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料理を美味しく食べるには

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料理を美味しく

料理を美味しく味わう最良の手段は、「先入観を持たない」こと
先入観というものの定義は微妙ですが、「無知」で構わないでしょう。

つまり「知らないでいる」という意味です。

その味に対する経験があると、「期待値」が高まる。その期待感が脳内のドーパミン放出につながり、恍惚感を持てる。

しかしね、ドーパミンもβ-エンドルフィンもいわば「麻薬」に近いものです。「中毒」というものは「前よりは次、その次はさらに・・・」という具合でもってエスカレートしていく性質。

これってのは冷静に考えてみますと、「無いほうがまし」ということじゃないか。

すると【「終わりがない」状態は「始まりも無い」】という事になり、ループになってしまい「宇宙論」と同じく禅問答と化し、話が終わってしまいます。

「宇宙には始まりがあった」と言う奴がどうしても分からない(特にマル子が説明するインフレーションだのマイナス何十秒乗だのは、いくら聞いても無理)。じゃあ、始まる前は何だったのか?
「なにも無い場所にユラギが・・・」
そんなのは日本語でも地球語でもねぇ!
なんで何も無いはずなのに、その場が「存在するのか」、なんでゆらぐのか。ゆらぐのはオイラの頭だけだっての(笑)

毎日毎日料理のことばかり考え続けノイローゼになったのか。
ま、別にそうことじゃありませんけども、美味いものを食いたい執念は強い。

美味い料理を食べたいし、作りたいと思うんです。
だが舌はもうスレきって、あらゆる料理に鈍感。

自分はね、「既知の舌」が憎い。
訳知り顔の「ドーパミン」が憎ったらしい。
自分の「食べ歩き人生」に腹が立つ。

味覚を感ずる味蕾を、「リセット」できたらどうか?
その料理に対する「予備知識」を消せないものか?

「夢を売る芸能の消滅」と料理

スターたちの「露出」

これが例えになるか微妙ですけども。
俳優や歌手がおりますな。まぁ、スターのことです。
自分にも好きなスターが何組かおります。

ですけどね、そのスターたちの「素顔」を知りたいとは思いません。
若い頃はともかく、分別のある今はそうです。
テレビやラジオなどでの「トーク」も嫌ですね。
観たいとも聴きたいとも思わない。

見聞きしたいのはね、彼・彼女らの本業(芸)だけ。

あの方々の魅力や主張は【フィクションなればこその魅力】なのです。

現実である「本人」には興味がありませんね。
知れば知るほどイメージと乖離していくだけ。まず絶対に失望します。

(ちなみに自分はみゆきと拓郎が好きですが、「本人」には興味なし)

したがって、今のスターたちがなにゆえ「自分の地を露出」するのか理解に苦しむ。仕事は、夢を売る、芸を売るのが本業なはずなのですがねぇ。

「自分だって人間なんです」って言えば言うほどスター性が消えていくだけ。見てる側は「スター」だから見たくなるのであって「普通の人間」になんか興味は無いと思うんですよ。だって「普通」なら自分の周りにいくらでも居るわけだし。

「ファン」と「スター」の微妙な距離感。難しいことですが、所詮は「フィクション」なのです。そのへんの虚々実々の「駆け引き」って奴が日本の芸能の世界では完全に失敗していると思います。なのでこの世界は間もなく崩壊するでしょうね。

米国のハリウッド。パパラッチの攻勢が激しくとも、なんとかまだ辛うじてそれを維持できているようです。が、日本じゃもう「芸」だけではどうにもならず、「電波芸人」として芸ではなく自分自身を露出してなきゃ飯も食えないって有様。

「普通っぽいところが良い」
ファンもスター本人もそう思い込んでいるらしい。
もう30~40年もこの感覚。

これは完全に子供じみた「錯誤」であって、大きな間違いです。
(なぜ錯誤かと言えば、夢と現実の区別をつけられないから)

