記事内に広告が含まれています
PR

世の中どうあれ和食(板前)でけっこう

PR

板前

「板前さん」
最近こう呼ばれるのを敬遠する若手の和食料理人が増えているという話を耳にします。

「◯◯シェフ」とか研究家だの先生だの。まぁそういう感じで呼ばれたいという事でしょうか。

それが本当だとしたら、少し寂しい気がします。

おそらく、当のご本人はそれほど深い意味で「板前」を避けているのではなく、わりと気軽な「ノリ」のような感じで自己アイデンティティーを確立したいだけかも知れません。まあ、少し差別化をしたいという事なのでしょう。

意識はしていないでしょうが、それは結局「板前」という職業を卑下しているというか、一段下に見ているという意味になっていますね。

「今までの和食ではありませんよ」という内心の主張が見え隠れしているのは、ある意味で健全だと思うのですが、強い自制心がなければ、「変な存在」になってしまう可能性もありましょう。

和菓子屋で10年修行、今はケーキ屋のオーナー
蕎麦屋に弟子入りし、今はラーメン屋の主人

極端な例えではありますけどね。
ようするに、ヘタに過去を否定していると、「新しさ」どころか、自分の過去の財産をまったく無駄にしてしまう、失くしてしまう、そんな可能性もあるということです。

東京の一部には、「何の仕事をしているか分からない人の方が、なんかカッコいい」という空気が存在します。これは軽佻浮薄時代の遺産で、とんでもない大間違いだと思います。

そんなモンがカッコいいと見做されるのは、この40年間「妙な甘ったるい空気」が漂っている日本だけの特殊事情であって、おそらくメディアの世界を現実に投影してしまう人達だけにしか通用しないものです。TVとか漫画と、現実の区別がつかないのでしょう。

欧米の例を見ますと、それが許されるのは極めて少数の「遊んでいても許される特別階級」に属する人々か、いずれ大成功する天才的なクリエイター達だけですし、日本だって「現実社会」ではまったく通用しません。

まともな人間は誰でも「正式な職業」を持っているのです。

日本の料理を扱う店で「板前修業」をやった経験が無い人ならば、どう名乗ってもご本人の自由だと思います。そんな事にまで異を唱える気はありません。

ちゃんとした板前修行をしていながら、「板前とは無縁です」みたいな立ち位置になろうとする事に危うさを感じてしまうのですね。

現代の和食を、コツコツを積み上げて今に残してくだすった先人たち。殆どが亡くなってしまった先輩板前の方々を否定するのかと、そんな気がしてしまうのです。

正直、板前なんてものはショボイ職業ですよ。
社会的にもずいぶん下の方の階層でしょう。
それは現実です。

だからって、「蓋をかぶせて隠してしまう」ような行き方は何か違うでしょう。

それは、最終的に「日本料理そのものに蓋をしてしまう」という結果になるんじゃないでしょうかね。

それでも、和食で結構

「新しさ」というものを拒否する気はないです。
昔の板前だって、常に研究を重ねていたわけですし、今現在のスタンダードも、その開発意欲が生み出した「当時は珍しい(新しい)料理」だったのですから。

物事は常に変化(それが進化かどうかは別として)し続けるのが当然ですので、和食が変わって行くのも当たり前のことでしょう。

「和食であり続けるのか」
「別の違うものになってしまうのか」
その境界に自分は立っていて、どちらかを選択しなきゃいけないのだと、それを理解しておくべきだとは思いますけどね。

「脱皮」とか「破壊」でもいいと思うんですよ。
壊すなら徹底的に破壊して、そこから何か新しいものを生み出せばいい。

逆に、昔のカタチに拘り続けるのもアリでしょう。
今まで培われた和食の形式を固く守って微動だにしない。それもまたひとつの道です。

ただ、自分がそのどちらなのかを常に意識しておく必要があるということです。

「なんとなく雰囲気に流されていたら、こういう何となく今風の和食になりました」
そういうのは素人さんに任せておけばいいのであって、「板前」までがこの流れにのってはいかんでしょう。

「板前の妙なプライドが嫌い」
これは分からないこともありませんが、だからといって切り捨てるのではなく、「妙な」を改め「正当な」プライドを持てばいいんじゃないでしょうかね。

