せっかく帰省していた娘たちもそろそろ戻るってんで、新年会を兼ねたパーティをやりました。またぞろ日本から逃亡するってわけで、なんとも寂しいかぎりですが、仕方のないこって。今の日本には彼女等を引き止める魅力がないってことなんでしょう。
清流は滔滔と流れるもの。
時に静かに、時には激しく。しかし止まらずに流れるもの。
流れが塞き止められ水が澱むと透明度を失い、いつしか腐臭を放つ。
今の日本はまさにこの淀みのようなものです。
沈殿した澱は頑なに変化を受け入れない。
小さな世界に固着してしまい本流の流れを見失う。
狭い縄張りを死守し、奪い合い、その他は見えない。
やがて濁り腐っていく。
そのような場所に活力ある若者が入り込む余地は無い。
また、入り込むべきではない。
若者の力を受け入れられない国にどんな未来があるというのか。
おいらにゃ魚の住めない廃墟のような街が見えたり致します。
まあどちらにしろおいら達ゃ日本で生まれ育った。
この国で死んで行くしかない。国がどうなろうとね。
次の世代がこの国をどう変えていくのか予測するのは難しい。
現段階では正直言って期待値は低い。
だが先の予想は不可能な事です。
サイコロの目がどう出るか誰にも分かりゃしません。
世界を回遊して故郷の川に戻る回遊魚に望みを託すとしましょう。
大海で泳ぎ、逞しく成長した人々に一縷の望みをね。
魚山人様へ リンクさせていただきました。
はじめまして。魚の捌き方を調べておりましたら御ブログにたまたま立ち寄ることができました。料理のことは何一つ分からない素人ですが記事の内容がとても面白く隅々まで拝見しました。魚山人さんの深い見識とプロの魂に衝撃を受けております。道を究めたいと考えながら無為に日々を過ごす自分に活を入れていただいたような気がしています。
また御ブログに立ち寄らせていただきたく勝手ながら私のブログにリンクさせていただきました。私のブログは趣味の植物栽培記で魚山人さんのブログには何のメリットもないかと思いますので相互とは申しません。でも内容を気に入ってくださったら相互リンクしていただけると大変光栄に思います。
私のパソコンにメールクライアントが正しくインストされておらずコメント欄でのご連絡になってしまいました。ご迷惑をおかけしておりましたら申し訳ございません。
Posted by miyuuuuu at 2011年01月15日 17:20
miyuuuuuさん。
ご丁寧にありがとうございます。
草花を愛でるのは素敵な事です。
相互リンクというのはメリットではなく「気持ち」です。
当方からもリンクさせて頂きます。宜しくお願い致します。
Posted by 魚山人 at 2011年01月16日 09:10
はじめまして。突然失礼いたします。
簡単な自己紹介をさせていただきます。20代後半の経験8年の元板前です。
およそ4ヶ月前に辞めました。人間関係や板前そのものの職業に悩み、不眠症やうつ(医師の診断ではなく、自己診断)で後先を考えず辞めてしまいました。
板前以外の仕事に就こうにも、これといってやりたいことも無いのです。
と言うより「自分の店をもつ」という夢を捨てられません。
8年間もの時間をかけて、何をしてきたの?というほど仕事ができない…というか自信がありません。都内でもそれなりに有名な店に勤め、ふぐの免許も取得したのに、です。
でも、当然であると気付きました。
努力してなかったのです。
極端にいえば与えられた仕事をこなしていただけでした。そりゃ自信なんて持てないですよね。
糊の効いた、白衣と帽子と前掛けを身につけ、ピカピカの包丁を手にまな板の前に立つ姿をただ、単純にかっこいいと憧れて入って世界です。自分もそう思われる人間に板前になりたいです。
少し遠回りしてきたかもしれませんが、まだ間に合ってくれると…間に合わせます!
