お客が来たくなる店にするために
個人経営の飲食店の殆どはオープン時に体力がないものです。つまり十分な資本金がなく、当然余裕のある運転資金も無いということになります。
したがいまして、息切れして倒れるケースが続発します。店を閉めてしまうしかなくなるんですね。
ましてや生き馬の目を抜くような競争と、割高な地代という環境の東京都内で生き残って行くのはかなり難しいもの。
「何十年も生き残ってこれた秘訣を教えて下さい」
そういったことを年に一度ほど、必ず言われます。
そんなもんは「禅問答」にしかなりません。
秘訣なんて「あってないようなもの」だからです。
誰にでも可能な「秘訣」なんぞがあれば、誰だって店を潰したりしなくなりますが、そんな現象が起きたためしがないし、これから先も起こりえない。
答は一つだけしかありませんよ。
「お客さんが途切れない店にすること」です。
お客さんが途切れない店
お客さんが来たくなる店
1番目は立地です。
そして2番目が店の造作。
ところが、この1と2は企業に敵いません。
資金豊富な大手に絶対勝てんのですよ。
なので「料理そのもの」でお客を呼ぶしかない。
元々料理人であればそれは当然です。
「料理の味だけで評判を取ろう」と考える。
そして失敗するのです。
何故かと言いますと答は単純。
「料理だけ」でお客を何年も引きつけておくのは無理だからです。
腕の良い料理人ほど、こんな考えに陥りがち。
「味さえ良くすれば客は必ず来る」と。
ところがいくら美味い料理であれ、それに感動するお客が顧客になってくれるわけではないんですよ。
数回は食べに来るでしょうが、すぐに「目新しい店」「最近評判の店」に行ってしまい、そうなるともう戻ってきませんな。
答を先に言いますと、
「顧客というのは人間にしかつかない」のです。
つまり「料理そのもの」につく客は顧客にはならないということです。
それはつまりこういう意味です。
「料理につくような客を顧客にしてはいけない」
(※「料理の中身でなく名目だけにつく客」です。誤解のないように)
それが個人店を長く維持していく秘訣です。
商売というのは「信用」というもので成立します。
浮気モンを相手にしてりゃ信用もなにもありゃしません。
料理人であるアナタ、つまり店主のね、「料理の腕」「料理に対する真摯な姿勢」「真面目な人柄」を見抜いている方々。
ようするにあなたへの信頼感ですな。
それを持っている人々が「顧客」なのですよ。
しかしね、それだけでは足りません。
もうひとつ大事なことがあります。
それは「感動」ですよ。
料理人たるもの、いつだって大切なお客さんに「感動」を与えなきゃいけません。もちろん料理で感動して貰うんです。
まぁ、口で言うのは簡単ですが極めて難題。
どうやって感動させればいいのか。
そもそも、そんなことが出来るのか。
できるんですよ。
アナタの顧客に対してなら可能なんです。
「人に感動を与えよう」と思っている間はできません。
そういう事はできないのです。
そんな風に思いつめていると、頭から煙が出てきてしまい、そのうちアナタ自身が壊れてしまうだけです。
感動させようではなく、「自分が感動したこと」を料理で表現すればいいのです。
アナタの顧客は感性がとてもアナタに近い。
心の深い部分が似ているのですな。
近いからこそアナタを理解し、贔屓にしています。
共感とかシンパシーが発生しやすいということ。
なのですぐさま伝わるのです。アナタの感動がね。
そして自分も感動してくれるんです。
つまり正確に言うと「感動を与える」のではなく、「感動を共有する」ということになりましょう。
「お・も・て・な・し」とやらいう変なモンに感動してくれる客もいるかも知れません。上っ面だけで満足してくれる「たやすい層の人々」で、人口に占める割合としてはこちらが圧倒的に多数ではあります。
でも大多数だからこそ、この層の客は資金潤沢な大手が囲い込んでしまっている。「企業の顧客」で得意先ってワケです。
そんな層は企業さんに任せておくべきであって、個人店経営者のアナタが狙うべき客層ではありません。
アナタが開発し顧客にしていくべきなのは、「本当のおもてなし」を理解できるお客さん達なのです。
そして、本当のおもてなしとは「感動を相手に伝えること」なんです。
昔から料理人に「人間性」が求められる理由は、そこにあるんですよ。真摯で素直な心で修行を積み重ね、真面目な気持ちで人生経験を重ねて行くからこそ「質の良い感動」を沢山持てる。
だから筋の良い顧客が付くんです。
