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料理のオリジナリティと言葉

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料理と言の葉

料理も他の分野と同じく「模倣」から始ります。
素晴らしい手本を模写する事で腕を磨くのです。
名人達でも例外はほぼ無いでしょう。

「真似っこ」から「自分の料理」になるきっかけ。
それはいったい何でしょうか。
独創性やアイデアの源泉はどこから。

「あの人は生まれつき独創性を持っているから」
一般にはそう言われますが違います。

重要なのは「言葉」です。

正確にいえば「言葉に対する感受性」
そして「自分の言葉を持つ」と言うこと。

これを身につけねば一生「真似っこ」で終わる可能性もあります。
そして奇抜な創作料理とやらが自分の料理であると勘違いしたまま、つまり「料理の本質」に手が届かぬまま料理道を進んで行く人になる。

料理がオリジナルになる日

板前の名人クラスには無口な方(すくなとも公の場では)が多いです。
これは「語る言葉が無い」からではありません。「言葉に対して慎重」だからです。つまり言葉の重要性を理解しているのですよ。

「自分の言葉」なんてのは思いつきで軽々しく出てくるものではありません。「使い古された陳腐な言葉」を避けるには思慮黙考が必要なのです。

簡単に言いますとね。
「つねに考え続けている」のです。
それ以外に新しいアイデアを生み出す方法はありません。

創作料理に批判的なわけではありませんよ。
ただし奇をてらうだけで、その料理を説明する「言葉」を持たねば子供の玩具と同じなのです。
分かりましょうかね、「背景」が必要だって事ですよ。

その「背景」はすなわち料理修業で会得した基礎・基本、そして「言葉」です。

「自分の料理」をモノにできるか、
それは「自分の言葉」を得れるかどうかで決まります。

いまいちピンとこない方は志の島忠先生の著書、道場六三郎先生の語り口を想起されるとよいでしょう。

言の葉とは何か

言の葉とは時代に左右されない普遍性を持つものです。
したがって流行の馬鹿言葉とは無縁です。

今や誰でも語尾に「○○みたいな」ってのを付けますが、これは便利と言えば便利な言葉ですが後世には残りません。なぜなら人に感動を何も与えぬ詭弁の一種だからですよ。「言葉」ですらないんです。

「みたいな」をイメージして料理を作ってみましょう。
それはいかに味気の無い空虚な料理になる事か。

古臭い事を書くのは避けましょう。
固ッ苦しい話もやめにします。

単刀直入に言えばね、「ラブレター」を書けるかどうかですよ。
写したノートじゃ人に何も伝わらんでしょう。

誰かに気持ちを伝えるには自分自身の言葉が必要なんです。
料理も同じなんですよ。

人間を深く知らねば言葉を得ず
人間を知るには痛みを得る

言葉を愛するのはすなわち人を愛する事です。

人間の本質はいくら時が流れて時代が変わろうと同じです。
「感受性」も「苦悩」も変わりはしません。

あなたの「感受性」と「想像力」
言の葉はそこから生まれ、それがあなたの料理をオリジナルにするのです。

アメリカの物まね製品ばかり作っていた日本で、「真似も本家を超えれば創造だ」と言ったのは確か松下幸之助でした。
超えれば新しいのですよね。

Posted by トギーオヤジ at 2009年12月10日 22:06


こんばんは。

この世に真のオリジナルは無いとも考えられるでしょうね。
全てすでに存在している何かを下敷きにして生み出されます。
それが新しいかどうかはbackgroundを持った言葉で決まると思います。
また、「言葉で表現できぬほどのもの」というのも、やはり言葉です。

Posted by 魚山人 at 2009年12月10日 22:35


今回は『言の葉』・・・こういう風に(魚山人さんの本文の事)考えられる創造的思考、今はあまり居ないようですね(;;
現代人にとって言葉はただの記号になっているように感じますね。
会社で必要な会話はすべて記号化されて・・・そこでの会話の意味ったら全て金額に換算出来ちゃうんですから(そりゃ当然ではあるでしょうがどうも意味が違うように感じる事多々)

まぁ私のようなあうとさいだぁ(仙人ですからw)でも身近な人にはそれとなく、あくまでもそれとなく、でも一々、物事や言葉や態度・行いの意味について、静かに、静か~に考えるように・・・そぅっと案内してまわっています。
余計なお世話にならないように慎重に関わっているんです・・・けど・・・
(実は皆こういう事に飢えているんだなぁ)
と感じる事が多いです。
ぽっと出の仙人がこんな事を口走っても怪しい限りですが、私の正直な感想です。

魚山人さんを慕う人っていっぱい居るでしょう?
ここでも沢山の方々の眼を惹きつけているし^^
私にもそういう人達がちょっとだけ居るようなのでそういう人達への恩返し(というのはエエカッコしいで、実は自分が『バカに囲まれて居たくない』だけなのです;;)ですw

でも生まれついてのバカは居ないと言うのが私の信条?wなのでちょっと感化?若しくは憑き物を祓う?wをしてあげるだけなんですけど・・・
私への距離を置く人からは、
『あれは地獄仙人教だっ!』などと批判されたりもしますが、言われた本人達から逆に哀れまれていますw

師走の飲食業・接客業、その忙しさ、知っていますorz
無理しても良いから、もしも体が壊れるなら・・・修復出来る範囲で体壊して下さい。

・・・鯔さんとたいらさん、ここが更新されなくなったら魂に穴が開いちゃうかも・・・って余計な心配してしまう私も居ます(^^ゞ

えっと・・・まるちゃんみたいな考える若い人、まだまだこの日本にもいますよぉ~!

いますとも!・・・きっと・・・たぶん・・
・いてほしいなぁ
実は大人次第だったりするんですけどね^^;

(今回のお題・・・私には痛い経験を思い出させるものでした。乱文失礼致しました)

追伸  人差し指は肉に皮が張りました;;

Posted by 地獄仙人 at 2009年12月11日 12:45


こんにちは地獄仙人さん。

恥を忍んでこの様な稚拙な記事を書きました。
概ね不興を買うかも知れない内容だと思います。
あきれている読者もいらっしゃるのではないか。

でもね、
もしかしたら痛む心をかかえた方がいるかも知れない。
「一人か二人だけでも慰めに感じるかもしれない」
それでいいんだとおいらは思います。

その為に尊敬しているみゆきさんの、
もっとも深いと思える歌を貼りました。
この歌を単なる「失恋歌」だと捉えない読者がね、
たった一人でもおられたら、おいらはそれで嬉しいんですよ。

Posted by 魚山人 at 2009年12月11日 18:19


いつも関心を持って拝見させて頂いています。2度目のコメントになります。覚えていらっしゃらないかもしれません。
 僭越ですが、魚山人さんのブログには、ご本人が意図しなければ、得られない様な知識が数多く見受けられる様に感じます。太宰が「知性」に「はにかみとルビをふれ」と言った言葉を思い出します。いつも拝見する度に考えさせられます。これからも、御慈愛の程を。

Posted by 藤井茂男 at 2009年12月11日 18:35


お久しぶりです藤井さん。
御名前を書かれる方はあまりおりませんので記憶させて頂いております。
コメント下さいましてありがとうござます。

Posted by 魚山人 at 2009年12月11日 18:52

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