蕎麦の打ちの魅力と人間のバランス感覚
ソバと小麦の大きな違いは「グルテン」
グルテンとは簡単に言うと「粘り成分」です。
小麦粉はこれを含有していますので、粘りが出ます。
ところがソバにはこれがない。
そのためソバの実は崩れやすい。脆いのですね。
それでソバには「つなぎ」がつきものなのです。
実を挽いて粉にする所謂「製粉工程」のときからこの性質が出てきます。「上割れ」するんですな。上割れとは実が割れてしまうことを意味する業界用語です。
ソバの実で一番脆い部分は白色の中心部分。
なので、製粉するとこの中心部分から粉になっていくのです。普通に考えれば外部から圧をかければ外殻から砕けて粉になっていくというイメージなのですけども、そば粉は逆に「中から」粉になるのです。
したがってソバの「一番粉」は真っ白。
これを別名「更科粉」と言います。
これの次に粉になる部分は皮(甘皮)が混じってやや黄土色になり、これが「二番粉」
その次が「三番粉」で、外皮に近い部分なので色は茶色です。
さらにほぼ外皮の部分が粉になる「四番」は四番粉とは呼ばず「さな粉」と言います。
製粉前の段階に話を戻しまと、ソバの実は大きく分けて軟質のものと硬質のものがあり、また殻ごと製粉するやり方と、殻は除く「丸抜き」を粉にする挽き方があります。
硬質のソバほど更科になる部分が多く、また丸抜きの方が透明度のある白い蕎麦になります。
丸抜きをしてないソバを「玄そば」と言い、これは普通鬼殻ごと挽いたりしますので黒に近い蕎麦になります。
玄そばを挽いた粉は「全粒粉」ですから、非常に香りが高く栄養価も多いのですが、その分「アク」も出ます。
この全粒粉を「挽きぐるみ」と呼び、この黒に近い粉で作る蕎麦を「田舎そば」と言います。
さて、問題は「どれが美味いか」です。
これが単純に言えないから蕎麦は面白く深い。 そば粉はほとんどチョロリで、わけの分からぬつなぎばかりの「大量販売の市販そば」は問題外で、あんな物は蕎麦ではありません。
ではそば粉の含有が多い、例えば十割そば(生粉打ち)が良いのかと言うと、必ずしもそうは言い切れません。
1番~2番のロジックで申しますと、1番(更科)ほど歯ごたえが良くなり、後になるほどホロホロになって「歯ぬかり」になります。
しかし、これは「口当たり」のことであって、「香りの高さ」は反対になってしまいます。つまり、色が黒いほど香りが良いんですよ。
「歯ごたえ」も「香り」も蕎麦の生命線。
このどちらが欠けても旨い蕎麦にはなりません。
しかしソバの性質上、両者は反比例してしまう。
このバランスをどうするか、それに完全な答えが無いから、蕎麦の種類は非常に多くなるんですね。
昔から「うどん一尺そば八寸」と云われ、蕎麦の長さは八寸(24センチ)が良いとされますが、生粉打ちを切るとなかなかそうはいきません。
十割、更科になればなるほど硬質、つまり脆くなるので、切ろうとして屏風(折りたたむ)にするだけで折れてしまい、そこから千切れるのです。下手くそだとベビースターラーメンみたいになっちゃう。
かといって「さな粉」とか三番をたっぷり使う「既成品」のマネをしてつなぎばかりにすると、手打ちをする意味などまったくないシロモノになり、色だけ黒い「変なモン」になってしまう。
加えて、「個人の好み」というものがある。
なので「こうすればよい」という答えはない。
しかし、努力によって「ちょうどよい」と言わしめるポイントを段々につかむことが出来るようになる。そこがそば打ちの魅力なんです。
こうした「蕎麦の深み」が教えてくれるもの。
それは「どちらにしても 偏り は良くない」ということです。
右端が良いとか左端が良いとか、人は偏りがちなもの。
なぜかというと、両極に拠っている方が「楽」だからですね。なぜ楽かと言うと、「自分で考える必要がない」からです。
ようするに「他人の考え方」に寄りかかっていれば、自分の頭で色々悩んで難しい答えを出す苦労をしなくてもいいからでしょうな。
試行錯誤(何度も割合を変え粉の性質を極めていく)を続ける努力をすればこそ、【バランス】というものを自分に叩き込めるわけですよ。
答えが出ぬ設問を考え続けるのはキツイので、考えるのをやめたくなるものです。つまり「思考停止」して悩みから解放されたくなるということ。
そこで「端っこ」に寄りかかってしまう。端っこは「それ以上考える必要がない場所」なので一番ラクチンだからです。
【両極端なモンは味もそっけもない】
そういうお話です。