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職場の人間関係

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あの人とだけは絶対に無理

春になりますと、人間関係のストレスから胃がキリキリ痛む方が多いんじゃないでしょうか。

「出会いは楽しいイベントだから好きだし何の苦痛も無いどころか、喜びですらある」
こういう人ばかりなら、おいらの足りないオツムで駄文を書こうと思うわけもありません。


実際に仕事をなさってる方の多くは、仲間の移動や上司の入れ替わりや自分自身の移動などで、他の季節よりも心理的な重圧が増す季節ですよね。

楽しさもありますが、普通は気苦労がそれに倍するもんです。
人間は鈍重なようでいながら、かなり神経質にできてますからね。

新しい環境に馴染むには、時間をかけて徐々に自分に合った空間を作り上げる努力をしていくものでして、昔からそれは当たり前のことでした。

ところが近年はこの「当たり前」が通らない世になっています様でして、最初の壁であるこの馴染む努力を越えられない人が増えているそうです。

たんに堪え性が無いからばかりとは言えず、本当にPTSDに近い状態になるというから深刻ですな。

対策をせずに放置すれば、『フラッシュバック』『感情鈍磨』『乖離症状』はては『急性高血圧』や『消化器系の炎症』といった症状が出始め、そうなればPTSDですなもう。

新しい環境に馴染むのにいちいちストレス発症なんぞしてられますかバカバカしい。という意見もあろうかと思いますが、持たざる者に対して持てる者が吐く、思いやりの無い言葉でもあるとおいらは思います。

それでも現実の世は厳しいもの、努力して乗り越えないと社会に出ることが出来ない人間になってしまいます。それは自分にとっても家族にとっても不幸なことでしかありません。タフになって下さい。

当人はね、こう思うんです。
「どんなに努力しようが、あの人とだけは絶対に無理」

そりゃあ無理なんですよ。
人があなたに合わせるのを期待してたら絶対に無理なんです。

人のせいではなく、自分自身に問題があるんですな。

自分をいかようにでも変えれる柔軟性を持って下さい。
それは主体性が無い、いいかげんさとは違うんです。


ソリの合わない、仲良くなれない相手は自分をどう見てるか、相手の立場に立って考えれる想像力をもってみて下さい。そしたら自分の頑なさに気がつきます。

自分が変われば相手も必ず変わるもんなんです。

ここまで書いて読み直すと、こりゃ今の日本の事だな、そう感じました。

べつに意図したわけじありません、五月病は他人事では無いってオチにしようって思いながら書いてたんすがね、まさに今の日本国そのものですな。

他人ばかりを難詰して、われと我が身を省みない風潮がこの国を覆い包んでいるようです。

どうかまず自分だけでも心を正しく保って、何がバランスなのかを考えれる冷静さを失くさないでいただきたいもんです。

ありがたくこのエントリーもう一度読み返してみます

Posted by JUN at 2008年03月04日 00:22

つい偉そうに生意気な事を書いてしまいました。
これはね、自分自身にも言い聞かせる気持ちがあるんですよ。
人間ってなぁ誰でもご立派な生き方なんぞ出来ゃしません。
だからこうやって自問自答するのが大切だと思っています。

Posted by 魚山人 at 2008年03月04日 14:53

一時期、自分がわからなくなったときがありました。
会社にいる自分、自宅にいる自分、Aという友人といるとき、Bという友人といるとき、親といるとき、そのシーンで全部自分が違うんですよ。
多重人格?
五月病より、当時はそれでだいぶ悩みましたね。どれが本当の自分なんだろうって。

人を変えるにはまず自分から。と聞きます。
その努力が難しいし面倒だから人を変えようとしてしまうんですよね。
気をつけなくちゃ・・・・

Posted by incident at 2008年03月10日 22:33

>会社にいる自分、自宅にいる自分、Aという友人といるとき、Bという友人といるとき、親といるとき、そのシーンで全部自分が違うんですよ

これはある意味誰でもそうですね。
この事は良い解釈も悪い解釈もできます。

頑固に自分を押し通すばかりではなく、柔軟に状況に合わせて立ち回る軽やかさは大事な事で社会人の常識でもあるという良い解釈。

確固たる信念のないノンポリシー人間で、誰とでもホイホイ調子を合わせちゃう軽くて信用できない人間という悪い解釈。多重人格。

そんなことはどちらでもいいんです。
人間はこの二つの顔を使い分けて生きるもんなんですよ。

頑固と軽やかさ両方をバランスさせる事で人間は成長すべきだと思います。
どちらかに偏よったとき人は精神のバランスを失います。



嫌いな人間というのはどんな環境に行っても必ず一人はいます。
まるで前世で犬と猿であったとしか思えないほど気が合わない。
性格が正反対で意見が合わない、
性格が似すぎてすぐ対立する、
どちらにしても顔も見たくないわけですよ。

そんな相手に合わせて自分を変えるのは譲歩するみたいで、つまり「負け」を認めるみたいで絶対に嫌だって気持ちになります。

難しい話に思いますけどね、
じゃあ勝てばよいんですよ。負けるのが嫌なら勝てばいい。

物理的な勝ち負けじゃありません。

心の余裕で相手を上回れば勝ちなんです。
相手よりも大らかな人間になればそれで勝ちなんです。

それが「自分を変える」という意味なんですよ(^_^)

Posted by 魚山人 at 2008年03月11日 01:09

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