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料理のバカ味、バカ舌

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バカ味、バカ舌

先日、主ブログのスタイルシートをあれこれいじくって、改装してみました。
作業してる段階では、「よっしゃ、これで良い」なんて思いながらやってたんですけども、その後数回更新してみて、なんかしっくり来ないんですね。
どうも違う。

それで結局作り直す事にしました。
まあ人間ってな、長く生きてますと色々試行錯誤するもんなんですが、ことPCに関しちゃ、その事によって進歩してるのか、はたまた後退してるのか、自分でさっぱり判らなくなりますな。HTMLが自在に読めれば、進歩も感じるだろうし、また違うんでしょうけど。そりゃ無理ってもんです。


そんなこんなでため息をついていますと、ふと板前修業の初期に経験する、バカ味、バカ舌ってのを連想しました。

板前の味付けは、大量のベースを作る時以外は大概目分量です。
いちいち何グラムなんてのは、現場じゃ話になりません。


しかしデリケートな味付けになってきますと、特に塩加減が難しいものです。
だから一回で味を決める事はしない。
数回に分けて味をみながら決めていきます。


ある時点でピタリと決まるんですね。「ここだっ」って。


ところが集中力が無かったり、経験が浅いと、その瞬間を逃してしまうんですよ。そいつを過ぎたら、もう何がなんだか分からなくなり、最悪出汁や水で薄めたり、また塩を足したりの繰り返しになり、そうなったらピタリと来る味なんてどこにも無くなります。

この段階になると、味見しても脳が思い出してくれなくなります。
その悪循環を「馬鹿味、馬鹿舌」といいます。

これをしない為に何が必要かといえば、やはり経験ですね。
反復作業の繰り返ししかないと思います。


熟練のおかみさん達も、毎日料理を作る日を繰り返し続ける事で、家庭料理を完成させていくものです。

しかし落とし穴もありまして、いくら年月を積み重ねても、馬鹿舌が収まらない方もいるんです。
何故か、
簡単な言い方をしてしまうと『気が無いから』ですね要するに。


好奇心と集中力も欠けてますね。
つまりこういう精神が無いと、何年料理修行をしても、味を決められないって事になってしまうんですよ。

経験を重ねるってのは、知識の幅を広げるって事と同じ意味じゃなけりゃいけません。漫然と時間だけ重ねても技は身に付きません。

どんな不得手でも、好奇心を持ち続ければ、いつの日か「ベテラン」になると思いますよ。

普段の料理で痛感していることがあります。
機嫌が悪かったり、ボーっとしていたりするときには
いつもの味が出ないんです。おいしくないんですね。
調味料なんかの分量は変わらないのに不思議だなって思ってました。
よく「愛情を込めて」料理をしようと言いますけど
本当に愛情を込めるとおいしくなるんですよね。
それが”気”なんだと思います。
ポルトガル料理の”石のスープ”を思い出しました。

Posted by nbm at 2007年03月20日 08:59

こいつは恐らくどんな仕事も同じだし、もちろん勉強は言うまでもありませんけども、「集中」って大事ですよね。

ついでに言えば、長年集中して修練した事は、多少体長不良の時でも体が無意識に反応して対応してくれるケースもあります。

体が覚えるって事ができて「職人」だと考えてます。

Posted by 魚山人 at 2007年03月20日 22:31

ウチのヨメさんも、そしてたま~に料理をする私も、何度も何度も「バカ味、バカ舌」を繰り返してました~。でも「おいしい!」のために一生懸命がんばったら、それなりに格好がつくものなんですね。

>どんな不得手でも、好奇心を持ち続ければ、いつの日か「ベテラン」になる
このお言葉、日々の炊事に関してだけでなく、一職人として心に留めておきますm(__)m。やっぱり「気持ち」が大事ですものね!

Posted by 大佐 at 2007年03月21日 17:35

生まれながらに差はあるのが人間ってもんですが、
「なせば成る、なさねば成らぬ、何事も」って言葉があります。

「気持ち」がいかに大切なものかを、教えてくれる良い言葉ですねぇ。

この「気持ち」は、波が激しくて一定にゃ出来ないのが、人間の悲しさ。
こいつと、いかに付き合うかで七転八倒するのが、人生ってヤツでしょうね。

Posted by 魚山人 at 2007年03月22日 20:46

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