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中島みゆきに勲章 現代のアマテラス(天女)

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中島みゆきの魅力とは

中島みゆきはおそらく日本で一番たくさん国民を泣かせた女性である。
素晴らしいのはその泣かせ方に「偽善」が全然ない事だろう。

だから女だけではなく男も泣く。
子供も泣けば大人も泣くし老人だって泣く。

言葉の使い方で中島みゆきの右に出るアーティストはいない。
吉田拓郎、甲斐よしひろ、長渕剛、桑田佳祐、稲葉浩志、桜井和寿、といった日本の音楽界を代表する面々もそれを認めざるを得まいし、認めている。

中島みゆきの唄に解説や理屈は必要あるまい。

そういうものとは無縁のレベルに到達している。
単純に彼女の詩を聴けば分かる。

「暗い歌ばかり歌う」
中島みゆきに対し何らかの偏見をお持ちの人は、「アザミ嬢のララバイ」「彼女の生き方」「ホームにて」「小石のように」「遍路」「世情」「店の名はライフ」「まつりばやし」「怜子」 「タクシードライバー」「化粧」「時は流れて」「ほうせんか」「時代」そして「ファイト」これら比較的初期の歌を聴いてみればいい。

中島みゆきが真の天才である事は疑いようが無い事実だと認めるしかなくなるだろう。
感受性と頭脳をお持ちであるなら。

天才ミュージシャンでなければなぜ『悪女』などという曲が作れるのか
稀代の詩人でなければなぜ『時代』と『小石のように』が書けるのか

真実を露骨に歌う。それが彼女の詩だ。

日本のミュージシャン達に中島みゆき程影響を与えた人はいない。もし「日本人学」と言うものがあれば中島みゆきはノーベル賞を受賞してもおかしくはない。少なくとも芥川賞クラスはとうに超えている文学者である。言語学者といってもいい程日本語を巧みに操る術は誰にも真似が出来ない。

中島美雪
北海道札幌市で1952年2月23日誕生。
岩内、帯広、山形、帯広と転々しながら、帯広柏葉高校を経て、藤女子大学文学部国文学科を卒業。

1975年5月、ヤマハの第9回通称ポプコンに「傷ついた翼」が入賞。同年9月「アザミ嬢のララバイ」でキャニオン・レコードからレコード・デビュー。
同年10月の第10回ポピュラーソング・コンテストで「時代」グランプリを受賞。「時代」は11月の第6回世界歌謡祭 でもグランプリを受賞。12月にセカンド・シングルとして発売。

その後も時代の波に関係なく実力に見合った人気を維持し続ける。
四つの世代でトップテン入りを果たした歌い手は彼女以外誰もいない。
70年代(わかれうた)・80年代(悪女)・90年代(空と君のあいだに)(旅人のうた)・2000年代(地上の星)

この事実のみで彼女は全ての歌手を超越している。
そしてなぜこれほど中島みゆきは日本人に支持されるのか、これはもっと深く考察されなければならないテーマーでもあるだろう。表題を『アマテラス 天女』とした理由はそこにある。

中島みゆきに紫綬褒章

政府は2日付で、2009年秋の褒章受章者678人(うち女性120人)と24団体を発表した。栄典制度の改正があった03年の秋の褒章以来最少。学術や芸術、スポーツ分野で活躍した人を対象とする紫綬褒章は、シンガー・ソングライターの中島みゆき(本名美雪)さん(57)や宮崎駿監督作品への楽曲提供で知られる作曲家の久石譲(本名藤澤守)さん(58)や、メキシコ、ミュンヘン、モントリオール五輪の金メダリストである体操の塚原光男さん(61)らが選ばれた。3日発令される。時事通信2009年11月2日

もし私が首相で、日本を愛する気持ちがある人物であれば、誰よりも先に中島みゆきに国民栄誉賞、文化勲章を叙勲させるべく奔走するであろう。
紫綬褒章なんかではとても足りない。

この姿を見てほしい
中島みゆき

何という美しさであろうか。
この気高さ、強さ。そして優しさ。
今の日本人が失くした日本の美である。

私はこの中島みゆきを見る事で、日本人に生まれた事を誇りに思える。
そして中島みゆきが日本人に生まれて来た事に感謝するのである。

人は幸せを願って世に出ます。
だが人生は平穏ではあり得ず、心は荒んでいく。
そしていつの間にか心にカサブタができる。

他人にも、自分にも優しくなれない己の姿を見る。

それが今の世を生きる人の偽らざるすがたです。

ところが中島みゆきの唄は、どんなに醜くぶ厚いカサブタでもこじ開ける。
こじ開けて「心」に飛び込んでくる力がある。

「力」というより、それは「優しさ」だろうと思いますが。
およそ人間であれば、心に染み込まぬ者はいまい。と思う。

それが中島みゆきの唄なんでしょう。

時は流れて

中島みゆきの曲は、すべてが応援歌である。

たんに愛や哀しみを語っているだけの歌は、おそらく一曲もない。

そのような浅く薄い詞を彼女は決して書かないのだ。

常に奥が深く、そして盤石の思想がある。

しかし、さりげない言葉で「不都合な真実」を合わせ鏡のように映し出してしまうので、聞き手は惑わされてしまい、応援歌だと気づかない場合が非常に多いように思う。

母なる女神のような優しいアプローチ、でもその手先にある鉤爪は、まるで悪魔のように強靭。

狙いを外すことのないその鉤爪で、物事の本質を容赦なく抉り取る。

愛の女神なのか、冷徹な哲学を持った魔女なのか

誰にも分からないし、もしかして中島みゆき本人でさえ分からないのかも知れない。

だが確実に分かる事もある。
失敗した者や弱い立場にある者への、「なんとか立ち上がって歩き出せ」というメッセージだ。

そのメッセージは、うわべだけの偽善や口先だけの軽さが微塵もなく、どこまでもどこまでも深い情に裏打ちされた、真実の言の葉で語られる。

この矛盾だらけの世の中で、人が心に傷を負わずに生きるのは難しい。

とくに心優しく敏感な者は、生きる過程で何度も深い傷を負ってしまう。

中島みゆきは、そういう人間に歌を贈っている。

とてつもなく長い間、一貫してぶれる事なく、傷を負った人間たちに向けて曲を書き続けてきた。その活動期間の長さを思うと驚く他はない。

なぜそんな事ができるんだろう? と思わずにいられない。

人間はだいたい10年で心境が変化する。何かを創造している人は特にそうだろう。「いつまでもやってられない」と新たな価値観を模索し、過去を捨てようともがく。

よりよい創造をしようとすれば行き詰まってもがく羽目になるのが常。そして新たな創造が成功することもあれば失敗することもある。

中島みゆきも音楽的な部分で新たなチャレンジを繰り返しているのだろう。音作りが40年も変化しない筈がなく、進化がなくては何十年もミュージシャンでいられるわけがない。

だが彼女の本質は歌詞にあり、核心は「言葉」にある。その言葉にはいつでも彼女独特の思想が込められている。
「つらいのは本当に分かっている、だけど、歩け、泳げ、どこかへ向かって進みだせ!」と。
そこが絶対にブレない。何があっても何十年経ても変わらない。それが中島みゆきだ。

その変わらなさが凄い。
尊敬もしくは敬愛せずにはいられない。

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