日本料理の『名人小坂』
蕨にね、『割烹れんこん』という店がありました。
このお店のご主人が『小坂禎男』という方(昭和60年逝去)でして、じつは知る人ぞ知る日本料理の大先生だったんですよ。
明治の頃14歳で修行に出まして、32歳で神戸の割烹八雲で調理長になり、それ以前もそれ以降も和食の世界では『名人小坂』の名を轟かせた大変なお人です。
特に前菜系ではトップクラスでして、多くの板前が先生から学んだものは大きいでしょう。
この先生が著作の中でこんな言葉を残しておられます。
『これだけ長くやっていてもだめ・・・・・失敗がある・・
油断はできない・・・・気を抜いたらだめ・・・・・
いつも美味しくしようという気でなければ・・・・
死ぬまで修行なんだな・・・・・
日本料理の本当のうまさとは何か今でも分からない・・
まったくうまさには決まりがないというか終わりがない・・・
まったくしんどい商売だよ・・・・・
若い時はその しんどさ が楽しみですらあったが、
この頃は本当にしんどいと思うよ・・・
包丁を持った以上お客に美味しいと言ってもらえるものを作らなければ。』
高齢になっても常に新しい物を和食に取り入れる工夫を怠らず、研究熱心な姿勢を生涯なくさなかった先生であればこその、実感のこもった至言ですな。
この言葉の中に板前、料理人が何であるかが端的に表現されています。
どんな職業でも人間性を高めるのは重要なポイントになってきます。
相手を叩きのめすのが仕事の格闘家にだって武の精神が必要で、それが無ければどんなに強くても本当の評価は得られないでしょう。
会社員だって自営業だって同じ事です(政治家はいまひとつ分かりません)
いかなる仕事においても結局最後は下卑た人よりも高潔な人格を持つ人間が評価を高めるものです。
しかし料理人には人間性の中でも極めて突出したものが求められます。
それはね、【優しさ=おもいやり】なんですよ。
もちろんそんなものを持ち合わせていない料理人も沢山いるでしょう。
それはそれで仕方のない事です。
絵描きは人の『視覚』を楽しませます。
音楽家は『聴覚』を楽しませます。
調香師は『嗅覚』を楽しませるものです。
しかし料理は『五感』のすべてを楽しませなければいけません。
言葉で言うと簡単ですが、当然ながらこれはたいへん困難なことです。
料理を食べるお客は一人ではなく大勢で、その一人一人味覚を始めすべての感覚は違ってきます。それでもその大勢に美味しいと思わせるのが仕事なんです。
こんな難儀な仕事をやって行くにはね、『人に対する優しさ』がないと無理なんですよ。そして優しくても『思いやりと想像力』がなければだめです。
昔の銀座によくあった『威張りくさったぼったくり寿司屋』なんかでね、たとえ世界一のマグロを握ってもらったっておいらは食べる気になりません。
人間は『味覚』だけで生きてる単純な生物じゃないからです。
前菜の一品は冷めても美味しい配慮が必要で、それを前提に見た目美しく技巧をこらして作ります。そのため色が悪くなってしまう生鮮食品もけっこうあるものですが、そういったものは外見上だけで、切ってみたり、口に入れたりしたら、その美味さが分かる仕組みになっています。
こういった作業はね、『人に美味しく、美味しく食べてもらいたい』そういう気持ちがなければできないし、それがなければ当然美味しくないわけです。
『人に対する優しさ』
が動機で、それを料理という形にして人を満足させられるかは、食べる人の五感を察知し予知する、『思いやりと想像力』にかかってくるんですよ。
料理人として腕をみがくのも大事でしょう、しかし同時にコイツも磨いていますか?
Posted by 魚山人 at 2006年