裏表のある心の曲がった料理人に、どんな顧客が付いてくれるっていうんです。
チンピラヤクザにしたって、他人の陰口や悪口などしか言わないような主人の作る料理なんぞ美味いと思いません。
「感動とは何なのか」
「もっと具体的に説明してくれないと分からん」
分からなきゃね、感動してくればいいでしょう。
感動できる店に自分が客として行けばいいんです。
この時に、自分が料理人兼経営者である事を絶対に意識してはいけません。
完全なる「客」の気持ちになりきってなきゃ何も見えてきません。
たんなる客の視線。
そうすれば、「お客さんにしか分からない感動」が何であるか分かるはずです。
「売りたい」という経営者の気持ち、
「美味いと言わせたい」料理人の気持ち、
それで頭が一杯になってしまえば、質の良い顧客は去っていき、やがて店から客が消えていきます。
「素直でひたむきな心でしか味わえない感動」
そういう感動をお客さんにも伝えて共有したいという気持ちがあれば、やがてしっかりしたお客さんが沢山店の顧客になっていくでしょう。
そういう心を失くさないでいる為に、いつでも自分自身が、「自分の店の客」である必要があります。
自分が満足(感動)できないような店なら、アナタと同じ感性を持つ方々が顧客であり続ける訳がないからです。
有難う御座いました。
Posted by 藤井茂男 at 2013年11月29日 14:57
先日中東に行って来ました
行く前に言うとすぐ怒り出すけん、、、、、、
事後報告デス。。。。
心配症のギョサンジン父ちん→(~_~;
普段は後方支援しかできない立場なので
時々は現地に行かないと。。。
祖国に戻れば高待遇で受け入れられる
学歴と職歴を持ってながら
予算不足でまともな報酬も貰えない
危険と隣り合わせの現地スタッフたち。。
出来ることはやらないとね、、、こっちも。。
酷い事になってますよ向こうは
そこで忙しく動きまわる
《人道的動機》で自然に心とカラダが動くのね
その合間に瞬間的に心をよぎった想い
それを正直に書いておきます
こんなこと他では言えないし書けないケド
誤解しないで理解できる唯一のヒト
それは父ちゃんだけだし。。
小さい子が治療の甲斐なく死んだ
「こういうのいったい何度目だろう」
悲しみと怒りが通りすぎた後にそう思いました
そしてなぜか、、、、
”世界は俺達を見捨てた”
”誰も助けてくれない”
そう叫ぶ〈避難民の親達〉に対し怒りが。。。
「何が誰も助けてくれないよ!」
「この人殺しオヤジ!!!」
「あなたたちがカダフィやアサドみたいになる」
「立場が違えば必ずそうなっている」
「その証拠に、、、、、、、、、、、、、、、、、、
独裁政治を許してきたんです」
「DQNぶりは日本人と同じ」
「自民党大好きのヒトタチと同じ民度よ」
「個人を幸せにするより独裁やバブルが優先」
「そして、、、、、、、
子供を殺すキチガイ。。。。。。。。。」
もちろん口に出したワケじゃないけど
日本がどれだけ
【弱者や個人に厳しく 権威には弱い国】かなんて
知ってるわけもないしね
死んだ子を見て思った
「あの世があればいいな」
「本当にあればいいのに」
宗教が語る「あの世」は全部オカルト。。。
あんなもの権威を高める為の洗脳手段
でもね
量子論や宇宙論も来世を否定していないの
宇宙の大部分はヒトが認知できない物質
地球上の空間も〈複数の次元〉が入れ子に
宇宙そのものが無数にある可能性もある。。
なら
あの世があっても非科学的とは言えない。。。
組織の腐敗ぶりを隠して権力を強化する
一石二鳥の〈秘密警察好みの法律〉
それを黙って眺めてるDQN民衆
それでも心の奥に疑問を持っている人が多少
僅かでも正常な心が残っている人達
でも、、、その疑問も表には出せない
今の日本はそれを口に出せない社会になってる
言いたいけど言わない少数の人々
そういう人達をお客さんにして、、、、
「あの世はきっとありますよ」
「特に夭折した幼子には必ずあります」
「輝く光に包まれて楽しそうにしてますよ」
そういう想いを込めて作った《お料理》
心が残っている人になら伝わるよね。。。。
そういう人を顧客にしていくのは
とても長い歳月が必須だと思います
でも、、、、、
それだけの価値はあるということですネ
自分が自分の「お客」だったらそうします。。。
立場を変えてみる〈置換想像力〉
それを失くさないようにしようと思いました
ありがと父ちゃん。。。。。
Posted by マル子 at 2013年11月30日 11:48
