料理業と浮雲
先日のこと。
さる有名な和食の先生とお話する機会がありました。
才があっての事でしょうが、景気がよろしい様子でした。
その前々日、都内のある調理師会で采配をしている人物と、都内のホテルロビーにて少し世間話をしております。この男は板前で、おいらの後輩筋になります。
彼がふとこぼした言葉が印象に残りました。
「板前は今いくらでも集まります」
「けどコンスタントに仕事を振ることができません」
「多くの者は月に半分仕事があれば良い方で、生活手段としてはキツイ」
要約すれば「仕事が無い」って事ですな。
需要不足なのに供給過剰。
昔はね、月に70~80万も稼げる時代があったんです。
今の手間の水準ではこれはもう夢でしょう。
会に属してフル稼働しても40には届かず、仕事が無ければ10万にもならない。普通に勤めていたとしても一月で稼げる額が30万に満たない。
それに対して先生の年収は推測ですが数千万円。
これは何だろうなぁ・・・・
色々と考える事が多かった週でした。
腹の中で計画してる地方への出店と(引退後)、今の業界の状況などを照らし合わせてみたりしながら店に戻りますと、裏で若い衆が塩などを干しております。
「払うのが馬鹿らしい値段なので貯金したほうがまし」
という理由で最近ようやく禁煙を始めたヤロウです。
まあ店では他の誰も吸わないので、禁煙は遅いくらいでしょう。
「どうだ気分は?」
そう声をかけますと、
「はい。もう全然吸いたい気持がなくなりました」
いつまで続くやら(笑)
「そいつは良かった。でもあんまり無理はするなよ」
板場に入りましたら、それぞれ分担した調理作業を真面目にやっております様です。
「おかえりなさい!」
「ただいま」
そのまま物置を通り奥の部屋へ進み、机に腰掛けます。
椅子の背凭れに背中を思い切り押し付け「う~ん」と唸りながら腰や肩を回して、首を折り天上を見つめます。
正常な姿勢に戻り、机上のパソコンに手を伸ばして起動。
ふとPC脇に隠れるようになっている硯箱が目にとまりました。
最近は殆どパソコンを使って書き物をしますので、筆を持つ回数が減るばかりです。「なんだかね」そう腹でつぶやき。
デスクトップには「手前板前」を開くショートカットもあります。
もうひとつの顔があるというのは面白い。
しかし最近はブログをやっていて感じる「違和感」の「正体」が何であるのか分かってきました。
うちの板前も将来はみな巣立っていくでしょうから、この店は通過点にしかすぎません。彼等の将来について色々考えたりします。
「アイツ等ってのはいつかおいらのサイトを見る事があるんだろうか」と思ったりしますが、まあそれは無いでしょう。いまだにパソコンにもネットにもまったく関心がない連中ばかり(笑)
そもそも板前の就業時間帯を考えますと、面倒なパソコン操作に向かう時間はなかなかでしょう。他のことに忙しいし、飲む時間も寝る時間もなくなりますんでね。
鯔さんが包丁画像と一緒に送ってくれたもう一つの画像ファイルを開いてみます。【彩雲】の画像です。
彩雲は太陽と接近した雲が虹に似た色で彩られるありふれた気象現象ですが、昔から『瑞雲』と呼ばれ吉兆とされています。送ってくれた鯔さんの気持が嬉しいですねぇ。
人は皆「雲」
蒼穹の天の下を漂うのみ。
彩光を放つ雲もあれば一瞬でかき消える雲もある。
積乱の様に荒れ狂う雲もあれば、ほんわりした雲もある。
いずれは皆消え去るが、その瞬間は存在を主張します。
彩雲みたいに五色の彩りを放つ者もいれば、灰色一色の者もいる。
人間と雲の大きな違いは「なわばり争い」でしょうな。
地球は丸く、天は一つ。そこに漂う雲はなわばり争いなど無縁。
ところが人間ときたら、どんな小さな世界の中でも争う。
ちっこいグループ、大きなグループ。いずれにしてもヨソ者を排他する。
小さくまとまり、その仲間に加わることで安心感やら優越感を感ずる。
ネットの世界ですらもそれは変らない。
ブログなどもクラウドコンピューティングの一形態でしょうが、cloud:クラウドという言葉が泣きますなこりゃ。
人間が使用してるかぎりインターネットは蒼穹の天にはなれず、ネットピープルも雲(cloud)とは程遠いって事でしょう。
いつもの事ではありますが、今回もまた意味の分からぬ文章ですな。
まぁ仕方がありません。おいらはおいらです。
世の中が、料理業界が、どう変動して様変わりしようとやる事は同じ。
庖丁を握るだけです。
いつの日か、社会も人も流れる雲ようにおおらかになれる世の中が来て欲しいもんだなぁ。
ガラにもなく、そんな事を思いました。
お疲れさまです。
そういえば、調理師会と全く縁のない俺は以前から不思議に思っていたことがありました。
幾ら調理師とはいえ、店が変われば勝手も変わるはずなのに助っ人に行って、その日限りの関係でまともな仕事が出来るのでしょうか?
