料理の死生観
レシピサイト
板前Blogって奴に何を書けばいいのかは難しいところです。 特に実用系をHPに移してからは余計に書き難い。
レシピには興味がないです。もしレシピ公開をやっていれば、そのうち誰が書いてるのか分かってしまいますしね、分かる人には。
和食には色々と流儀があり、見る者がみればどの親方の下にいたのか見当がつくようになっています。下処理なんぞは「はぐらかし」も通用しますが料理はキツイ。合わせ方、盛り込み方、材料そのもの等からでも隠しきれない特徴が出たりします。意識的にボケて外す面倒をやめて通常通り真面目にやればそうなります。
幾ら独自路線を開拓したとて習い覚えた仕事は消えない。 それが職人の性ってもんです。
『トマトの刺身』だの『ブロッコリーの刺身』だのといったふざけた記事ばかり書いておりますが、アンチテーゼとまではいかないにしろ反面教師くらいにはなるのではないか。便利すぎる浮世に対してです。たんに皮肉でしかないのかも知れませんけどね。
本人が出て「魚山人」が消えればこのBlogは終了です。
まぁ簡単にはそうならぬ様な細工をしてサイトやってますけども。
だからと言って板前である以上料理レシピに無関心なわけはない。
時々ネットの料理サイトを回ることもあります。
しかしまぁ一体全体どれくらいのレシピサイトがあるのか。
数えられる筈もないが膨大であることは間違いない。
多すぎるもんは無いのと同じ。
結局定期的にお邪魔する料理公開サイトは二つだけです。
家庭料理は『ほっこり日記』さん。
日増しにプロの技が躍動する『ひとつむぎ blog』さん。
偶然ながらお二方とも女性ですが、おいらにはこの二つのサイトで充分です。その理由は「料理は人が作る物」だからです。決して無機質なものではなく生きているのが料理。
料理に生命を与えられるかどうかは「人次第」です。
どうせ見るのなら死んだ料理よりも生きてる料理を見たい。
だからほっこりさんとあこさんのサイトにおいらは行くのです。
生きた料理
死んだ和膳より
生きたメシ
どのような場合でも人間は『自分流』です。たとえ流さるまま浮世の風に自己の考えを左右される風見鶏みたいな人でも、やはりそれはそれで自分流。
日本料理と和食とお惣菜。
きっちり壁が存在します。定義らしいもんはアヤフヤですけどね。
考えてみれば不思議な話ですが、外国も似たようなもの。
「普段着と外出着」と考える他はないでしょう。
「生きているかどうかは死んでみないと分からない」
無茶苦茶な言葉ですが、死生観の概念からすれば真実です。
ニーチェが神を殺し、サルトルなどが実存主義を構築。
だが現代社会は古代ローマと本質的に変わらない。
拠るべき神は死んでいる。
ニヒリズムや無常観が世に漂うことになります。
何を書いておるんだか伝わらなくなり、
「魚山人さんアタマ大丈夫?。耄碌したの?」
そんなご心配をかけたくないので、中略します(~_~;
要するに死んだ料理に生命は宿ってないってことです。
(当たり前ですが 笑)
では生きた料理とは何か。
それが分かれば苦労はしませんよアナタ(笑)
店で出すことは絶対に無いにも関わらず妙なモン作ったり
芋の煮っころがし作ってみたり
それもこれも答えが知りたいからです。
色々やって来てふと思う事。
生きてたり死んでたりするのは料理ではないのかも。ですな。
と、いうことは・・・・・
お疲れ様です
好きな雨が降りそうで降らない空、ベランダから、眺めていますと この記事を読ませて頂いた後だけに ふと自分の心ってやつが何なのか、考えてしまいます
自分は三十路前くらいは華やかかつ見た目ってやつも、大事だろって気持ちが強かったのかもしれません。食材の合わせ方や食い味の変化には沢山頭を使ったし
二尺四方の大皿に盛り込むのも楽しくてしかたなかった。 カウンターで懐石やら会席やら値がはる食材を料理しても あまり好まないお客さんも沢山みてきました
この時期ならカウンターに夏野菜を用意したりしていましたが、決まって ある意味板前仕事をさせてくれません。 オクラさっと茹でてスライスして生醤油と鰹節でくれ 玉蜀黍?かき揚げより 焼いてよ生醤油で 胡瓜なにすんの?鱧ざくにします いやそのまんまかじりたい、旨い味噌だけ添えてよ、洒落た切り方はいいよ(笑)