今現在、求職中の身ですが、妥協せず、上を目指して励んでいく所存です。
魚山人さんの記事をすべて読み、気付かされたことはとても多く、また、心に深く響いています。勝手ながら、気付かせてもらえた事、今一度やる気を与えてもらえた事に感謝しています。ありがとうございます。
これからまた寒さの厳しい日が続きます。どうかご自愛ください。
Posted by じゅん at 2011年01月17日 15:14
こんばんは、じゅんさん。
おいらもね、20代の頃は常に「迷い」、「悩んで」いました。
修行中も、独立前も、自分の店を持ってからも、それは続きました。
「人の三倍頑張ってきたが、10年にも満たない修行で本当に大丈夫なのか?」、「自分の一本気な性格で客が来るのか?」、「商売になるんだろうか?」
心の底にはいつでもそんな不安があったもんです。
けどね、30歳の手前になって気が付いたんですよ。
「何のことはない、一生修行を続けていればいいんだ」って事に。
若い時は血気盛んなもんでね、ちょいと仕事を覚えれば自慢したくもなる。庖丁技法を一つ習得、偉い先生に教えてもらう、新しい八寸をものにすれば鼻も高くなる。ましてや有名人の客などが来たら有頂天にもなる。
しかし鼻が高くなるのと同時に「盲目」になって行くんです。
肝心な事が何も見えなくなってしまう。
そうなれば「料理人としての修行」は終わりです。終了。
なぜならそんな人間には心を打つ料理など作れないからですよ、もう。
「謙虚の心」を失くしたらそれで成長はストップしてまうんです。
30を過ぎた年齢にもなって「料理技術がどうこう」などと言うしか出来ない人間はね、それでもう終わりなんだって事になります。
料理の内部からでは「料理全体」が見えません。
そういう人は「人間を磨かなきゃ料理も成長しない」ことに気が付かない。
人は誰でも自然に歪んでいくものです。
このブログを書いてるおいらも、訪問する読者も例外ではありません。
以下は少し長いが記事本文からの引用です
>
清流は滔滔と流れるもの。
時に静かに、時には激しく。しかし止まらずに流れるもの。
流れが塞き止められ水が澱むと、透明度を失い、いつしか腐臭を放つ。
今の日本はまさにこの淀みのようなものです。
沈殿した澱は頑なに変化を受け入れない。
小さな世界に固着してしまい本流の流れを見失う。
狭い縄張りを死守し、奪い合い、その他は見えない。
やがて濁り腐っていく
<
これは国家全体に対する比喩というだけではありません。
我々ひとりひとりどんな人間にもあてはまるんですよ。
書いてる魚山人も、読者も、投稿者も、ほぼ自分自身が持っている「異常さ」に気付く事はありません。
つまり「自分はマトモ」だと思っています。
「一生修行」のポイントはね、まさにここにあるんですよ。
自分自身を疑ってかかるのが「修行の初歩」だからです。
それができぬ人は死ぬまで修行とは縁が無い人生を送る。
そして多分そのような方は「本当の愛」を得る事が出来ずに死んでいく。
自己に厳しく出来ぬ者は本質的に他人を愛せない。
他人を愛さぬ者を愛してくれる人間はいない。たとえ肉親でもね。
常に自分の内部をみつめる。
これがもっとも重要な修行なのです。
昨日の自分より今日の自分を
今日の自分より明日の自分を
確実に大きく育てていく。
人生は短い。「腐って腐臭を放っている人間」と関わっているヒマはありません。濁りきっている人は精神の何処かがもはや正常ではない異常者。そのような者とは会話すら成立しないからです。
自分は清流の志を死ぬまで失くさない様に生きればよい。
凛として前を見ていればいいんです。
あなたはまだまだこれからです。
頑張って大事なものを失わないように努力を続けて下さい。
Posted by 魚山人 at 2011年01月17日 20:18
こんばんは
相変わらずの、魚山人さんン飛び越しジュンさんへのコメントです^^
じゅんさん。
周りの人間に恵まれる人もいれば
そうでない人もいるかもしれません。
人生に無駄な時間などないように
何のために頑張ってきたのかを
再確認出来るきっかけになったのなら
今回、心が傷ついたのも良い経験だったと
気付く日が来るかもしれません。
いや、必ず来るんですよ。
僕も今、経営者側の人間として
いや、一人の人間として
人との接し方に悩んでいます。
頑張りましょうよ^^
僕もがんばります。
Posted by 水匠 at 2011年01月17日 22:19
こんばんは。魚山人さん。
そしてこのサイトをみているみなさん、こん
ばんわ。
魚山人さんをはじめ、皆さんのコメントをみ
ていると、自分と向き合っている姿勢がひし
ひしと感じることができ、自分もそれに感化
され背筋を伸ばし姿勢をたださなきゃなとい
う思いです。
自分は大きな組織の会社で働いており、もっ
ともな目標や規則を掲げていますが、それに
ついてどうゆう風に成していくかを考えよう
としない、「うまく自分だけ逃げよう」「自
分がサービス残業すればいい」という諦めた
意識が暗黙の了解としてあります。
これから家族を持つ、自分としてはプライベ
ートを充実していきたいですし、もちろん仕
事も誇りを持って働きたいです。
自分にも諦めた意識はもちろんあります。本
気の「やる気」はあるって言ったら
嘘つきになります。自分もこのままでは卓上
の理想論を掲げている、ただの卑怯者です。
本気の「やる気」を体現されている魚山人
さんだからこそ、みなさんコメントをくださ
るのだと思います。
その本気はどこからやってくるのでしょうか?
