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生きるのはキズを背負うこと

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生きて行くうえで、人は疵を背負います。

自分についた傷

人様につけてしまう傷

出来ればどちらとも無縁で暮らしたい。
ですが、人間。そうもいきません。

【我】ってもんがある。

凡人に【無我】でいろってのは無理な話です。

とくに若さがある時期にゃ、走りますね。だれでもある程度。

隣近所で、学校で、職場で、家で、知らぬ間に誰かに疵を負わせ、また自分も疵を負う。

恋心や嫉妬や羨望、そして怒り。

冷静に考えれば、いつか後悔すると分かってながら、自分の行動を止められない。

そして疵を負わせ、自分も疵をしょいこむハメになる。

人様の心に大きな疵を負わせた場合、大体にしてそれ以上の疵を自分自身も負ってしまうもんです。

なぜ倍の疵を負うのか、それは傷つけられた疵は時間が癒しもしますけども、人に傷を負わせた者は、けして癒せぬ疵を背負うハメになるからです。

当然ながらこりゃ人によるでしょうけども。
図太さも個人差がありますし。

妙な事かもしれませんが、おいらは疵の多い人間が好きですね。


完全に過去を忘れて暮らす方が幸せってもんでしょう。
余計な過去は消えたほうがいい。そりゃ確かです。

でもね、自分にある疵を舌で舐めて癒しながら、でも時に塩をすりこみ、決して癒える事が無いんだと痛みを再起している人間の方が信頼できる気がするんですよ。

痛みってものを忘れた人よりも、痛みを知ってる人のほうがいい

そう思うんです。

魚山人さんのおっしゃる疵とは少し違うのかもしれませんが、

私の好きな北島三郎の「北の漁場」に、「風にさらした右腕の傷は守り札」というフレーズがあります。

高校生の頃、画家になるといった私に両親はよってたかって猛反対し、毎日大喧嘩していました。
その時、あまりにもムカつき、ガラスを叩き割ったんです。(家庭内暴力か?)
で、両腕の手首から肘にかけ、神経や骨まで手術する大怪我をしました。左手(当時は左利きだった)は特に酷く、大きな傷が何本も残りました。
女の子だから、整形手術で綺麗にしたら?という両親のすすめも断って、ずっとそのままにしています。

その傷を見ると、何だか負けてたまるかって気分になります。痛みを若いうちに知ってしまった方が、人間は強くなるようなきがしますよ。
Posted by 蝶々 at 2007年06月22日 18:46

お久しぶりです。
まったく同感です。傷つく痛みも、傷つける怖さも知ってこそ、人間って成長するのだと思います。
ちょっと熱い魚山人さん、ステキです★
Posted by 大佐 at 2007年06月22日 18:59

蝶々さん、こんばんは。

そんな事があったんですか。
蝶々さんのお話を読み、
ある女性を思い出して暫らく胸に沁みてしまいました。
その人も腕に大きな傷跡がありましたので。

人は普通、傷の話を避けます。
口にしない、口に出来ない。そんな種類のモンだからです。
(自殺痕を見せびらかす方もたまにいますが、気の毒な心の病ですね)
特に心の傷は口に出来ません。

自分が負った疵は、環境やマインドの変化で忘れる事も可能なんですが、
人に大きな疵を負わせると(とくに愛した人であればなおさら)、その疵は癒える事がありません。
生涯忘れる事は無理な気がします。
おいらは忘れる事をあきらめて、一人きりの時間にその痛みを見詰めるようになりました。

負けてたまるかって、整形せずに傷跡をそのままにしたってのが、なぜか蝶々さんらしいと、そう思いました。

Posted by 魚山人 at 2007年06月22日 21:25

こんばんは、大佐さん。
これと関係あるのか無いのか分かりませんけど、
コメントを読んで、ふと、軍曹の成長が頭に浮かびました。
これから成長する過程で色々な事が起きるんでしょうけど、
大佐と奥さんに育てられた軍曹は、かなり「イイ男」になる。
そんな気がしました。
Posted by 魚山人 at 2007年06月22日 21:25

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