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「料理は科学」への違和感

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違和感 いきすぎた「料理は科学」

夢か現か 照返煌輝に目を細め 移り世


冬も終わりましたが、今回の冬は少し変わった献立を加えようと色々と試してみました。

そんなある日、大雪にインスピレーションを得て、樹氷を作ってみようかと。

大概の事は既にもうやっていますから、何か新しい作り方はないものかと黙考しばし。

お椀とデザート。
この2つを氷の柱にしてみよう!

液体窒素に特殊なゲル化剤。
その他いろいろを手配して試作することに。

なぜ冬場に冷たい煮物椀?
違うんですよ。温かい煮物椀です。

「つらら」ってのは”上から”出来るもんです。

「なぜか重たい椀のフタってか」
ブツブツ言いながら試作完成。

デザートは、「温かい氷柱」
器を開けると冷たい氷の霧。
白煙のような冷気から氷の柱がのぞく。
ところが氷ではない。
水菓子のように甘く芯はほんのり温かい。
これも試作成功。

で、献立に加えるのはやめました。

これはいつかドコか違う場所で。
少なくともこの店で出すのはやめようと。

心の何処かに釈然としないモンがあるからです。

30代の頃ハマった卵の「黄身返し」
完成した時に、「これは料理ではないな」と。

試行錯誤して作ってはみたものの、その後に、説明しづらい虚脱感というか無意味さというか、そんな感じがして、こういうものに熱中した自分自身が恥ずかしいと思ったものです。

近年はとみに「料理は化学である」という意見が目立つようになっています。

それはその通りでしょう。まったく同感です。
というか、それ以外の何者でもないでしょう。
物理学で説明のつく現象でしかない訳ですし。

でもね、やれ「分子ガストロノミー」だ、「真空調理」だ、「モダニスト」だ、「プログラミング」だ、そういう風潮に奇妙さを感じてしまうんですよ。

そういう事は、何十年も前からやっている人達がいるんです。
大手食品関連会社や大学の研究室で。

「原子」だの「カチオン」だの「アニオン」だの言いながら、分子構造をアレコレ弄くりながらね。長年そういう事をしていた研究員からすれば、「いまさら」だと思うんです。

そこに料理人の側からのアプローチが始まったというわけで、問題はそのアプローチの仕方です。

「新しい」「斬新だ」という見方は自然だと思うんですがね、「これって万能だろ」「今までのヤツは古臭くてアホらしい」「今からはコレしかないわ」、どうもそういう風に短絡するような気がするんです。

そもそも「新しい」というのが違います。

真空調理など和食では江戸時代からやっていたことだし、その他今の科学でも説明しにくい調理法が沢山あるんですよ。

先ほどの研究員の多くは博士号を持つ人達であり、周期表も化学式も丸暗記できる頭脳があるでしょう。

では、【その人達が作る料理は美味しいのか】
そこでしょうな。

おいらの尊敬する料理人の多くは学歴がありませんでね、大学まで出た人は極めて稀な例外です。

しかしながら、料理の腕は驚異的です。
だから「尊敬」してるんですが。

風潮のなんたるかは例えば以下の例。

最近、やたらと「情弱」という語がネットで使われているようです。一部の専門家にしか必要のない高度なITスキルを、さも「知っていて当たり前」とでも言わんばかりに、そういう知識を持っていない「おそらく大多数の一般ネットサーファー」に対して、蔑むように、情弱と言っておる様子なんですなぁ。

どうなんでしょかね、これは。
Googleのサイトを100%理解できるネットピープルがどれだけいるんでしょうかな、ってことでね。おいらなんぞ数行読むだけで頭が変になりますよアレ(笑)

なにゆえネット閲覧と、それに毛が生えたような知識で充分間に合っている人々に対し、「PHPやJavaを当たりまえに書ける能力」を求め、できないからと言って「情弱」と蔑むのかですよ。必要がないんですがね、そんなモンは普通。

おいらも練習の意味でWordPressを始めてみたんですが、最初の面白さもどこへやら、本質が見えた今はバカバカしくなってしまいました。

「常に進化しなさい」と、アレはそういうシステム。
古いものはいらないと。

流行を追うのが大好きな人には向いてるでしょうが、落ち着いてじっくりタイプには違和感。そもそも過剰装飾で重い。厚化粧嫌いには向いてませんな。

分業化が大きく進んだ現在、自分の専門分野を外れれば、誰だって情弱ですよ。当たり前のことです。

ウェブの制作関連が本職ならば必須であっても、ネットを利用する全ての人がプログラミングの達人である筈がない。人類すべてがデベロッパーだと思っているのはGoogleだけにしといて貰いたいもんです。