慣れてる人からしたら厨房の配置さえ間違わなきゃ上手にこなせるものかもしれませんが、まったく同じ料理でもなかろうに。
もしくは、どこに行っても変わり映えのしない料理ばっかり作ってるってことですか?
今はオリジナリティーを出している店が多く、まあ、そういう店は小箱だからその日限りの助っ人なんか頼まないのでしょうが、バブルのはじけたのを境に大口の宴会もへり今は結婚式場くらいしかそんなシステムは無いのでしょうか?
オリジナリティーある小店が増えているようでもあり、チェーン店がのさばっているようでもあり。それしか生き残ってないとも言える。
10年会社を経営してきて少しだけわかったのは、簡単に独立してやめて行く奴ほど、飲食店を短絡的に考えている奴が多いってことです。ほんとに、料理と接客と雰囲気なんて、10項目のうち3つくらいの要素なのに、残りの7つをまったく考慮してない。お客さんは、うちの店の事なんか何にも知らないのに、自分が毎日店のこと考えてるからって、一般の人も自分の店を知っているという思い込みをしてる。
うちの若いやつらには、失敗してほしくないから毎日嫌と言うほど言ってきかせているんですが、なかなか伝わってないようです。
聞くのとやるのじゃ大違い。
今、弟分が出した店に手伝いに行ってます。でも、このまま行けば間違いなく潰れます。後2カ月もたず。実家は抵当に入り、親の住む家を無くしてしまう。
もう、俺の腹は決まってるんですがね(苦笑)
Posted by 水匠 at 2010年11月04日 21:47
こんばんは、水匠さん。
そりゃあ不思議にもなるでしょう。
流れたり助たりした経験があるおいらから見て答えましょう。
会の板はね、「普通の板前よりずっと仕事ができる」のが条件です。
和ならムキモノが人よりも速く、寿司なら速く握れること。
和食の基本は全国どこでも同じ事。やる事は同じです。
その基本的仕事が人よりも巧いから、「その日突然」でも役に立つのです。
「仕事ができる」というのは店の雰囲気を瞬間的に悟り、
その店のやり方に合わせる能力、それと、「出すぎない」ことも含みます。
「あたり」の部分にタッチする事はありえません。
店の味とか段取りなど核心な部分には絶対触れない。
それがルールです。
つまり助板は料理を作らないのです。
仕込み、盛り付け、握り、日に百万も二百万も三百万も売ろうって時は、やる事が山の様にあります。そんな場所で自分から「歯車」「駒」に徹する。
つまり余程のベテランクラスでないと勤まらない仕事です。
だがこれも過去形ですなぁ。
そんなレベルの板は少なくなりました。
プロから見れば「誰でもできる」程度の仕事しかないせいもある。
だから回転寿司の経験しかない板などが増えています。
雑で使いものにならねぇモンが多くなりました。
バブルがはじけたから逆に仕事が増えた面もあるのです。
店は負担の重い正社員を減らすが、この仕事は手作業。手が足りなくなる事が必ず起きるのです。そんなとき「その日」だけ社員並に仕事をこなせる人間が来てくれるのは助かる。日当だけ払えば済みますんでね。
