人生の大切な出会い
知らぬ間に板前歴数十年。
早いもんです。
そんな月日などまるで夢のような気がしますが、
首から背にかけての重い「コリ」がそれを否定します。
筋肉に入り込んだ「重くて痛い皺」
そいつがね、長い年月を証明するんですな、
「夢じゃない、現実なんだ」と。
庖丁傷も内部深くに消えた節くれの掌を見て、
「なるほどな、おいらもそんな年齢か」
人ってのは「出会い」で人生が大きく変わります。
およそ10年に一人のペースで「重要人物」と出会う。
必ず出会います。
見過ごさなければ、ですが。
しかし残念なことに、その人が「重要人物」かどうかの判断はね、「10年後」にしかできません。
分かりやすく例えますと、子供の時期から10代後半までは誰でも友達が多く、親友みたいなのもおりますね。その時期は「いつまでもずっと親友だろう」そう考えているはずです。
しかし「ずっと親友」なのかどうか本当に分かるのは、社会に出て就職し、10年も過ぎてみてからです。その時期になって「あの時代の親友」が自分の周りにいるかどうか。おそらくはいません。
社会に出ますと鎧で外ズラを作って生きますので、新たな人間と出会っても、子供みたいに簡単に腹を割れない。つまり安易に付き合いは始らないってことです。
上っ面だけの薄い付き合いを「社交」と称し、内心疲れつつも薄っぺらな交際に忙殺され、一人の方が楽になる。そんな暮らしで「重要人物」になど出会えるはずもない。
でもね、よくしたもんで「魅かれる相手」に必ず出会います。 ペースは遅くなるが、そのぶん「子供の視線」ではない事もあり、「確実性」は増す。「ウマが合う相手」に必ず出会えるはずです。
なんとなく気が合うから仲良くなり、私生活で一緒でも苦にならない。
しかし、漫然と「なんとなく気が・・・」ではいけません。
その相手はあなたの人生を大きく変える人かも知れません。
それを見極めなきゃいけない。
どうやって見極めるか。簡単です。
【一緒に仕事をしていたい人】
心からそう思える相手ならあなたの「重要人物」です。
決して失ってはいけない人なんですよ。
もし失ったら10年後にあなたは後悔します。
そんな人間とは10年に一度出会えるかどうか。
「こんなのと仕事したくない」って相手なら日常的に会えますが。
ただし、
間違えた感覚で「一緒に落ちていく」相手を選んじゃいけませんよ。
「楽していい位置にいるから」とか、「なんとなく格好良いから」とかね。それはあなたの目がボンクラとしか言えない。
地味でも朴念仁でもね、見てくれなんぞ関係ない。
「自分を犠牲にできる人」「苦労を厭わぬ人」
そして「仕事の虫」
そんな人は「やせ我慢」すら愛嬌があったりします。
そういう部分に魅かれ、また波長が合わなきゃいけません。
「苦労するのがカッコイイ」
一緒にいるとその感覚が共有できる相手が重要なのです。
その理由はずっと後になれば分かりましょう。
おいらも人生の節目節目でそういう出会いがありました。
過ぎ去った過去だからこそはっきりと分かります。
「あの出会いが人生を左右した」と。
最初の二人は大正生まれで思いっきり年上。
祖母に親方です。他界しました。
その後も記憶できぬ程の出会いがありましたが、
「一緒に仕事をしていたい」と感じたのは片手の指に満たない。
不思議なことに年齢性別国籍はまったく無関係でした。
つまり仕事上の先輩とは限らないのです。年下もいる。
自分の人生の「1世代」を10年と考えますと、ほぼ1世代ごとに重大な出会いがあったように思います。ところがこの5年ばかりを振り返りますと、そうした出会いが遠のいている気が致します。
これも年齢の仕業だと言うのでしょうか。
「黄昏」という言葉が胸を去来します。
しかし受け入れるべきでありましょう。
人生は一陣の風。旋風の隙間から陽光が垣間見える場所を過ぎれば、いつかは月光が落ちる。いつまでも「若さ」にしがみつくのは醜い。
おそらく表面上はもう暫く変わりはしないでしょう。
しかし内部に育てる時期なんでしょう、「枯れゆく静寂」を。
魚山人さん、こんにちは。
とても心に響いております。このままを受け止め