「和食の世界遺産登録」ってのはね、お役人は知りませんが、これに尽力した諸先輩達の願いは「日本国内に和食が戻ってきて」欲しかったからです。

つまり、「外からUターンしてくれないものか」という願い。これが心のどこかにあったのは否めません。

なんで、「自分達だけの力では守れない」のか。
次から次に新しいものを求める破壊的な消費行動が止まらないからですよ、この国は。

今の若い人達が家庭を築く年齢になった時に、果たして食卓に和食が並ぶのか。そもそも作れるのだろうか。その危惧は大げさではなく現実的なものなんです。

それは結局、和食の料理人までが日本文化を素直に受けつけられない「何か」があるからでしょう。

1億総グルメとか言われつつ、数十メートルも歩けば「出来合いの食べ物」を購入できる「異常なまでの便利さ」もあり、もはや自らの手で自国の料理を作れない。よけいなお世話というレベルの店の多さ、そこでの消費行動がなきゃ行き詰まるよという経済社会。

これは正常なんですかと。

こうした事は止める方法がまったく見当たりません。

少子高齢化で全体が縮小して行けば、あるいは「落ち着いた国」になれる可能性もあるかも知れません。しかし財務省を筆頭としたお役人の方々は「移民をどんどん入れることで現状を維持していく」という方針にしたようです。

「国力低下」と「落ち着いた豊かな国」の違いが、どうしても理解できない様子ですな。

「なんでどうしても1億人の人口が必要なのか」
これを分かるように説明して欲しいものですなぁ。

今でさえギスギスしてるようなザマで、年間数十万人の移民とか可能なんでしょうか。数字だけの辻褄合わせと現実は違うと思うんですがねぇ。

しかしまぁ、大河の流れが急に変わってしまうことはないでしょう。
大量消費で成り立っている経済の仕組みとか、常に目新しいものを買わされてしまうマインドに改造されてしまった国民性が、すぐに変化する筈もない。

「落ち着きのなさ」は今後も続くということです。

でもね、何もかも置き去りにして、日本の文化そのものを捨て去る潮流の向きが変化しないにしても、自分的には「今までの和食」で間に合っております。

和食で結構なんですよ。

板前だし、日本人ですから。

板前ですし 日本人ですよ。
俺も。
お疲れ様です爺。

馴染みの蕎麦屋で 蕎麦味噌と胡瓜
鎌倉野菜の天ぷらで本醸造をやり
巧い蕎麦をタグリながら 純米をやってきた。

で 大好きなカミサンと 待ち合わせ♪


今晩の晩飯ゎ焼肉らしいよ。
バブリィな家庭?
いや 違うね。
普段の生活ゎ質素そのもの。
子鯔達が どうしても焼肉というらしいんで 渋々…
ま。兄貴がナイスピッチした御褒美も込めてね。
オフクロの店で喰えばいいんすが
それだとカミサンに気をつかわせちまう。仕方ない。


この記事読むとさ
なんだか奇形な和食モドキな店が東京にゎ存在すんだね。

そうやって 受け継がれてきたモンを疎かにするヤツら。
イタリアン
フレンチ
中華料理
韓国料理その他多数。


な-にが本場で修行なんだか。


でも。確かに。
経営者のとるスタイルと
板前のとるスタイルゎ違うことがある。


これって若い頃に経験した。

ところが俺ゎそんなこと どうでもいい。
いかに手を抜かない仕事を させてもらえるか。に ある。

我が店が使う仲買。市場のね。
春子やコハダをおろしてんの。
残念な気持ちと 衰退して当たり前だ!!ぉめえら!!ッツー気持ちとが交錯するよ。
仕込みをしないってこと。

さて。
そうやって振り分けすっと
どんだけ【和食】と呼べる店が現在存在してんのか。

そんな今後の世の中を
俺ゎ生きてってやる。

酢の物も
シャリも
天汁も
何もかも砂糖の甘さを感じる。

砂糖に関しちゃ 爺の価値観に同じなんすが 使うな!!とも言わない。
でも甘過ぎ。
その甘さが 社会の甘さ そのまんまのような気がするよ。

知らない間に…

そして気がつくことがない。

さてと。
財布が薄くなるなぁ…今日ゎ。
あいつら 死ぬほど喰うし(笑)

Posted by 鯔次郎 at 2014年05月26日 17:36


こんばんは。

お疲れ様です。



チョイ前、2ヶ月ほど前から自分で出汁を取るようになりました。

気持ちが変わるのですね。



最初の1週間弱、旦那プタプタ言っておりましたが 今は何も言いません。



出汁の取り方 って昆布と鰹節をどう茹でるか なんだろう と。
(私のレベルの話です。お許しください。)

ほんに、水で煮る だけ。

これほど 奥深い。




羅臼と利尻と真昆布と。 
 
たまたま3種類揃ったので、出汁の競演♪


こんなに味が違うんだぁ ってな感じです。




昨今は 出汁が無いと不安になります。



コメとして適切なのだろうか?