そのヒントを少しでもいただけるように
今年一年も毎日コメントを見ようと思いま
す。
Posted by mattsunn at 2011年01月18日 02:09
mattsunnさん。
こんにちは。
>その本気はどこからやってくるのでしょうか?
それはね、「痛み」です。
湧き上がる好奇心を開放させれば行動範囲が広がる。
動く半径が大きくなれば必然的に「他者とぶつかる事」が多くなる。
この「衝突」をどうするかは、人によって変わります。
力や知恵(策略を含む)によって強引にねじ伏せる人。
こういう人は社会的成功者になる場合が多い。
歴史に残る征服者(多くは英雄と呼ばれる)がこのタイプ。
もうひとつのタイプはね、
「衝突によって流れる血」の悲惨さに虚無を悟る事ができる人。
前者のタイプばかりであれば、世の中は現在のような姿にはなっていないはずです。後者のタイプも沢山存在したからこそ歴史は世界をどうにか今の様な形に落ち着かせて来たのです。
まだまだ「フェア」と言えるような社会ではないものの、「戦国時代のような地獄」ではない。
他人の血を厭わない前者タイプが多数を構成してるなら地球は「殺し合いが日常」の荒涼たる有様か、独裁者が庶民を支配する今の北朝鮮のような形態が何処でも普通に見られるようになっている。
本当はこのどちらかの方向に傾斜すれば良いというものではなく、「バランス」の問題なんですが、それは別の話になるので省略します。
ここで言いたいのは「衝突」によって得る痛み。それは自分が傷つけた他人の痛みでもあるし、「返り血によって切られた」自分自身の胸の痛みの事でもあります。
【人様の痛みを自分自身の事の様に感じる】
これが実は非常に大事な事だと分かって来たんですよ。
他人を陰湿にいじめて平気な人間ばかりの世の中ですがね、
だからと言って自分までそんな「卑怯者」の仲間入りする必要はない。
人は「弱音の虫」に負けると簡単に卑怯者になってしまう。
だが弱虫だからってばかりではないのですよ。
「人の痛みを想像する力」が成長していないからなんです。
この事は「創造」の源になっている「想像力」が失われているって意味です。
「人様の痛みを理解できない人間なってはいけない」
それが自分を叱咤激励する「ムチ」になっているし、背筋を伸ばして前を向いていようという気持ちを支える力にもなっているんです。
その事が客商売でもプラスに作用してますし、料理人として欠かせぬ想像力を維持する事にも役立っています。
それ以前の問題として、「痛みを知る」ためには行動が必要。
椅子に坐ってばかりでは他者と接する事さえできません。
「足は仕事場と家を往復する為だけに付いているんじゃない」
若い時にこれを実践しておかなきゃ取り返しがつかないと思う。
パソコン画面から離れないって姿は「年寄り」になってからでもいい。
「テレビを眺めるしかなく、思考停止に拍車をかける老人の姿」。若者が部屋から離れずPCに釘付けになっているのはそれに等しい病的なものです。
誤解があるといけませんので最後に一言書き足しておきます。
我々は宗教家ではない。
なので「博愛精神」を説いているのではありません。
「誰にでも」優しく接しろという意味ではないのですよ。
博愛精神は、「気の弱さ」・「主体性の無さ」とよく似ています。
人間には「強さ」も絶対必要だと思います。
すぐに腰を折る弱さでは流され続けて自分を確保できませんので。
最低でも「心のねじ曲がった人間をそばに寄せ付けない強さ」は持っているようにするべきだと考えています。そのような種類の人は「弱さにたかるハイエナ」のようなもので、隙を見せれば土足で踏み込んで来ます。「毅然とそれを近づけない」のは自分の砦を守る為に不可欠なんですよ。
人生は1度だけ。
胸を張って、自分自身に恥じぬ様に生きて行けますように。
頑張って下さい。
水匠さん。
いつもありがとう(^^
Posted by 魚山人 at 2011年01月18日 06:03
魚山人さん、水匠さん、ありがとうございます。
コメ読んでまさかの男泣きでした(苦笑)
しかもラーメン屋で。。。
仕事の相談ができる先輩や親方がいないので
魚山人さんの記事からヒントを見つけだそうと必死でした。
人の伝手も薄く、仕事探しに手間取っています。大衆店でなく、お客様を大事にしている高級店を見つけ出したいです。
これからもお邪魔させて頂きます。
忙しい中、ありがとうございました。
Posted by じゅん at 2011年01月18日 15:33
魚山人さん初めまして。
包丁の研ぎ方を調べていたらこちらを見つけて拝見させていただきました。
僕はスーパーの魚屋で働いているんですが、最近刺身をきるようになり自分の包丁を持つようになりました。
こちらのブログ、HPを拝見させていただきとても参考になり、もっと勉強しなければいけないなという気持ちになりました。
ありがとうございます。
これからもお邪魔させていただきたいと思います。
Posted by わたる at 2011年01月19日 04:04
こんにちは、わたるさん。
そうですか、刺身を切り始めましたか(^^)
そいつは楽しみだ。
仕事ってのはね、「どこの方角を見ているか」が大切です。
何も学ぶ姿勢がなければ10年後もまったく変らない。
いつも先を見て励んでくださいね。
Posted by 魚山人 at 2011年01月19日 06:19
お初に見参しまするぞよ
ワシは通り縋りの「くだ」と申す者でござる
ワシも新たにブログなるものをば致す事にあいなり申した
ネットとはいかなるものやと散歩などしてみれば
どこもかしこもワシの悪口ばかり。。。。
おろか者めが!!!!