血気盛んなボンクラの若い自分なら 嫌な顔をしたのかもしれません。しかし自分も今はそういう食べ方を馴染みの店ではしますし、あまり付き合い以外は見た目重視の日本料理は行かなくなりましたね
お客様によっては華やかな料理を好む人もおりますし、食材そのものを味わいたい人もおります。年々器や料理も見方がかわってきていまして、 考えることがおおいいです。 今は華やかさは押さえつつ
素朴ながら板前仕事をすることのほうが喜びがあります。自分はお客様をよく観察し何が口にしたいのか、馴染みになってくだされば、分かってくる事ですが、やはりバタバタ仕事に追われながらでもお客さんの好みを知る感性と柔かさ それを持ち続ける努力をしなければ飯は食えないと思っています。 もちろん出来ない事は出来ないという気持ちは持つべきだとおもいますが、魚山人さんはいかがなものでしょうか? 伝統の日本料理も出す 奇が勝ちすぎない程度のものもだせる 素朴ながら心が落ち着く食べさせ方をしてくれる。 はたまた洋食チックに作ってみせる。 自分の心は、、、 蕎麦と素朴な一品がいいんですけどね(笑)でも真っ白な割烹着に雪駄はいて、ピカピカな包丁もって伝統の日本料理をつくっていたい。まだまだ答えってやつはボンヤリしております。 でもこの記事にありますように 自分は芋をいつまでも上手に炊いて転がせる板前でいたいです。
Posted by たいら at 2011年06月23日 18:30
こんにちわ。お元気そうでなによりです。生意気ですが、自分にとって生きてる料理とは気合い!とか、思いやり!であります。自分にとってそれを感じられる料理が、生きてる料理!かな?と、ブログ読んでて思いました。場末の料理人ですが料理はアートと解釈して続けてまして、音楽と同様に、魂を感じるものを創りたい! で毎日田舎町の市場をウロチョロしてます。それから、米酢、手に入れました。ありがとうございます。今日は鰯祭りなんで、こっちの人ににぎって喰ってもらおうと思ってます。スミマセン、どうでもいいですね、失礼。
Posted by 梅 at 2011年06月24日 00:55
とある方が『自分探し』や『自分自身と向き合う』ためにマラソンを始めた。
初志貫徹 来る日も来る日も走りつづけた。 が 自分自身が見えてこない。
目に見えるのゎ走破距離やタイムが伸びることだけ。
何年かたったある日 市民ランナーとしてゎ上々のLevelに来たことに気づき『市民マラソン』に参加。 ゴールした感想がまさに『自分自身』であったらしい。
俺もモウロクしてきやがった。
(笑)
でもな
俺 わかるんだ。
いろんな性格のヤツが居っから一概にゎ言えネェが たとえ趣味であれ 志を持ちコツコツとやってっと いつしか人様の前に披露したくなる。
音楽 絵 スポーツ
Collection的趣味ゎまた置いといて。
最高の舞台に立ち
今持てる全てを 集まって戴いた方の前で披露し
拍手を戴いた時に 人ゎふと それまでの道のりが走馬灯のように…
『食』『料理』も例外ジャネェと思う。
だからプロが存在する。
そして その過程が自分自身である。と。
その繰り返しが『人生』なんジャネェかな?って。
生きた料理を出す店ゎ現在外食業界に於いて1割も存在しネェダロね。
俺の中で『死んでる料理』の定義ゎこう。
企業が経営してる店。
プロもプロ見習いも家庭で食事作る方も
『面倒臭ぇな』って作った餌。もしくゎレシピのコピー。
んじゃ生きた料理って?…
俺ん中ジャこうだ。
志を持ち 夢を諦めず最高の舞台に立ち『これが俺の1貫です』と出された鮨。
俺ゎ鮨板だから(笑)
点心 1点も焼鳥1本も 椀1杯も同じだ。
家庭で言うなら『お疲れ様』って愛が込められた1品が亭主にゎ最高ダロし 栄養を勉強し なんとか健康を維持して欲しいとの念が込められた料理を育ち盛りの子供達に提供するべく試行錯誤された料理なんて まさに生きて 生かす料理。
爺 お疲れ様です。
我が家で外食したい店が皆無になった。
俺ゎバイトやパートが こさえる品を出す店にゎ1円たりとも払いたくネェんで。
レシピ通りなんて配合資料に汗水たらして稼いだ銭を払う気にならネェ。
神様不在のローマ帝国
上手いこと言うね。さすが!