が、書きたかったのです。


お言葉に甘えております。


Posted by 月下 at 2014年05月26日 21:29


こんにちは。

匿名のブログ記事などは、どう書いても純然たる個人的見解にしかなり得ません。しかも、一つの記事ごとに、多数ある視点の一つしか表現できないわけですね。

「この考え方、この表現が」、全てではないし適切でもないというわけです。

ようするに、自分の意見を人様に押しつける気はまったくないし、そもそもそんなことは原理的にできないということです。

なので、基本的に何を書いてもかまわないのですよ。
記事もそうだし、コメントもそうです。

「あきらかな公人」と思われる人以外の「特定個人」を誹謗するとか、悪意を向けるとか、傷つけるとか、それは許されませんけども、それさえ守れば「何を書いてもいい」と思います。

難しく考えることはないですよ。

Posted by 魚山人 at 2014年05月27日 06:53


おはよーございます。。。

表題の和食とか板前さんの微妙なところは

正直ピンときません けん ども

実際にその職業でないと分からないことかも。。



移民

政治家や官僚の進める移民政策は下心がウザい

「税金カモれる大衆が減ればわしらのウハウハ天国がヤバイ」 その思考がマル分かり


過疎自治体が人口増を狙って失敗してる二の舞いになるんじゃないかな

目的が税収維持なのがミエミエ
でもって
住民が住みたくなるような政策はできない と

《 政と官の保身が先で住民は一番後 》
この気持ちがあまりにも強いので 日本の政策はいつも空回りして上手くいかず 財政赤字を増やすだけになるんじゃないかなぁ~

我慢強い日本人でさえも暮らしづらい社会インフラ
その整備は遅々として進まないまま

そんな息が詰まるような環境を放置したまま移民を受け入れても 大半はノイローゼになって帰国するだけですわい


でもさ
上からの政策は失敗しても
結局は国際化に向かうと思う

日本人って歴史的に見ても外人が好きなのよね

外交嫌いなのはいつの時代でも政治の方だけ

民衆は凄い早さで他国の文化を吸収してる

その早いこと早いこと

文化も技術もあっという間に吸収してしまう

器用さもさることながら 外人への嫌悪感が少ないと考えなきゃ説明がつきまへん

アジアへの蔑視も明治以降に政治から植え付けられた人工的なものにすぎないワケだし

上野や浅草のおっちゃん達見てれば本来の日本庶民がどんなふうか分かる気がする

おじさん達 いきなり英語ペラペラになってるし (笑)

ステテコ姿でホッピーとか飲んでるオジサンが
いざガイジンに直面したら偏見とかゼロで優しく対応
ああいうとこが日本人の良さだなぁ~ほんとそう思う


「紀伊國屋にまで嫌韓本コーナーがあってキモい」

そう言って心配してる友達もいるケド

「ただ単に無職の人が増えてるだけだから」
そう返してます

ウヨだのサヨだの、、、、、、
仕事が忙しい人はそんなヒマないし基本的に

ヒマで時間をどう使っていいか分からない
そんなヒトが激増してるのでござる。。。

人間はドパミン出さなきゃ生きていけない

何かを悪玉にして攻撃することで脳内快感を得るしかないヒトちゅーのはやっぱ少しはいるでしょ

でも大多数のヒトは『アナ雪』を観劇するし

罵詈雑言を叫んでまで生きる必要を感じないワケで

まだまだ異常者よりも正常なヒトが多いって事デス


心配しなくても日本人の多くはマトモですよ

マトモな人達が目覚めるチャンスが増えるには

アベちんに長期政権をしてもらって

自民党がず~っと政権運営してくれたらいいと思う

今の勢いでメチャクチャすればOK

そうすれば

官僚機構を道連にして自滅する時期が早まる


和食も同じじゃないかな

ドロドロに解ければいいと思う

拡散すれば自然に霧消して密度が希薄に

その希薄化したガスから 誕生 が

それを食べてみたいでござる。。。。。

Posted by マル子 at 2014年05月27日 19:51


おつかれさまです。
今は和食とは言えない場所で働いておりますが、何かのチャンスの時まで内面を磨いて、料理にそれが出ればいいかなって思います。「え!あの人板前なの?!」って逆に驚かせたいですね。……、でもまぁ無理でしょう。
Posted by まっつん at 2014年05月27日 20:14