手の届かぬ場所にある、夢やファンタジーのようなフィクション。
それってのは、誰もが「手が届く」と思い始めたら消滅するだけです。

「夢」のない音楽や演技など、金を出して買う値打ちは無いですな。

背景には「デジタル時代」って奴。
音楽も、演劇も、人々に幻想を抱かせるのは困難を極めるでしょうね。

「本人の露出」はそれを更に加速させ、将来への道を自ら閉ざしているだけです。

我々が「スター」だと思う方。映画出演のみでその地位を達成した俳優。
まぁ高倉健ですけどね。
あの人の「普通の面」を我々が知らないからこそ、「高倉健」なのですよ

「フィクションなればこその魅力」この言葉で思い出しますのは、中島みゆきの【夜会】という舞台。彼女は【「言の葉」という食材を料理して提供する超一流の料理人】だと、自分はそう思っております。彼女の腕の冴えは、「食材の本当の味」を見事なまでに引き出す技に集約されましょう。その味と、料理の完成度に魅せられて夜会に足を運ぶ訳です。その「料理」を食べた感想。「現実と乖離したフィクションを目指すほどに、何故か現実が浮き上がる」

料理の味

とは言うものの、予備知識や期待感を持たずに料理を前にするってことは現実でまずあり得ないでしょうね。味蕾を赤ん坊の頃に戻すのも無理。

「リセット」なんて、どうやればいいのか。

我々の食に対する嗜好は、経験と記憶に由来するものです。
特に嗜好学習初期の頃、つまり子供の時の食経験が大きい。
「おふくろの味」を生涯忘れられないのはその為です。

これを「初期化」するには、記憶喪失になるしかないのか?
それがね、どうもそうではないようです。

つまらない「自分個人の話」などをして”露出しまくり”
そんなモンとは無縁の、届かぬ高い場所にいる本物のスター。

これがヒントですな。

ようするに、リセットが無理なら「新星」を探せばいいのですよ。

「知らない」というのは、どういう意味なのか。
「まだ食べたことのない料理」なんて存在するのか。
存在しないとすれば、どうすればいいのか。

抽象的にすぎましょうが、後はご自分で色々お考え下さい。

長年考え続け、断食までして試行錯誤してきたアレです。
提起だけにとどめておいたほうがナニでしょうからね。

でも、答えを一つだけ書いておきましょう。

料理の味ってのはね、その料理だけじゃ完成しないんです。

つまり、料理のことだけを、いくら考えても無駄なんですよ。

人間の心理、つまり心とリンクさせて初めて完成するんです。
鍵は人の「思考の仕方」にあります。
食の嗜好とは人間の思考性そのものなんです。

魚山人様


つい最近まで、中島みゆきの
劇場版「歌姫」が上映されてましたね。


知ったときには、予定が詰まっていたので
残念ながら見れませんでした。


随分前になりますが、こちらのブログで
いまだに記憶に残っている記事があります。



確か  「中島みゆきに国民栄誉賞を」


と言う題だったと思うのですが、
返事コメントがゼロだったような
記憶があります。

この場を借りて、1票ですが


  賛成!(笑)

Posted by 野菜人 at 2012年11月03日 11:57


お疲れ様で-す!

あっそ…
爺の舌 かわいそうだな。
正確にゎ味蕾か。

俺なんか まだまだ食べたいモンだらけだし おそらくゎ独立しないと扱えネェであろう食材が てんこ盛り。

だいたい子鯔達にも まだまだ食べさせたいモンだらけ。

今ね文化祭上がりの1号が
Macのハンバーガーを冷凍庫から出しレンヂで半解凍し間にチーズ挟んでから またチン!してる(笑)
はい。食育恥ずかしい次第で…


舌の話ゎ置いといて
「耳」
どうも爺と俺とゎ「聞く」部分が違うんだな。
爺ゎ歌声を「謌声」と聞くみたいね本能的に。
俺ゎ「音色」を聞いちまう。

例えば とある楽器で とある曲を奏でた場合に 爺ゎ指揮者を汲み 俺ゎプレィヤーを汲む。 そんな感じ?
吉田拓郎も中島みゆきも
俺ゎ嫌いぢゃネェが 嗜好に合わない。「声」が だ。


「ドーパミン」が 出るヵ所が違うのゎ 仕方ネェな 嗜好の問題だしな。
でも爺ゎ知り尽くした方。
こんなコメントおこがましいが爺ならわかんべよ。


「味」

それこそ宇宙規模。
食材…良いものゎ値段が高い。が
爺の言う
「コハダを食いに行くんでぃ!」コハダ2カンで\300。として
\290で一食な方々に「高級魚ぢゃネェ!」って言える?