『食』に関し言えることゎ我が国に於いて9割が暴徒化してる。
俺がもし最高の舞台(独立)に立つことが出来たなら
残りの1割を相手に勝負!
難しいが…
仮に店名がわれても
サーモンゎおかネェから!俺(笑)
爺記事の最後の1行に対応してなくてゴメンm(__)m
Posted by 鯔次郎 at 2011年06月24日 02:20
たいらさん、おはようございます。
>魚山人さんはいかがなものでしょうか?
それを書いておるんですよ、何年も、板前ボログにね(笑)
懐石の「温石」のオンのカケラもねぇ人間達が
料理はどうしたこうしたとピーチクうるせぇ世の中ですが
>真っ白な割烹着に雪駄はいて、ピカピカな包丁もって伝統の日本料理をつくっていたい
>自分は芋をいつまでも上手に炊いて転がせる板前でいたいです
それが「板前」ってもんなんですよ。
プロってのは「仕事・職業」です。
どんな業種にも「お客さん」がいます。
お客あってのプロ。疎かには出来ない。大事にするから飯が喰える。
だが、気をつけなきゃお客は「大衆化」します。
「大衆化」とは何か。 「均質可」です。
自分と同じ場所へ「引きずり下ろす」
水は自然にまかせれば「低きに流れていく」
ネットサーフィンしてみればすぐに意味が分かります。
「お仲間」に入るかどうかどうかは己の精神の強固さだけ。
ユルユルであればすぐに仲間入りでしょうな。
お客でも同じ。
いくら大切でも自己を変えるほど相手に合わせるのは間違い。
思考を停止して精神を預けてはいけない。
感情移入して引きずり降ろされてはいけない。
それが本来のプロです。
芋のしめ方も上手だが、「ぎんなんしんじょ」を滋味深く仕上げる。
たいらさんはそんな板前であって欲しい。
Posted by 魚山人 at 2011年06月24日 05:42
梅さん、おはようございます。
「鰯祭り」
楽しそうですなぁ(^^)
ギリシャだのポルトガルスペインだの騒いでんのは政府と金融屋だって事かな。
いずれ年金組には影響必須でしょうが、一般庶民は楽しそう。
ストレスを感じぬ陽気さ、金は楽しめる程度あればいい。
そうした明るさは日本人には無いものです。
陽気で明るい国。そこで学ぶ事もさぞ多いでしょう。
米酢。
そちらにお邪魔して握りのアドバイスなどする日が来ればいいなぁ・・
ああ、旅心がうずく(;_;)
Posted by 魚山人 at 2011年06月24日 05:42
鯔さん、おはようございます。
「痛い奴」だの「面倒な奴」だとの思ってる訳がない。
鯔さんには心底感謝してますよ。
おいらの「冗談」はキワ過ぎて、たまに冗談には聞こえない時がある。
(江戸人ってのはコレがいかん・・・・・)
面倒なのはおいらの方だよ(笑) アンタには頭が下がるだけだ。
キツイ混ぜ返しに耐えぬいて(今までよくもまぁ堪えたもんだ(T_T)、今後とも宜しくお願致します。
本件のコメ。なかなか気合が入ってるね。
まぁ、一言でまとめると
「コハダが旨けりゃサーモンはいらん」 って事だ。
それでいいんですよ。
Posted by 魚山人 at 2011年06月24日 05:43
すんまへん、梅です。こんにちわ。
はい、実際失業率が20%を超えてまして、特に20-25歳あたりの若者の多くが職をもてません。昔から金ある国ではないし、失業率も7%が当たり前の国ですが、今回はかなりひどそうです。
ところで昔仕事中指を切ったときに、先輩が 指切るうちはまだ伸びる って言ってたんですけど、ほんとうですか? それともただ下手なだけなんですか?