マルちゃん。



どうも変だな。
いつもと口調が違うのがとても怪しい(笑)

まさか、アフリカの例の国で米軍のオペレーションに関与してるんじゃないだろうね(-_-;)



楽観的な予測も悪くはない。
だが、食に関しては「もう手遅れ確定」だと思うがね、日本は。
高級店でも店に並ぶ食品は「化け物」だらけ。
安売り店などは、もう見かけで判断するのは無理だ。

「いつ、どこで、だれが」生産した食材なのかを把握し、誰にも任せず自分の手で料理を作る。
これも、おそらく90%の人には不可能だろう。
その不可能さ加減は「安楽死制度」を成立させる事の難しさに非常に近いものがある。

「実験動物や家畜には死ぬ自由さえもない」
そういう事だと思っている。






まっつんさん。

何にせよ、真面目に仕事を続けている。
働いている。今はそれだけも立派な事ですよ。

Posted by 魚山人 at 2014年05月28日 07:49


仕事をしながら常に頭の中には「伝統と革新」の二文字を意識しています。

まだまだ浅い知識や経験ではありますが
どんなふうに自分を表現するにしても
まず最初は過去を学び、受け止める事からはじまるように思います。

歴史、伝統、文化に敬意を表し、先人の教えを謙虚な姿勢で学び続ける事が
自分の立ち位置をぶれないものしてくれて、革新のために戦える礎になるのでは….
と思っています。

過去を繙くと自分では新しいことをしているようで
実はもっと昔にそんな事は存在していたり….
なんてことが沢山あって、そのたびに顔が赤くなってしまいます。

また過去と未来、相反するようで一体のものなのですよね。
自分もその大きな流れの一部に過ぎない。

先日、人生の先輩から
「いろんな新しいものが産まれては淘汰されて消えていく。
新しいものを作るにしても、今自分は伝統を作っているんだという気概を持って
良い仕事しなくてはいけないよ」と教えていただきました。

この学びというものには終わりは無いのでしょうが
しっかり仕事に向き合って良いものを作り続けたいと思います。

本当はこんなに意気込まなくても、古今亭志ん生師匠がいわれてた
「世の中ついでに生きていたい」というふうに
人の心はしっかりと掴みつつ、ふわふわしているような
そんな感じを出せるようになりたいですが、道のりは遠いですね(笑)

Posted by 知魚楽 at 2014年05月28日 08:31


知魚楽さん。

論理的でありながら、人間味もあるコメント。
ありがたく頂戴いたしました。
すべてにおいて共感します。
どうもありがとう存じます。



人の世も、算数のように「答」があれば良いのにと思うのですが、どうもそうではないようです。

人間の理解を超えた、得体のしれない量子力学のようなもの、裏も表もなく、1+1が2にはならない。
どうやらそういうもののようですね、我々の生きている世界は。

そいうものだからこそ、人々は思想や宗教などに依ってしまうのでしょう。

そうではなく、歴史から理知を学び、そこから指標を得ればよいと思うんですがねぇ。

まぁ、人様にアレコレ願っても意味のないことではありますが。

Posted by 魚山人 at 2014年05月29日 00:07


いつも魚山人さんの言葉が
私の背筋を伸ばし
立っているところを教えて下さいます。
本当にありがとうございます。

お言葉にあります通り
先人や歴史から学ぶ事、
自ら考える事をやめないで
少しでも何かを変えていけたらと思います。

あきらめてしまいそうになることもありますが
次の世代に何を残すのか、とても大きな責任だと感じています。

Posted by 知魚楽 at 2014年05月29日 23:46


こんにちは。いつも書き込み拝見させてもらってます。この記者に関してのコメントではないのですが質問よろしいでしょうか。
以前の記事で、失敗料理はすてないというのが、ありましたがそれについてです。
料理にとして働いている以上食材に敬意をはらうのは大事なことだと思います。
失敗したからといって捨てるべきではないと思います。
しかし自分が練習に使った食材はどうですか。たとえば桂剥きしたあとの大根。職場で練習できる環境にあったらだしとりとかで使えるでしょうが、家でしか練習できなければ、どうすればいいですか。食べるしかないと思うのですか。同じものばかり
大量には食べられません。
となれば捨てるしかないと思うのですか
これは仕方ないことなのでしょうか。
それとも無理してでも食べるべきでしょうか。たまに練習した食材をたべきれなくて捨てることがあります。
どこか後ろめたい気持ちがありますができるようになるためには仕方ないかなと思っています。
この考えは間違っていますか。