【餅屋は餅屋】 この言葉の意味をよく考えてみることでしょうな。

どんな一流大学であろうと、研究室で作られた団子よりも、和菓子職人の作った団子の方を選ぶんですよ、人間は。

こんにちわ

本日の瀬戸内海近くは晴天に恵まれ春ですなぁとかんじる気候で気持ちいいです

桜もしゅるいによりますがまんかい間近です

さて料理っていいもんですよね

しごとではないのですが楽しくなってしまいます

とくにたべていただいた方が笑顔になった瞬間はたまりまへんなぁ

やはり科学だけではないようにおもえます

芸術のようそもあり会話術のようそもあり。。。

でもそのどれよりも素晴しいぶんやだとおもってます

はなしはかわり氷柱ですが気候条件によりまれに下から上にできたようにみえるものもあるようですよ~

じっさいこの目でみました

でわ多くのかたが新しい期をむかえられるとおもいますのでよい期になればいいですね

Posted by 貂 at 2014年04月01日 17:52


デザートの献立名は「氷筍」です。
氷筍は、タケノコのように地面から伸びる氷柱のことですね。大滝の氷筍が有名ですな。

氷筍は鍾乳洞で見られるものですが、ある湖では風により湖畔に奇妙な形の氷柱が出来るとか。これもやはり上に伸びるものです。

Posted by 魚山人 at 2014年04月01日 21:27


目にしましたのはそういった現象ではないようです

身近なかたの庭先でおこった現象なんですが氷点下の日に氷った水面にまるで突き刺さったかのような物体がありました

空からふってきたように見えましたが上空にはなにもありません

理解不能でしたので国立大学院で化学を学ばれた友人に相談しましたらそんなものは自然現象ではありえないし空からふってきた場合は重力のかんけいでそのような状態ではそんざいしないとのこと

あとで調べましたらゆったりと気温がさがっていく日にまれにおこる現象だそうです

物理はぜんぜんわからないのでマル子先生に解説していただきたいところですが水が氷結するさいじゃっかん膨張するのでじょじょに隆起しそのような物体をけいせいするそうです

目にしましたのはタバコの箱くらいの包丁の鞘のように中が空洞になっているものでした

気候条件によりいろんなかたちがあるようですよ~

自然現象っておもしろいですね

Posted by 貂 at 2014年04月02日 00:10


お疲れ様っす!爺。

料理が科学だとしたならば
俺ゎたぶん 辞めてますね。
この職を。

科学的見地から学ぶことゎ素晴らしいことだと思いますが
料理の行き先が【ぉ客様】である以上 料理とゎ人。
そう思っています。

料理の行き先がロボットならば
餌のような科学メシでも構いませんし むしろその方が理想像。

我々が食事をする際 何通りかの選択肢が存在しますが 皆様ゎどんな食事が御好みで?

どの選択肢を選んでも銭がかかることゎ必須。例え自給自足でもね。

どうせ銭がかかるんだから
価値あるものを食べたいよね。

俺。数字にされた化学式ヨロシクな食べ物? 無理。

価値あるもの←高価なもの。
ぢゃないんです。
心のあるもの。

それこそが料理だと思いますね。
今や世界各国の料理や 様々な調理法が存在しますが 例えば横浜で
蕎麦屋を探す。なかなか良い蕎麦屋がない。

鮨屋もそうだし和食もそう。

高くて旨いのって 当たり前でさ
しかし ある程度の味ゎ原価がかかるんで仕方ない。
これゎ外食に限らず御家庭の料理でも同じこと。

しかもそこへ【健康】なるキーワードが入るとなるともう…

ところが それを可能にするのが
世に言う【板前】だと自負します。

我が職場である鮨屋。
客層を見ると だいたい成人病であるか 逆に健康的な方か 分かれるんですよ。

これを科学的に考えると
「銭の使い方」に間違いありません。

グリセミックインデックスや炭水化物といった単語がありますが 結局ゎ銭だったり(笑)