魚山人さま、はじめまして。
宿坊寺院で精進板の修行中の者です(僧ではございません
自炊経験もロクにないまま30代で飛び込んで、追回しもそこそこに、入って半月もせぬうちに「材料は切ってあげるから、お客様の天ぷら揚げてみなさい」
尋常ならざる速成方針のお師匠で、3ヶ月目で煮物を習い、半年経てば「そろそろ管理業務を覚えなさい。評判もいいから、これからはあなたに任せるから」と。
もともと厳しく叩かれるほど伸びるタイプではあるのですが、何年でも下積みをする覚悟でしたので、えー!の連続でした・・・
かれこれ1年になりましたが、仕事が引けるたびにこちらを拝見して、師匠から習ったことを深めるためにも勉強させて頂いてました。
そのことで御礼を申し上げたく、書き込み致しました。
今後も閲覧させて頂きます。
Posted by フリューゲル at 2013年12月08日 22:14
魚山人さま
自分の店の客になるというのは至言です。
お客の立場に立って 見、感じ、味わい、支払うということと同じでしょうか。
”お客様のために”という一人よがりなことではなく(自分のため、商売のためというよりはよっぽどいいですが)、”お客様の立場に立って”見、考え、行動する。
どんな仕事にも共通して通用しますね。
感動を与えられたら素晴らしいです。そのためには”妥協しない””遠慮しない””アピールしない”という仕事に向かう姿勢が大切だと感じています。
自分はついついアピールしたくなってしまいますが、、。^^;)
いつ行っても居心地がいい、人に紹介しても喜ばれる店って少ないですが私にも二三店ですがあります。(会社のそばや通勤経路だったので最近はあまり行ってませんが)
今の悩みは地元にそのような居心地のいい店がないことです。我が家が一番居心地がよくなってしまいました。(笑
Posted by 庄助 at 2013年12月10日 15:52
藤井さん
藤井さんもずいぶん長くなりますなぁ。
最初にコメを頂戴したのはもう何年前か・・・
こちらの方こそ有難う存じます。
マルちゃん
人様の世話をするのは立派なこと。
誇らしく思ってはいる・・・
だが、そろそろ身を固めて欲しいもんだ。
自分の家庭を築いてもいい頃だよ。
でないと「孫」のツラが見れないし(^_^;)
フリューゲルさん
そうですか、精進をねぇ。
貴重な経験をなさっておりますな。
そういう経験は先々必ず役に立ちます。
頑張って修行を続けてください。
庄助さん、こんにちは。
不思議なモンでしてね、「感動を与えたい」と思っていると、必ずというくらい失敗してしまうんですよ。
「まず自分が感動するのが先」
これに気づくまで人は回り道をするもんです。
その感動を客人にも味わってもらうには、テクニックだけでは難しいですね。「心のマグマ」が有るか無いかでしょう。
>我が家が一番
そりゃあね、庄助さんのお台所なら当然(^_^
庄助さんの手料理こそ、本来の「おもてなし」だと思いますよ。ボッタクリの虚偽表示高級レストランなんぞと比べもんにもなりゃしません。
Posted by 魚山人 at 2013年12月11日 16:17
魚山人さま。
素人料理人、兼、貿易商を営んでおります。いつもこちらのwebサイトを拝見しております。このブログ文章には心から感動しました。涙が出ました。私自身は料理を仕事としているわけではありませんが、商売人として通じる大きなヒントを頂いた気分です。
一言お礼をお申し上げたくてこちらに書き込みを致しました。
本当に、ありがとうございます。
Posted by のぶ at 2014年01月05日 20:39
のぶさん
ありがとうございます。
どんな仕事であれ基本は「ヒト」
それが伝わったような気がして、こちらも大変嬉しく思います。これからも頑張ってください。
Posted by 魚山人 at 2014年01月06日 07:53
ひょんなことから辿り着いたこのHP。
私は大工仕事を生業としています。
色々とご参考になります。
左 甚五郎 とは申しませんが、”職人”の端くれ、更なる高みを目指している者として、大変勉強になります。
これからも楽しく読ませて頂きます。
Posted by 池爺 at 2015年06月29日 17:24
大工さんは本当に素敵な仕事だと思います。
「住む人(客)が喜ぶ家」を造る職人
そういう大工さんであって下さいね。
ありがとうございました。
Posted by 魚山人 at 2015年06月29日 22:50