残忍な敵「ヒト科漁師属」を避けるためなのか。まぁそのへんはカツオに聞いてみないと分かりません。
ところが実際にはカジキはそんなもん一切無視してカツオを上回る猛スピードで襲いにくるし、ヒト科漁師属に至ってはその守護神を目印にして群を一網打尽にせんと狙ってくるので、まったく意味がありませんわな。逆効果だったりして(笑)
背側は濃い藍色、腹側は無地の銀白色。これは上から見ると深い海の色と溶け込んでしまう。
下からは太陽光線と同期して逆光になる。忍者色ってことでステルス仕様ですな。
これによって「目立たないで行動できる」って狙いなんでしょうが、それはつまり存在感が薄いって結果にもなります。
ヒトに置換えりゃ「発言力がない」ってことになりましょうかね。
ますます中国やロシアに怯えつつ、頼りないアメリカに依存せざるをえない情けない日本人の姿と似てきましたが。
それもそのはず、カツオという魚は日本人とその文化に深い縁があるんですなあ。
神社の屋根にある鰹木は鰹節とよく似ております。カツオを煮固めたものを古来より「堅魚(かたうお)」と呼んでいます。
刺身で食べるようになったのは、文献などによれば14世紀ごろからですが、堅魚はそのはるか以前から大和朝廷に献上されいた事が分かっております。「高橋氏文」によれば2世紀の景行天皇の時代、磐鹿六雁命が、つぬはずの弓で堅魚を釣り上げ、鱠にて天皇に献上したとあります。
縄文時代から食べられていたのは間違いなく、5世紀には干す技術も確立されていたようで、今の鰹節とは違った物であれ、すでに料理の調味に使われていたと推測できる。室町時代にはかなりの硬さを持つ鰹節があったようです。
武家の世になりますと、カツオは「勝男」として縁起のよいとなり、「勝男武士」として鰹節はますます欠かせぬものになっていました。
現在のカビを使う枯節の製法が確立したのは江戸時代。土佐節・薩摩節・伊豆節が名を馳せました。
文化・文政期の江戸の町はカツオ刺身ブームに沸き、特に初鰹は「女房子供を質に出してでも食え」とさえ云われるカツオバブルに。
供給ルートは上総・安房国と鎌倉。なんと100キロも離れた産地から、お江戸日本橋魚河岸までたったの8時間くらいで生のカツオを運んだと記録にあります。
ためしに千葉の館山から東京日本橋まで歩いてみて下さい(笑)その異常さが分かると思いますよ。まさにカツオバブル。
現在は昔の初鰹人気は消えました。さっぱりした味は好まれなくなって来たんでしょう。
なんでもかんでも「トロ」を付ける時代なんで、もちろん鰹もトロガツオ。戻り鰹をトロガツオと呼び始めてもう40年くらいになりましょうか。
しかし脂のノリは別の話として、やはり身質自体も秋の戻り鰹が上でしょう。
この画像を見て下部の白い脂を「美味そう」と感ずるか、おいら達みたいに上部の赤身部分のしまった色を「美味そう」と思うか、それは意見が分かれるところですが、常識的に考えて身質全体は初鰹よりもあきらかに上でしょうな。
今年の夏は北海道の海水温が異常に高まった影響で、親潮の勢力が今一つよく分からぬ状況。サンマにかなりの影響を与えましたけども、鰹も少し平均個体の小粒化が出たようです。