爺。まだまだ爺の書く記事ゎ必要かと思いますね。
何故なら 政治以上に食事を見直す必要があるからです。

気ゎ心。ならば心の支えゎ食生活と言っても過言でゎない。

まともな気を発し 選挙に挑むにゎ
まともな食事が絶対。

これからが勝負だね。我々の。
素敵な国になるにゎ我々が生き残ること。

我々ゎオモチャぢゃねぇんだよ。

活きているのだから。

Posted by 鯔次郎 at 2014年04月02日 01:11


こんにちは魚山人様
『餅屋は餅屋』とゆう言葉が響いてコメントしました!
自分は10代から鮮魚店に勤めていて日々考えて考えて思うのが、肉は肉屋で買うのに魚は魚屋で買わないのかと…
近所に精肉店があり大変繁盛しています、しかし自分等の店はいい話を聞きません
スーパーに行きますと、魚は高いしうちら専門店とは比べ物になりません!
はっきりしてる事なんですが…
お客様はスーパーに流れる
時代なんでしょうか?
なんか寂しい気がしてなりません!
持論何ですが…
スーパー等で買い物してる方々の気持ちもわかります
例えば、魚屋さんは仕事が雑ですよね
魚の下処理はしますが、ぬめりや鱗がきちんと取れていない、販売してる品物それぞれの量が多すぎる、店員が話しかけてくる等色々スーパー等の大型量販店の違いが沢山あります!
それが個人店の色だと思うんですが…
魚の下処理は自分が一番大切にしている仕事の1つです!
一般家庭で数少ない魚料理が選ばれて、買い物来て頂き、雑な仕事をしたせいで魚嫌いになられたら困りますし、魚好きな自分としては悲しくてなりません!特に子供が食べたときに生臭いなど悪いイメージが付くとその子は魚を嫌いになるでしょう
そのために下処理は丁寧にしているつもりです!それは少しでも魚離れを食い止めたいと思う気持ちと、『雑な処理=客離れが』が自分の中にあるからです!
長々とまとまりのない文章でスミマセン(泣)

Posted by 魚小僧 at 2014年04月10日 10:55


魚小僧サンm(__)m始めまして。

気持ちゎ札しますが
もう少し冷静になって分析しましょうよ。

魚屋だけぢゃなく
乾物屋
文房具屋
布団屋
お茶屋
と 昔なら商店街に必ずあった店が消えている事実。

やはり大型大衆店(スーパーマーケット)の出現が 原因かと。
が。そんな中でも頑張る店がある。
それゎ 絶対的信用を持てる店。
ですよ。

例えば 魚屋サンを利用するぉ客様って
魚をさばいたり 卸したりするのを苦にしない方々。でも 現在 そんな方々ゎ希少。
スーパーマーケットでも魚をさばいたりしてくれるしね。

問題なのゎ品質です。

鮮度や 魚のクオリティ。
これにゎ原価がかかります。
要するに高いから。

そこを どうバランスとるかでしょう。

安くて良いものゎそんなに存在しませんよ。まして加工の技術も関係ない素材その物を販売する商売ゎね。

ところが そこに技術がプラスαされるとしたら スーパーマーケットで魚を購入しない ぉ客様が顧客につくかと。

そして そんなぉ客様方々ゎ必ず何かを見ています。
それが姿勢だったり庖丁だったり。
嘘ぢゃありませんよ。

なにも「高級店」と言いたい訳でゎありませんよ。
魚小僧サンが どちらからコメントをしてくれたかゎ存じませんが 少なくとも
横浜くんだりでゎ そのような風潮にあります。

要するに 二分化された国民の どちらを商売の相手にするか。でしょう。

魚小僧サンゎ雇われの身のようで
俺とおんなじ。
仕入れに口出しゎできないでしょうが それこそ技術ですよ。
素敵なぉ客様を 顧客サンにする努力をしたらいいでしょ。

「忙しいから ソコまでしてやれねぇ!!」←これ。ただの言い訳です。

雇われの身同志♪頑張りましょうや


時間とぉ客様をさばくのも技術です。
かといい 量販店の魚部門にも なかなか腕のある職人芸を披露する輩がこんなご時世なのか いらっしゃることも現実。
とにかく負けない気持ち!!これを大切に このblogを読んで下さい。
よろしくお願いいたします。

Posted by 鯔次郎(魚山人の部下) at 2014年04月11日 01:36




>最近、やたらと「情弱」という語がネットで



本当の強者は虚勢を張る必要性がない

弱い犬が吠えるのは防衛の為の威嚇

したがって

ヒトに情弱と言ってる人が情弱


Posted by マル▽ ̄(エ) ̄▽ at 2014年05月13日 09:43

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