Posted by 三宅島 at 2014年05月30日 13:59


間違っていませんよ。

上のコメでも書いたように、1+1が2になるとは限らないし、表や裏の境界線がぼやけているのが世の現実というものです。

そういう事まで厳格に「間違っている」と言い出せば、【原理主義】を信奉して他者を攻撃する「狂信者」と同じ人間になってしまいます。


A
「料理や食材を捨てるのはもったいない」
「できるかぎり食べるか人に食べさせよう」
「保存もして可能な限り食べるけど食べきれなかった場合は仕方がないから捨てよう」

B
「料理や食材を捨てるのは罪である」
「そういう事をやる者は悪人である」
「悪人は矯正すべき」
「矯正できない者は攻撃しなければいけない」
「いくら攻撃されても直らない者は殺害してもよい」
「悪人を殺すのは大義なので罪はない」


A、Bのどちらが原理主義か分かりますね。
バカバカしいと感じるかも知れませんが、Bのようなタイプはそこらじゅうに実在するのですよ。
とくにネット世界には多いですな。
さすがに殺害までには至らないが、その前の段階の者は非常に多いのですよ。


「神のように完璧な人間」などは存在しない。
つまり、「完全に正しい」という考え自体が誤り。

Bのような人間はね、「自分の思い通りにいかないのが気に入らない」だけのことなんですよ。そして、その意思表示のやり方を間違っておるのです。

いかなる場合においても他者をみだりに攻撃してはいけないというルールを守れないほど、心が弱い人間だからそうなるのです。


人はつねに間違いを犯す可能性があり、正しい思考をするとは限らない。
だからこそ、人間社会で最も重要なのは「バランス感覚」なのです。

そのバランス感覚を磨くには「他者と切磋琢磨する人生経験」を重ねるしかありません。
経験を重ねて人間的にも成長するには向学心を失わないこと。

経験で挫折してそのまま引きこもったり、向学心を持てないという者はね、ようするに「強さがない」ということです。

強さがあれば「楽な方に逃げる」という姿勢にもならない。みだりに他者を責めたりするのは、その方が楽だからですよ。



話が変な方向へ行ったように感じましょうが、そうではありません。

この問題はね、「料理・食材を捨てるか捨てないか」の問題ではないのですよ。

「心が強いか弱いか」そういう問題なんです。

強さとは、バランス感を失わないということ。
「常識の範囲内」という言葉を、自分の弱さで都合よく楽な方へと流さない人間のことです。


ともかく、「ほどほど感」を大事にして、修行に励んで下さいね。あなたの様に素直な人は、将来成功しますよ。
「質問は禁止」のおいらに、こうやって返事を書かせているくらいですからね(笑)

Posted by 魚山人 at 2014年05月30日 16:58


お返事ありがとうございます。仕事で悩んだ時いつもホームページ参考させてもらってます。私もいつか魚山人さんのように自分の利益関係なく誰かのために何かできる人間になれるように務めていきます。

Posted by 三宅島 at 2014年05月30日 19:53


素晴らしい問答に感動いたしました

そうです
楽なんです、片っ方に寄るのが

私も若い時
B派でした

幸いなことにバカなもので間違いを日々繰り返しており
殺されたくない→隠れB派

ん?こいつ駄目だけど良いとこもあんじゃん(上から)

を日々繰り返し

当たり前ですよね
良いとこも悪いとこもある

今は嫌いになりきれない

世の中のダメが0になれば、すごく良い社会になるのでしょうが
でも

いや、しかし!
ダメは減った方が良いと思います

バランス・・・難しいですね

Posted by うみ at 2014年05月31日 13:15


ダメってむつかしいですよね。

私のダメは誰かのヨイだったり。

上手く言えませんが、
価値観とか正義感とかとか。
自分の中でもバランス取るのがむつかしい。

なんと言うか、結局のところ「好き」「嫌い」のような気もしたり・・・

あっ。

挨拶も無く失礼しました。

少し酔っており、ワケの解らぬコトを書いてしまいました。


申し訳ございませんでした。

Posted by たかくら at 2014年05月31日 23:51


歴史が教えてくれる最も重要なこと。
それは、「正義とか悪」「道徳とか非道徳」「常識とか非常識」、そういうものは所詮「相対的」なものにすぎないという真実です。
時代や処が違えば、つまり時空間が異なれば、いとも簡単に正と負が反転すると歴史が教えてくれます。

では、どうやって基準値を得ればいいのか?