宴会等だけではなく、首都圏では今でも助仕事は多いのですよ。
>短絡
今の社会のキーワードですな(笑)
「重量感のあるお客様」を集めるには、
店主も自ら重量感を身に付ける。
それしかないと思いますよ。
Posted by 魚山人 at 2010年11月04日 22:57
お疲れ様です
自分も先日隣街の板前と世間話をしてきましたが 街が死んでると 嘆いていました。 若手の板前もめっきり居ないねぇと言っておりましたが たしかに少なくなっています そして中堅クラスの三十路前の板前もすくないように感じます ポストが少ない花板を諦めて ダイニングとか創作とかで独立する板前は 三十路前が多いと。日本料理の陰りをよく耳にしますし、感じていますがまだまだ四季折々の日本料理を楽しみにしているお客様も沢山いますから
自分たち板前もまだ包丁が持てます。 しかし板前にふりかかる環境の悪化は避けられないでしょうし 昔みたいな板場を何軒も回れる時代は終わりのような気がしています
その煽りで集客しやすい店のスタイルってやつに流れるのもわからなくはありません。若手の店はスタッフも若いし客筋も若い 分野はお客さんが判断しますから他人がとやかく言う事ではないんでしょうが 自分は頑なに日本料理を守りたいです。(提供しやすいぶれない料理)
もう板場の頭数が薄くなってきていて 二十歳位の子にふりかかる雑用は莫大でしょう 昔は歳の近い兄さんが沢山いてお互いに切磋琢磨して朝まで遊んでストレスなんかなかったもんです 今なんか若手の兄さんって三十路くらいが多いんじゃないかな… これは旅館に色々顔だしたり助のバイトで感じた事ですし 若手が長続きしない理由は自分勝手ではありますが スタッフの年齢の開きも関係あるんじゃないかと ライバルがいたほうが人は伸びますし 年季の入った兄さんたちに要求される質の高い仕事についていける子はごく僅か。 この間にもうひとり居れば
また違うのかな… しかし厳しい環境こそ己を強くし どこでも活躍できる職人になれる。一番の道は人の何倍も動ける板場がなによりも財産になると。
実は身近に弟みたいに可愛い駆け出しの板前の卵がおりまして 馴染みの店で話すようになり 勤め先もよく知っているとこだけに よく相談にきます まぁ 言わんとすることは分かりますが 愚痴りたいはずなのにやせ我慢して虚勢張ってる姿がなんか憎めなく よく呑みに連れていきますが 自分たちの時よりあきらかにこの業界も変わっていると痛感します この時代にこの若い子の手間じゃかなり厳しいし 仕事をあまり知ってるとこに居ないので稼げる板前になるには時間が勿体無いと思ってますが 彼は調理師会に入っていますし親父がちゃんといます。今日の記事を読ませて頂いて なぜかすぐにこの子の事を思いました 休みの日に親父には内緒で板場に行ってもいいですか? これは自分も隠れてやってきただけに 拒みませんが
今おもえば自分の親父に失礼な事だと感じています
魚山人さんはどう思われますか?