そのような文章など見とうわないぞい馬鹿者
おそれ多くも御国の将軍をばなんとこころえておるのか不届き者めが
ワシは疲れとるんじゃい とほほほほ
ほほほほほと傷心で歩いておったら魚のニオイがしたのでここを見つけた
魚の山と申すのか?おぬしわ
魚にしては面白いことを書きよるわい
しかもじゃ!
ぷらうづしておったらばワシを褒めておるじゃないかおぬしって男わ
「死民歯」。。じゃなくて、、、ワシこそ本物の「市民派」じゃい。。。
ワシャのう、、、気が狂いそうなんじゃよ
悪挫我というケダモノのような男がワシを蹴落とそうとしとるからじゃ
し
ワシが市民派で庶民の味方じゃっつ~のにからして、、
なんで国民はワシを嫌うんじゃ
正気かいおぬしら国民わ?
ワシの方が狂っておるとヌカスしっっ。。。。。。。。。
たしかにワシは脳グサレ、、いや官僚と魔巣鼓見に身を売った
だって権力にとりつかれたし。。オモシロイもん威張るのって
悪挫我なんぞにこの権力はゼッタイ渡すもんかいアホンダラ
ワシが本当にやりたいのはエゲレスのデーヴィッド・キャメロン路線なんじゃよ
だから消費税は必ず上げる
財務官僚の命令をきいとるわけじゃなか。。
なのに何で世界の首脳はワシを馬鹿扱いしてキャメロンばかり尊敬する
ワシかて尊敬されたいわい
うっしゃ。。
今日は外交演説をするぞい
カッコイイからよく見とけボンクラども。。
これでワシもキャメロンじゃ
いひひひひひひひひひひひひひひひひ
おほんっ
申し訳ございませぬ
ワシの上司である「くだ」がクダをまいた事をお詫びいたしまする
ワシは部下の嗚蚊駄と申す
ギョサンジン殿には慈悲を持ってくだを由として戴きたく
願いたてまつる
貴殿の申します通り我が国が世界におかれた位置はあまりに理不尽
いかなる所存で世界は日の本をこれほどまでにみくびっておるのか
毛唐にみくびられるくらいなら腹を切れい
オナゴどもはふとももを出して恥じぬ、、、
ええい喉を突いて貞操を守らんか恥知らずが
それでも日本の女人なのか、、主の御子か(露西亜司教のマネ)
許せんっっ
いや激昂してすまぬ。。。。
見逃してくれい わははははは
反転恒星丸 一等航海士 嗚蚊駄
日本はこのノリから脱する事ができません
何が悪いのか、、、
それとも良いのか、、、
マル子にはどうしても分かりません
父ちゃんが書いてる通り
マスコミは嘘を報道して恥じない
自分達を守る為にしか機能していない
それがもう多くの人々にバレ始めてる
だけど変る力は無い
情けなさすぎ
米中は
いえ世界は日本を政治的に無視すると決めたようでする
無視だけならいいんだけどね・・・・
ワシは10年この国が変るのを期待した
父ちゃんは何年だろう・・・・・
でも水は濁りきってボウフラだらけ
むなしい
父ちゃんは怒るでしょうね
「バカヤロウ、期待してないで自分でやれ」
「甘ったれんな」
笑
でもね
偏屈だとは思わないよ
そんな父ちゃんが好き
歳を重ねるごとによけい好きになってきた ^^
お鍋ありがとう
ごちそうさまでした。。。
今日もがんばるぞいっっっoo(*⌒ェ⌒*)oo
Posted by 丸子之助 at 2011年01月20日 23:28
やっぱり優しい子だ。
そしてタイミングをよく知っている。
さすがだよ。
ありがとう、マルちゃん。
【『警鐘』は遥かなり】
もうそんなヒネた事はあまり言わないようにするとしよう。
励まされてばかりだ、君には。
感謝。
Posted by 魚山人 at 2011年01月21日 11:12