結局のところ、「自分自身の弱さを受け止められるかどうか」、これに尽きると思いますね。

これはある意味「死を受け止める」という事と同じですので、口でいうほど簡単ではないわけですが。

人はこれを受け入れることができないからこそ、死から逃れたくて「宗教」に走るし、【自分の弱さを認めきれない弱さ】でもって他人を攻撃するんでしょう。



組織の肥大化も同じ機序ではないでしょうかね。
際限なく成長するのが目的化してしまうのは、内部にいる人々の保身が動機で、その集合体が組織なのですから。
弱いから群れを作り、弱いから保身で精一杯になっているわけです。
小は家族や友達グループから、大は国家まで。
すべて同じだと思います。

「弱さ」があるから、「膨張を続ける」しかできないのではないかと感じています。


日本の国土面積や食料生産などを考慮すれば、適正な人口は5~6千万人というところなんですけども、まだ1億以上の段階で、「国力低下が深刻になるから移民を導入するしかない」という発想。

これに何も疑問を持たず、不安になり受け入れるしかないと思ってしまう情けなさ。「なぜ人口が減れば貧しくなると思い込んでいるのか」

小さな国土に世界でも10番目くらいになる億を超える人口を抱え続けざるを得ないという。
これはつまり、「経済大国でも技術大国でも何でもなく、人間を奴隷のように酷使して使い捨てる事で金を儲けてきた国であった」と白状してるようなモンですよ。

技術や経済力が本物なら、人口なんざ関係ない。
豊かさが本物であるなら、過剰な人口は必要がないんですよ。

若者たちに良い未来を渡す気があれば、肥大化して腐ってしまっているアレコレを縮小整理してバトンタッチしなきゃいけない。もちろん多すぎる人口もです。

そこに目を向けず、財界や官僚にケツを叩かれた国会議員に煽られて、将来が不安になってしまう思考停止ぶり。

「年金が破綻する」
既に破綻してますよ。議員・高級役人以外はもう年金で暮らすのは無理だし期待するのが間違い。手遅れ過ぎます。

「介護者がいなくなる」
何歳まで生きるつもりなんです?
そもそも「費用」をどうするつもりですかな。
保険などアテにしても無駄。自治体の殆どは破綻します。
これもやはり、恩恵は大金持ちと議員・高級役人だけなので、殆どの人には無縁な話になります。


今の若者、特に小学生以下に、マトモな国を残す気があるならば、一度デフォルトして「きれいに」しておくしか方法は無いと思いますけどね。


とにかくまぁ何というか、自分で考えるという事をしませんなぁ、この国の多くの方々は。
中国が、韓国が、と余計な心配を「させられて」、自分の国の状態を理解できない。

中国も韓国も北朝鮮も、日本も、同じように「政治はクソ以下」ですよ。よく似てますな。

裏でアメリカとつるんでる中国は、したたかなヤクザと同じでね、日本はもう太刀打ちできません。勝手にアメリカと三文芝居をヤラせておけばいいのであって、かまう必要はない。遊んでやって中共を助けてあげるのは愚の骨頂。

韓国は、仏像をかっぱらったり、米国に慰安婦像を造るなんてことはするべきじゃなかった。ああいうやり方は間違いですな。こうした事を止められない韓国政府はマトモに機能していないと思えます。これではもう正常なお付き合いは無理。
ならば、関わらないで放っておけばよいだけでね、何もこちらから構ってやる必要はないでしょうに。

拉致被害者。
いつまでやってるんだって話でしょうが。
嘘つきのチンピラみたいな北に、なんべん騙されりゃ気が済むんでしょうかね。あれは国ではなく、世界最悪の犯罪組織ですよ。なんでギャング団と交渉なんかしてるんでしょうか。
ま、小泉さんみたいな名誉が欲しい政治家としての色気でしょうが、もし総連本部を返すようなマネをすれば「売国奴のクズ」と言うしかないでしょう。
アレは、スパイ・テロ・犯罪の巣窟であって国家ではないという事を忘れてるとしか思えませんな。

