失敗料理
「何年板前やってんだ、お前は!」
深く考えると、思いやりのかけらも無い惨い言葉ですが、板場ではよく聞く罵り言葉です。かく言うおいらも口に出した記憶があります。
頭に血が上り、配慮に欠けてしまったというわけで。
怒りってのはね、『苦い味』がします。
煮物から目を離してしまい、悔恨と自動化された動きで味見をしますと、なんともいえない『嫌な味』がします。本当は味見なんかしなくても、見ただけで酷い味になってるのは分かるが、承知でも味をみなきゃいけない。板前の性ってもんで。
その味と似てます。
先日このブログに、赤面のいたりとしか言いようの無い、みょうちくりんな記事を書きましたら、メールを頂戴いたしました。
稚文を恥ずかしげもなくブログって形でWebに公開するようになってから仲が以前より良くなった、年下のお友達からでした。ありがたくも読みごたえのある長いメールです。
少しだけ公開します。
「・・・・・私のブログ経験ですけど、怒りにまかせて書いた何かを非難する文章は勢いもあり受けも良かったです。カタルシスでしょうか。でもすぐに気がついたんです。こんな文章は心に残らないし、記憶にも残らない。だけど私と反対に、『笑いをとる』文章も、『泣かせる文章』も『ほのぼの』を書いている人も結局はだめになると思います・・・」
「映画の鑑賞歴が長いからでしょうか、こういう結論を引っ張りだしたんです。人がいつまでも訪れるサイトは、ハウツーを除けば弱さを曝け出す『へたれ』なんじゃないかって・・・・・・・とにかく怒りはだめ。なにも残しません。残るのは鉛をなめたあとのような苦い味だけですね・・・・」
*改行、省略以外は原文のまま(本人了承
結局は自分のことを引き合いに、ブログに疲れ気味のおいらを励ましてくださってるんですな。まことにもって言葉がないままこうべをたれるだけでしたが、
>鉛をなめたあとのような苦い味
これが心に響きました。
人間の舌はね、美味い物は残らないんですよ。反対に苦くて不味いものは長く記憶に残るようになってるんです。
(快感は瞬時で痛みは長引く体の構造からしてそうですが)
これを置換えて考えると、相手を誉める言葉を吐いた自分は忘れるが、烈火のように怒った記憶は苦い記憶として忘れられないってことになります。
わざわざ苦い思いをしにくる人はいないし、笑いは記憶に残らない。
こうおっしゃってくれてるんですな。感心いたしました。
しかしね、怒りも涙も喜びも必ずついてまわるのが人生ですよ。
感情の起伏があったほうが人間らしいとおいらは思います。
なんでもかんでも「うるせぇバカヤロウ!」って野良犬みたいにギスギスした人間もいただけませんけども、鷹揚にどっしりとした人間、ふわふわして流れ雲みたいな人間もおいらは少し違和感があります。
この中間あたりで悩み苦しむのが、人ってもんじゃないかって気がするんですよ。
その喜怒哀楽に演出の臭いがするのが昨今Webで流行りなのが気になってるんでしょうが、あなたは全然違いますよ。喜怒哀楽の裏に素直さがあるからです。メールをどうもありがとうございました。