和食の精神 表の顔と裏の顔
70年代の終わり頃、一人のイタリア人が東京でレストランをオープンさせました。その店は評判が良く、結果として、シェフは日本語が堪能になるほど長く日本に滞在します。
おいらの友人もその店で修行。
今は独立して自己の店を構えております。
周囲はそのシェフが日本に骨を埋めるとばかり思っていました。
突然、「故郷で死にたい」と日本を去った時は驚いたものです。
その後、彼の地に旅をした際お邪魔してみますと、ワインに関する仕事をしながら悠々自適のご様子でした。
魚介の高騰に頭を悩ませるなど、忙しない毎日を送る日常、そんなある日、国際郵便。封を切ると子供の文字。
イタリアの爺さんが無理をして平仮名主体の日本語で書いているんですが、蚯蚓がのたくったみたいでまともに読めません(笑)
「いたりあにはacqua pazzaというりょうりがある」
「わが南イタリアはさかなりょうりがゆたかである」
「だからぎょさんじんは私のでしを教えないといけない」
これがもし日本人の手紙なら、正気を疑い破り捨てるとこ。
文章になっておりませんので意味が分からず、仕方なく電話。
「読めないすよ、あれじゃ (笑)。なんですかいったい?」
やたらとテンションの高い爺さんを落ち着かせながら、どうにか意味を引き出しました。
爺さんの縁者に筋の良い料理人がいる。
将来はかなりのシェフになるだろうとの事。
その料理人が和食を学びたいと言っている。
おそらくは爺さんの影響であろう。
そこで魚山人の店で面倒をみてほしい。
まぁそんな様な話でした。
「話は分かりました」
「で、和食の何を学びたいと言ってるんですか?」
「日本料理の精神を学習したいそうだ」
おいらは即座に、「ではお断りします」
その後いろいろ曲折がありましたが、別の店を紹介することでどうにか折り合いをつけました。
日本料理を端的に表現しますとね、
【素材をいかす調理法】
【繊細な盛り付け】
まあそんなところでしょう。
それは多分「表の顔」だと言えるでしょう。
それが和食の精神といえばそれまでです。
技術面に限ればそれでよいのだと思います。
ところが「和食の精神」を誤解してる人々が多い。
特に西洋人は「武士道」などと混同しています。
意味も分からず「サムライ」とか「ゼン」とかね。
最近では日本人すら似たようなもの。
和食の本当の顔。
西洋料理や中華料理が【陽】で、日本料理は【陰】だとおいらは考えています。
彼等の料理は「火」です。
そして我々の日本料理は「庖丁と俎板」なのです。
この「ズレ」は埋めることができません。
世界三大料理というものがあり、それは、「フランス料理」「中華料理」「トルコ料理」だとされております。(※これは日本だけの表現で、他国では通用しない概念。つまり海外に三大ナントカはありません)
これらの料理はいわば「世界の主流」であり、その特徴は「火を使いこなし、素材を加工すること」になります。
つまり日本料理というのは世界の人々にとって「極」なる料理なんです。
「異質」と言ってもいいでしょう。
【陽】の精神を持つ人々にね、和食の【陰】を教えるのは不可能なんです。まず理解ができんでしょう。
真似事で柳刃庖丁を操り刺身を切る事はできる。
天ぷらだって揚げれば、盛り付けだって習得できます。
だが和食料理人が何故異様なほど庖丁に拘るのかを教える事はできんのです。西洋や中国の料理人にとって、庖丁は道具以外の意味を持たず、なにも特別なものではないからですよ。
悪い表現をすれば和食は「陰気臭い」のです。
それが素顔だと言っても過言ではないでしょう。
海外では日本食ブームが続いております。
しかしあれは【陽】の料理になります。
つまり本当の意味での日本料理ではありません。
今では国内でも【陽】の和食ばかり。
これならば外国人にでも教えられる範囲でしょうな。
ただし「技術だけ」ならば、ですが。
それでは何故そんな陰気臭い和食を仕事にしているのか。
やがて滅びるでしょうが、まだ少しは残っているからですよ。
『日本の精神を持っている人達』がね。
もともと和食は他国に広まる様な性質の料理ではないのです。
世界からすれば『天然記念物』のような存在でしかない。
「質素」であり「何事も控えめ」
「派手な料理」は当たり前のものではなく、「ハレの日」専用。
「高級和食」とされるものは殆どが明治以降のもので、西洋文化が入ってきてからの料理でしかありません。
食材にできるだけ手を加えず、生で食べれるものは生で食べる。
保存食すらなるべる元の食味を壊さぬ様に作る。
なぜそうなのか?
それが日本人の気質だからですよ。
日本人と和食は【日陰に咲く花】なのです。
あるいは世界で一番「本当の意味で自然と融合している料理と国民」だと言えましょう。(今現在、すでにこれは過去形にするしかないですが)
件のイタリア人は、立派なシェフになり素晴らしいイタリア料理を作っております。南イ伝統の魚介料理は日本人の好みにも合うし、和食の盛り付けを応用した逸品は非常に美しくもあります。
だがその料理はあくまでも【陽】であり、日本料理の本質とはまったく無関係なのです。
お疲れ様です。
和包丁
って【陰】ですよね?
だって爺ゎなんだかんだ例え話を揚げてっけど ようするに包丁が…(笑)
桂向きも骨引きも
『シュッシュッ』でなく
『シャリンシャリン』って音がする包丁が素敵だし憧れる
爺ゎもう持ってっけど
(笑)
俺も そのうち追い付いちゅるけん←広島弁(笑)
月明かりのよに 闇に冴える輝きを持つ包丁ゎ 持ち手を選ぶはず
俺もそんな包丁の似合う男になりてぇ
あ゛
ラディッシュの花飾りから勉強し直さネェとな…
Posted by 鯔次郎† at 2010年07月10日 02:10
鯔さん。
妙な時間に目が覚めたんで、妙な記事を書いた(笑)
陰と陽ってのはね、言葉にとてつもない深みがあるんですよ。
単純に「陰気」と考えるのは間違い。
おいらは何十年もこれを簡単に表現する方法を考えているが、いまだに無理。つまりおいら自身がまだ理解しきれてない訳です。
Posted by 魚山人 at 2010年07月10日 02:54
両儀
陰と聞くと、どうしても辛気臭い感がありますが、
陰陽の陰は、全くのマイナスではありません。
表の陽を際立たせる、言うなれば基礎としての陰影で、
陰あっての陽、陽あっての陰です。
確かに西洋料理は、完全な陽です。
「私が作りました」と料理人ですら表看板です。
これは、芝居が終わった後に、
再度、幕を上げ俳優に拍手をするようなものです。
どうも好きになれません。
「黒衣に徹する」という言葉があります。
西洋料理は、みんなが主役。
お客様も接待した方もお店さんも
win-win-winです。
日本の料理は
お客様が主役、接待した方は脇役、お店さんは黒衣です。
そこに勝ち負けがあってはならないと信じております。
調和させるために、あえて引く何かが陰だと思います。
Posted by 門松一里 at 2010年07月10日 12:30
門松さん。
明快なるご教示。
筋の通る短文と示唆に富んだ理。
心より感謝いたします。
ありがとうごさいます。
Posted by 魚山人 at 2010年07月11日 00:06