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現代人にとっての本物の味

季節の端境期。
暖と寒が変化しやすく、体温調節機能を通して身体に余分な負担をかけるのか、思いの外体調を崩しやすい時期ですね。

体をいたわってやって下さい。

このブログでは、随分威勢のよい事を最初から綴っておりますけども、時々筆が停まってしまうってのがあります。


書きたい事が無い訳じゃないんですね、他に大きな理由があります。
書いてる内容に相反する、自己矛盾的な気持ちに掴まるってでも言いますか。更新が出来なくなる理由の一つですね。

具体的には、例えば天然のかつお節と昆布で作る出汁は最高だと、繰り返し書いてるんですよ、しかしそれと「だしの素」で作った出汁を飲み比べた時に、大部分、いや殆どの方が「だしの素」のほうが美味いって本音を持ってるのも知ってるんです。


かつお節が廃れたのを嘆いてはみせますが、「だしの素」には、かつお節を淘汰してしまう力があったって事なんです。それは便利さばかりではなく、実は「味」でも勝っていたんですよ。

だしの素で育った世代に、枕崎の本枯れ鰹節と、羅臼昆布で引いた「本物のだし汁」は正直な話「美味い」といえる物ではありません。


ヒトの味覚は「ソウル・フード」に左右されるからです。


昆布と鰹節で作った出汁を美味いと感じるのは、それが「故郷の味」つまりそれで育ったって事ですが、その人達だけでしょう。


だしの素が故郷の味である以上、この世代が本物の出汁よりも、だしの素が美味いと感じるのは、ある意味当然とさえ言えることです。

弛まず研究を続け、味を改良して来た「科学の勝利」。
「本物」ってのはもうかなり以前から、立場が逆転しているんですね。
「本物」ってのは「だしの素」の事なんですよ。
この事実に目を背けて、天然物の輝きを謳うのが、時に苦痛になる。
そういう事です。

昆布や鰹から、エキスのみを頂戴した化学の味ってのは、絶対に本物じゃないって確信があります。天然は天然なんですよ。


しかしそれが通らない現実もまた、確かに存在するんです。


「科学の勝利」に「人の舌が敗北」した、おいらはそう考えます。

まさに、コレは私が今現在悩んでいることです。
”だし”について悩んでます。
一念発起して、化学だしをやめ
天然だしを使うために、利便性を考えて
粉だしを作ってみようと考えたわけです。
やってみると、けっこうな量の粉だしを使っても
化学だしに比べると正直物足りない味になってしまいます。
化学だしには塩分も糖分も含まれているわけで
それらが相俟って絶妙な味が作り出されているのがよくわかりました。
迷いつつ、化学だしと天然だしと双方を上手に使い分けるのが
一番無難な方法なのかもしれないと思い始めたところです。
市販のカレー・ルーも、ヘタに隠し味など入れない方が
おいしいと感じるほどに考えて作られているそうですね。
本当に、科学に舌が負けてます。
Posted by nbm at 2007年04月07日 12:08

そうですね。
出汁の話は、ほんの一例でして、今やあらゆる食品がそうだと言えるでしょう。
グルメの物語やTV番組などを見ていますと、高級な本物の天然物に感激してショックを受けるなんてシーンが非常に多いんですが、長年料理現場で働いてきた立場から感想を言いますと、少し白ける面もありますね。
現実には、「期待外れ」ってのが多いと思うんです。

例えば「シマアジ」という魚がいます。こいつの天然と養殖を食べ比べてもらったら、間違いなく養殖のほうが美味いという反応になります。
いつかはマグロもそうなっていくでしょう。

我々現代人の舌は、「本物が美味い」と感じる様にはできていないって事です。

考え方を変えれば、
食品会社の研究開発陣の面々は、「当然の事です。それが科学の進化というものであり、我々の努力のたまものなんです。それが現代なんです。」
そんな本音をもっているはずだし。それは一面真実でもあるでしょう。

つまり「受け入れるしかない」という訳です。

しかしおいらは個人的には、地球が何億年もかけて紡ぎ出した自然を、人間が科学で再現するのは不可能だと考えてますし。
科学万能の世に強い疑問を持ってますので、そんなもの受け入れる気はありませんが。

Posted by 魚山人 at 2007年04月08日 19:45

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