しかし魚山人さんのお弟子さんは手前板前をご存知ない様子(笑) 勿体無いですよ(笑) でもリアルに親父にご指導して貰えるお弟子さんがうらやましいなぁ(^O^)そう思います。
今日は久しぶりに松輪の鯖を見つけ仕入れました。 すこし小ぶりではありましたが抜群な〆鯖で個人でも仕入れて大根おろしと山葵で純米のアテにしています。これから夏に頂いた岩魚を焼き干しにしていたやつが良い塩梅になってきたので酒を変えて骨酒にして もう一度鯔さんの撮られた素敵な雲を見ます(^O^) 静岡を通るときはどんな雲だったんだろう… 世界と繋がっている空 海と同じように 何故か心が落ち着きそして頑張ろうと思う。 明日も明後日も… きっとどんな生き方していてもこの雲見て何か感じる人は世の中沢山いますよ(^O^)
最後に魚山人さんがお出しなる地方の店が気になりますねぇ(^O^)
Posted by たいら at 2010年11月05日 01:36
お疲れ様!爺。
ゴメンね爺。余計な写真添付して返って気を使わせちまった。でも【彩雲】を載せてくれた場所が俺ゎ嬉しい。若い衆の将来を按じた記事の後とゎ… 俺ゎ添付した際『爺の今後の繁栄を』って言葉を添えたんだが
爺の懐の深さを改めて認識させられた。
blogに対する『違和感』。
俺も『鯔次郎』にゃ相当な違和感を感じる。いっそのこと俺がどこの若い衆かネット上でブチマケたいが そうもいかネェ反面 もう俺がどこのどいつか解ってる方も存在して不思議ネェ…
爺が文末に記した
『ガラ』←これ知ってんの
マルチャンだけなんでしょよ。
俺ら読者ゎ爺のガラなんぞ関係ネェ。むしろ爺本人を目の前にしたら あまりの『ガッカリ』さに貧血起こすかも(笑)
今日ゎオフクロん所に仕事帰りに寄って ゴミ出しの日。
今さっき寄ってゴミ出してきた。
なにやら糞重い袋…
オフクロ:ジィジの足 棄てちゃうね!
俺:『…』
オフクロ:ジィジの義足ダヨ!あってもそのうちゴミになんだから思い切って(声震えてた)
俺:『…』
オフクロ:イイよね?
俺:んだな そんなモンあっとオヤジが帰るたんび義足生活と思い込むといけネェから 棄てちまえ!(笑)
3年前に他界したオヤジがリハビリ用に誂えた義足。
俺 捨ててきた。
今日2回目の『ゴメンね』だ
爺ゴメン 今 呑んで書いてます。
『雲』のような存在だったオヤジに娘の最後の七五三祝いだってのに 墓参りも仏壇にさえ線香ひとつ上げネェ俺。 ガキらゎこぞって仏壇参り。 オヤジゎ雲だった。
俺ゎオヤジに殴られたことがネェ。ここ1年 オヤジが夢枕に登場しなくなった。宗教用語を借りれば『成仏』ってヤツか。
あのさ爺!
学校の授業ってな
その教科の先生によって
成績が変わったりしたよな? 面倒クセェ科目も先生次第で楽しかったり 苦痛だったり!
爺ゎ『先生』←なんて呼ばれっとヘド吐いちまうんダロから言わネェが だいたい名物ティーチャ-ゎ『あだ名』が付き物。
俺ゎ爺blogから かなりの情報や知識?(爺の記載したまんま)を利用さして貰ってるし なにせヤル気を頂いてます
板前
格好イイし!
と
もう風呂入ります。
意義ある記事を よくも
まぁ書けるモンだよ爺。
オヤスミナサイ。
Posted by 鯔次郎 at 2010年11月05日 02:31
たいらさん。
>魚山人さんはどう思われますか?
おいらの親方ならたった一言でしょうねぇ。
「もっとヨソ様で修行してこい、このトウヘンボクの役たたず」
って、俺ゃアンタの弟子だっての、このくたばりぞこないの偏屈ジジイ(笑)
そう思った事もありますが、今ではおいらもこれに近い感覚です。
実の親子であっても「人生と墓」は別。
派閥や組織にはまったく興味がなく、無理までして仲間を増やす気もない。
巣立っていく者は自由に羽ばたけばそれでよい。
見込みのある者ならよけいに旅をさせたい。広くね。
日本料理は来るところまできた。そう思います。
けれど日本人は必ず和食に「回帰」しますよ。
何故なら和食が一番日本人の体に合っているからです。
でも今までの手法では壁がある。
いつか高級路線も大手大衆チェーンも衰退を迎えるでしょう。
高級割烹も、「なんでもあります。適度な安さで」も、心が動かない。
新たな「何か」が必要です。
どんな板前が「日本人の心」をつかまえるのか。
それはどんな料理なのか。
それがとても楽しみですよ。
全ての食にあきてしまった日本人を、
「もう1度食いたい」と思わせる「何か」。
おそらく年齢層に関係なく喜んでくれるでしょうね。
そろそろ考え方に革命を起す時期かもしれませんなぁ。
言うは易しとはこれでしょうけども。
Posted by 魚山人 at 2010年11月05日 13:19
鯔さん。
悪かったよ、『鯔次郎』なんて名をつけて。
嫌ならとっととサンピンのガイジンみてぇな「サイレント」とかいう名に戻れば?