またコメしに来るゎ。
続きを。
邪魔が入りましたんで。

Posted by 鯔次郎 at 2012年11月04日 00:49





>そんなのは日本語でも地球語でもねぇ!

ってヤンでぇ、、、、べらぼうめ。。。。ヽ(*`(エ)´)ノ


あははははははははははは

確かにそうだね

でも 一つだけ


  実証不可能な主張をオカルトといふ

しかしですな、、、宇宙論はオカルトとは違うのでするよ

背景放射等の裏付け  モデルを使った論証

時空の相転移。。位相的欠陥。。 オカルトにしか思えなくたって 科学 なの

オカルトならば宇宙科学は根底より崩壊

火星まで宇宙船を送ることは出来ていませぬのじゃ




「中島みゆきは 言葉 を料理する超一流の料理人」

このくだりは流石でする。。。。。。


Posted by マル子 at 2012年11月04日 03:11


お疲れ様です。魚山人様。

これまた、恐ろしく難しい難問を…
有り難うございますm(__)m笑

私も中島みゆきさんは大好きです。記憶に御座いますのが「ファイト!」でして、この歌は中学生位の時分に何度も聞き、何度も泣いた記憶がございます。

みゆきさんは、素材本来の究極な引き出し方と、聞く側の心の根っこにある部分を極限まで引き出してくれる様な気が致します。これがリンクすると言う事でしょうか。

自分が拵える料理もそうでありたいですが、まだまだ手の届かない世界ですので、何も書けませんが。(泣)

でも「リセット」しようなんて考えもしませんでした。
食した事がないものだらけの中、「リセット」する概念は全くありませんでした。
でもそういう事を仰っりたいのではないと思っております。


何を持って「リセット」と言うのか。「記憶」、「期待」は消さずに美味い料理をベストな状態で食すって…

考えても考えても、堂々巡りしそうな気が致します。
美味い鰻さんに出会ったら必ず興奮、至福の一時になります。さて、飲みましょうかね。って。笑

でも、他の鰻さんも美味いのには違わない。これは勿体無い話ですよね。

これからも考えてみます。何か気づいたり理解したらまたコメント書かせて戴きますm(__)m

因みに、宇宙のお話はタイミングがばっちりで驚きました。昨日小松左京さんの「果しなき流れの果に」を読み終えたところです。
非常に面白いお話でした。ですけど、所々理解不能です。笑
あんなん無理です。笑

だだ、それこそ、魚山人様は何処かで見てるのではないかと疑ってしまいます。笑
長文失礼致しましたm(__)m

Posted by 鰻乃慎 at 2012年11月04日 18:32


野菜人さん
鯔次郎さん
マル子 さん
鰻乃慎さん

コメントをありがとうございます。

この記事は、それぞれに思いを巡らせて頂きたい。

鰻乃慎さん
マルちゃんがブログ記事に出した本は、そのつど必ず読んでいます。
もちろん「果しなき流れの果に」も読みました。
50年前から「極限の果て」までたどり付いておったんですなぁ小松さんは。


マルちゃんのHPは専門用語だらけで、おいらは8割方理解できん。そういうサイトなのは分かるが、もう少し「マル子調」でお願いできないもんかね(^_^;)。(英文は好かん 笑)

Posted by 魚山人 at 2012年11月05日 00:25


お疲れ様です。爺。
昨日ゎハンパで
ゴメンでした。

で 続きなんすがね

コハダと\290の弁当んとこから。メンドクせ-から要約する!

「価値観」がね ブッ飛び過ぎてるよ。爺ぢゃなく世間様が。

芸能も料理(家庭の食事を今ゎあえて外して)も共通して言えるのゎレシピ化。
爺の言う「役者や歌手が私生活を」なんて まるでレシピ化。

何故か…そりゃ料理人と一緒で 生演奏や芝居ゎ同じ演目でも100%同じゎありえない。 実ゎ俺 高倉さんの演技ゎあまり好きぢゃネェんす。だって毎回同じぢゃん。

芝居
料理
俺が求めるのゎ
「提供された瞬間」
「提供した瞬間」の
やりくり。
細かい説明ゎ野暮だな。


実ゎ「リセット」なんて必要ネェし むしろ無駄と わかりながら記事書いたろ…爺。

はなればなれになった価値観に この記事の意味が届くといいね!

Posted by 鯔次郎 at 2012年11月05日 00:47

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