日本。
オリンピックを控え、何やら非常に景気の良さそうな事ばかり聞こえてきますなぁ、昨今は。
しかし、少し知恵のある方は「巻き添え」を恐れて、海外に高飛びできるように準備を整えておる様子ですよ。何を恐れているかは各自でご想像頂くとして(破産したくないんでしょうな)、まぁこれが実態です。



かなり脱線してしまいました。
ダメな所を直視しない、自分の弱さと向き合えない、どうせ寿命が来るという事を受け入れきれない、ここが病気の大元だと言いたかったのです。


ハッタリではなく、本当に強いのであれば、何も自分を大きく見せようとしない筈なのですよ。
内面が充実してれば、「ミテクレ」なんぞどうだっていいでしょうからね。
そのレベルになっているものは、個人としても、国家としても、現実に存在していますし。


逆説でも何でもなく、【自分の弱さを認められる度量を持てるのは強い者だけ】ということでしょう。


強いもの(真に豊かであるもの)は、能動的で、情報を取捨選択・分析整理し、自己主張ができる。

弱いもの(心が貧困であるもの)は、受動的で、情報を鵜呑みにし、他人を攻める事を自己主張だと勘違いしている。


まずは、自分が普通の人間でしかないことを認める。
人間は不完全であり、間違いも犯すし、弱いものであり、いつか必ず死ぬ生き物だと理解しておく。
これを前提として進む事で、人は正しいチャレンジ精神とか努力を経て、幸せを得ることができるのではないでしょうか。

「前提の段階で逃げている」、最も基礎的な部分を見ないようにしているというか、精神構造が無意識に回避させているというか、目を背けてスルーしているような気がしてしまうのですよ。この国はね。(何故か東アジアの漢字文化圏各国はよく似てますな。儒教なのか、独特の封建なのか分かりませんが)

本当の話、日本や中国や韓国なんぞが「我々の国は豊かになった。豊かである」なんて自分で言っているのは、キツいジョークとしか思えません。
「ゼニゲバ=豊か」という感覚は、お笑い草。

金に目が眩んで自国の文化を破壊しまくり、住民の心をどんどん貧しく荒んだものにしていくのが豊かさだと言いたいんでしょうか。
経済なんたらが始まる前は、こんなにギスギスした心根の狭い国民ではなかったでしょうにね、三国とも。

強がったり大きく見せようとするのは疲れると思うし、もういいかげん疲れていると思うんですがねぇ、本当は。

「金はあるが、実態は人権無視の後進国」
これを認めようとしませんので、まぁこれから先も同じでしょうな。


「真の豊かさとは何か」
これを考える事も、自分のバランスを計る指標の一つになるかも知れませんね。

Posted by 魚山人 at 2014年06月01日 05:11


魚山人様


いつも記事の更新、コメントへの返事

ありがとうございます。


今回のコメント欄を読んで、

とても深く感じ入った所がありましたので。


自分の頭の中でいろいろ考えていることを、

なるべくシンプルにできるように、

最近努めて行っていました。


そうすると残ってくるもののうちに、

今回のコメント欄にあることと

重複するする部分がありました。



「物事、思想は相対的なものにすぎない」


「絶対・完全はなく不完全・不確実である」


「人間というものは、死の恐怖のみで

支えられていたらしい」(某天才作家より)




この事自体も相対的なものの

一部かもしれませんが

少しうれしかったもので・・・


Posted by 野菜人 at 2014年06月01日 09:02


魚山人さん お暑うございます。

板前さんそうなんですか。
板前さん、職人さん夢は、独立して店を持つ、会社を持って親方、ご主人になることでしょうか。サラリーマンもそうですが社長、オーナーになれる人は数百人に一人ですね。成れないとしたらプロと認められ、”プロのプライド”を持った職業人として敬意と信頼感をもって名前(固有名詞)で呼ばれるといいですね。

自己愛の強い人が暴走しやすい時代なんでしょうか。
ストーカーやDVは自己愛の暴走の結果の攻撃欲や支配欲のような気がします。ネットの炎上、クレーマーなども同じ構造を感じます。たちが悪いのは、”正義”をバックに弱者を攻撃し叩く、マスコミもその傾向が顕著ですがこれも自己愛の発露なのでしょう。