「挨拶」はこんくらいにして(笑)
素晴らしい写真をありがとう。使わせてもらいましたよm(__)m
おやじさんは成仏したんですよ。
なにしろ残したカミサンにゃ、ゴミを運んでくれる「優しい息子」がいるからね。
Posted by 魚山人 at 2010年11月05日 13:21
はじめまして。
きゅうりの切り方を勉強しようと検索したらこのサイトに来ました。
すばらしい内容に、思わず「お気に入り登録」させていただきました。
時間のあるときに、すみずみまで読ませていただきたいと思います。
料理だけじゃなく、料理業界のお話も読めてすごくおもしろいですね。
Posted by 冥土かふぇ at 2010年11月06日 21:35
今回のタイトルの「浮雲」も「木枯らしに吹かれて」にしても魚山人さんのエッセイには時々ずしんと重いペーソスやプロ気質の意気込みを感じる。
読んでて、何だか共感したり自分の代弁風であったりで貴重なブログな気がします。
魚山人さんの温かさというかそれによって癒される読者も多いことだと感じます。
中でも、寄せられたプロの方の包丁写真は見ながらすごく感銘しました。凛と研ぎ澄まされていてうちの素人物の毎日の台所の包丁をデジカメに撮って送信しようかと思いましたが恥ずかしくて止めた。
うちは(止む無く)父子家庭で、自分は男所帯で息子のちっちゃな頃から”パパの味”で沢山奴に作って食べさせた包丁がもう何十年も研がなくても使える堺の宗〇銘です。トマトが一発で切れる包丁はいいといわれますが、うちのはこの20年シャープに切れます。
・・たけどもう息子も巣立ってしまいチョンガー独居の還暦組です。
息子の東京(city)と香川(country)とは遠いもんですね。
次に「日本のソウルフル音楽」に関してはお勧めのUチューブで両方を聴きました。
名人竹山先生と南物までじっと聴き比べていました。
そんな中いつも私が興味があったのは、北の雪深いから生まれる音楽はむしろリズム感は少なく太棹三味線で、メロディ風も狭い音階で「ビンビン」と鳴るだけなのに”〇〇兄弟”だとか何故かいつの世もヤングの中で人気があることが不思議でしたが、最近気づきました。それはサウンドというよりもお若い方はあのギンギンに右手の撥さばきのアクションが青年方にカッコ良くに見えるのかなと独断で解釈したりして・・・。私も三味線ややっていますが細棹で歌舞伎や長唄の”江戸情緒”が
還暦者には向いているみたい。物好きで細棹と並行してチェロもやっていますがその二つの楽器はどちらも指板がギターのようにフレットもなく耳だけが頼りで「音」を作り出すことで、自分に向いている楽器かな
と思っています。三絃の”船弁慶”から”サンサーンス”やポロネーズまで音楽はいいものですね。
ギンナンと茶碗蒸しに関しては次回に書きます。うちの庭の”いてふ”君も今年は全然実ってくれない・・。
Posted by オールドファン at 2010年11月07日 06:53
冥土かふぇさん
どうもありがとうございます。
>すみずみまで読ませて
恥ずかしいんでそりゃ勘弁して下さい(笑)
オールドファンさん
どうもありがとうございます。
そう仰らず、庖丁画像を送って下さい。
お待ちしております。
Posted by 魚山人 at 2010年11月07日 09:34