寿司の手ほどき、していただけるんですか?
ツアーの予定が決まったら教えてください。
Posted by 梅 at 2011年06月27日 00:12
梅さん
「経済と市民生活の幸福度は比例するのか」
EUへの加盟は果たして幸せだったのかどうか・・・
まあ、単純に言い切れる問題ではありませんがね。
包丁で指を切る
包丁を持ってからの年月は大きく3つくらいの時期に分けられます。
伸びる時期にはいくら切っても構わない。
だがその時期でなければ「散漫」という事になりましょうね。
まだ行ってない場所に魅力を感じますけども、
又そちら方面にも行ってみたいものです。
その時はどうぞよしなにm(_ _)m
Posted by 魚山人 at 2011年06月27日 22:32
皆様、こんばんはでございます。
またまた、現場報告でございますが呆れないで読んでくださいませ。
今日、いつもの後輩が来て色々と話をしていきました。
その後輩の事を少し・・・後輩は高卒後陸上自衛隊に3年ほど在籍し、その後関東の大学へ進学して、箱根駅伝の花の二区を走ったり、フルマラソンで優勝したりした兵です。
その後輩が、フランスとアメリカの除線設備は最低だと・・
日本の下請け会社が配管の溶接も終わってないのにテスト送水したり、滅茶苦茶だそうです、いずれ近いうち東芝が肩代わりするのでは?と言っておりました。
また、作業員の中には、こんな過酷な条件下で長い間作業するのは嫌なので、早めに被爆限度まで達して、早々に現場を引き上げたいとの思いから、特攻志願(最前線)する作業員が多いと・・その状況が続いたら近い将来作業員不足に陥るのではとの危惧も・・
そのような状況下にある東電ですが、幹部社員、一部の株主の態度はどうなのでしょう??
国のバックアップありきの強気の発言にはあきれ返りますね。
まぁこの件に関しては、このブログで散々糾弾しましたのでこのくらいに・・
でも、現場はまだまだこれからが正念場と言うことらしいですね、収束には程遠い・・
マスコミも取り上げなくなるくらい先の話のようです・・収束は。
Posted by ナオ at 2011年06月28日 19:46
ナオさん。
『長年の支配構造で身についた他人を見下す習慣』
東電の体質は一朝一夕ではありません。筋金入りです。
お詫び会見する連中さえあの偉そうな態度(笑)
悪びれた様子はまったく見られない。
国民の声が小さくなれば「原発野郎ども」はすぐに「復旧・復興」でしょうな。何度も書いた通り、あの連中の利権体質は分厚いですからね。
電力の独裁的10社構造が存続する限り連中は変わらんでしょう。
中電は浜岡の廃炉を拒否してみせましたし。
今後数十年以内に原発の巨大事故は再び起きるでしょう。
ロシアかも知れず、中国かも知れず。インドかも知れず、またも日本かも知れない。何処にしろ「起きないほうが不思議」と言えるんですよ。
人類は未だに放射能を制御しきれていないからです。
「収束」とは何でしょうなぁ。
「終息」ではない事は確かですな。
原発大国であり、また臨界事故や虚偽の報告がたびたび問題になる日本。だがチェルノブイリの追跡調査をした番組が製作報道されてこなかった。
チェルノブイリ事故は何十年も前の出来事だが、今も終わりは見えないし、完全封鎖の費用は見当さえつきかねる状態です。そして世界の原発の大半は老朽化して危険だという現実も日本ではほどんど紹介されない。
原発事故に「終息」はありません。
あるのは「未来への先送り」だけです。
Posted by 魚山人 at 2011年06月28日 22:22
今頃、ですが。f(^^;)
冷蔵庫を覗きますと、その晩のおかず以外に何か仕込んであります。
昨夜、それが出て来ました。まごちの昆布締め。
上品ですねぇ。日本酒出して来て、しみじみ。
何でも、魚屋に並んでいたそうで、ヒット!でありました。
ワームで底を叩くのは余り好きじゃないんですが、夏場限定、船道で又やってみますかねぇ・・・。
Posted by 横浜のA at 2011年07月20日 02:42
まごちの昆布締め
今の時期、それ以上の肴はありませんな(^^)
釣りの方も頑張ってください。
Posted by 魚山人 at 2011年07月20日 17:15