魚山人さんも言われているように、”正解”は一つではないことがほとんどです。正解、正論、”正義”だけではなく別解がある、別解・別論を考えられるということが生きていくうえで大事だと感じています。

私は足るを知る、”引く”を知るで楽な生き方をしてきました。これでは変革や革新の力が生まれにくいですね。

Posted by 庄助 at 2014年06月01日 15:48


野菜人さん

いかにシンプルになれるかでしょうな。

「生まれて、僅かな人生を生き、やがて死ぬ」
こんなシンプルな事象を、いかに複雑にしている事か。

僧籍に入らずとも、削ぎ落とすことは出来るはずです。
自分が抱え込んでいるムダなものを。




庄助さん

独立してオーナーになった後が本番なのかも知れません。
言葉や文章で説明できない、「微妙な修正」をできなければ、この時代店を維持していくのは不可能です。
開店するのも簡単だが、「店を潰す」のはそれ以上に簡単だということです。
店を潰したくなければ、細かな調整や大胆な修正を的確に行える能力が必要です。

その能力の最も大きな部分が、やはり「バランス感覚」であり、「多元的に思考できるアタマ」なんですね。


>足るを知る
>別解がある、別解・別論を考えられる

書き足りなかった分を補足して頂いたような感じで、とてもありがたく。感謝いたします。


>自己愛の強い人が暴走しやすい時代

「アスペルガー」という言葉がネット上で目立つようになっておりますので、若い人も気がついている人が多くなっておるんでしょうね。

振りかざす”正義”とやらが、いかに一元論的で偏狭なものであるか、そこを見抜ける若者も少なくはないという事でしょう。

Posted by 魚山人 at 2014年06月02日 11:43


家へ来る若い子はあれが嫌いこれが嫌い、とまず嫌いな方を並べてきます。まあいいけど、どっちかっていうと好きな方を並べてもらいたいと思ってしまいます。最近ハタと気がついたのですが、和食というと大げさな気もするようなおかずなら、この嫌いなものは入っていないんじゃないかと思いました。世界中のたべものが手軽に手に入る国ですが、3里四方で採れるようなものを(大都会では無理でしょうが)味噌や醤油、塩で味付けしたらいいかもしれない。外国移民の受け入れといっても、来る方も来られる方にもいい結果になるのか、ですね。いつまでも右肩上がりってわけにはいかない、何でも限度っていうものがあるんじゃないかと思いますが、はてさて。

Posted by yojiさん at 2014年07月11日 07:42


こんばんは。
素材を味わうには、素朴な塩味がベストですねぇ。

しかし、それも今は理想論。
インスタントラーメンに馴染んだ現代人にとってみれば、そんな素朴なモンはとても食えたものじゃないでしょうな。
残念ですけどもそれが現実です。

我が道をどうやって世間で通用させればいいか。
まぁその辺が生き方とか、仕事に対するポリシーのような感じになりましょう。

Posted by 魚山人 at 2014年07月11日 18:42


イカの塩辛をたまに作りますが、塩だけであじをきめるのはストライクゾーンが狭いような気がしています。それだけに塩だけでうまいのを、とおもっています。醤油や酒を入れるとストライクゾーンは拡がるように思いますが作る方の勝手で、塩だけにこだわったりしています。魚山人さんに書いてもらってうれしかったです。


板前でもコックでも料理研究家でも必死で精一杯やってる方はかっこいいとおもいます。ただ有名になりたい、とか金儲けしたいがメインの方はまあ勝手に頑張ってください、ですね。評価されてナンボですが、職人はやっぱし腕と精神が基本じゃないかと。顔もキャリアもいいけど腕と気持ち、思いの持ちようじゃないかと。魚山人さんから粋というものを感じます。カッコよさ+すがすがしさのようなもの。御自身の発展とそばにいる方へいい影響をあげて、カッコいい人を増やしてください。ピカピカの包丁の写真を見て感動しました。ここまで出来る、それをやる人がいる。目標、あこがれちゃいます。見習って頑張らなくっちゃ、というきにさせてくれます。ありがとう!

Posted by yojiさん at 2014年07月16日 09:00


こちらこそ、
どうもありがとうございます。

Posted by 魚山人 at 2014年07月16日 19:22

タイトルとURLをコピーしました