させていただきます。情景は違えど同じ心境にな
るときがありまして、シンパシーを感じずにいら
れなくなりコメントを入れました。
枯れゆく静寂。探していた言葉なんです。50を過
ぎてこの様な感慨に浸る事が多くなりました。
一言半句の誉め言葉の無礼、お許しを。
Posted by konomu at 2010年03月07日 10:41
お疲れさまです
まったくその通りだと記事を読ませていただいて思いました
若い少年の頃は「友達」とくに何でも話せる友とは永遠の絆だと当時は思いました 社会に出て十年…これも不思議と身を持って経験しております 何人もいた、語り合い、ともに青春を駆け抜けてきた時代の男達。今じゃ1人の男とだけ「生業は違うがこいつと仕事がしたい」そう感じます。たまに寄り合いでみんなと飲むことはありますが、深い付き合いは昔ほどありませんけど「仲間」が困っていたり悩んでいるならほっとく程薄情にはなれないのも事実です たまに会って元気な顔をみれればお互い良しとしよう そんな空気を社会人になって重苦しくない付き合いのように感じているのでしょうかね。。
自分も少ないですが社会人になって節目節目に人様に恵まれました。もう他界してしまいましたが今でも、空から見ていて厳しさと優しさを自分の胸に与え続けてくれるような気持ちになる大先輩の板前。最後まで同じ板場でやれなかったですがまるで内弟子のように育ててくれました どの親方よりも職人らしく、1人で小さい料理屋をやっていた板前 夜中まで自分が持ちこんだ食材の段取りをおしえてくれた板前 自分彼女出来ました 「俺みたいに独身貫いて職人で死んでくなんて言いやがったお前が心配だった 所帯持って 死ぬまで惚れぬいて大事にしてやれよ」
しみじみ今日の記事を読んでいて思いだしました
自分は魚山人さんのような年季はまだまだですが もっと精進すればいまより今日の記事の意味が分かる気がします。
心の贅肉が削ぎ剥がれていき晩年骨太の生きざまを抱えてみたいです。それには節目節目の出会いがなければ容易なことではない気がします
人様にどう思われるかじゃなく人様になにが出来るかこれを忘れたらいくら技術的にすぐれていても 廃れていく気がします
偉そうに綺麗ごとばかり書いてしまいましたが 魚山人ブログを初め鯔さんや生業は違うけれど沢山の方の時に板前より職人気質なコメントを読ませていただいて なんとか立ち続けていられるのかもしれません。
あと十五年生きて自分の掌をみてどう思うかそのときは「こちら」でコメントさせてください(^-^)
Posted by たいら at 2010年03月07日 20:36
お疲れ様で~す!!
ツカなによ…
どこぞの生臭坊主の説教ジャネェんだからさ
『黄昏』
はえぇッツーの!爺にゎ!
あのさ
爺がね スッゲー勉強して
スッゲー努力して スッゲー経験積んで今に至るのゎ良くわかるよ
でもさ
黄昏んにゃ早過ぎだぜよ
俺んオヤジなんてのゎね
癌宣告されてさ 余命半年とか言われ モルヒネで幻覚見るよになるまで『黄昏』なかったぜ!
まだまだ!爺にゃ使命がありますんで…残念!(笑)
にしてもイイ記事ッスね!
俺もガキの頃から世話になってる方々にゃよく言われてますよ。
さすがに
【この人と仕事がしたい】と思う人を捜せとゎ言われネェが 人生にゎチャンスが3回あるってね
爺の言うように10年に一人だとするなら 20代30代40代とチャンスゎ3回なんだろよ。
50代になりゃ諦めるッツーの
(笑)
んだもんで鯔チャンゎ 今だ諦めてません!
いつかイイ出合いがハート
意味履き違えてんな俺(笑)
カミサンにゃ内緒ね。
Posted by 鯔次郎† at 2010年03月08日 02:19
ちゅかムカツク。。。
年頃の乙女をばつかまえて 「怖いからねあの娘」 つ~~~のんはね
そいつは、いかがなものか 〈←ギョサンジン調〉
それに父ちゃん年寄りのフリしすぎッ!!!
全然まったくどっこもほんとにあきれるくらい 爺 じゃありまへんがな。。。
マジで男前だし若すぎだっちゅーとるのワシわ。。。。。
変でショーが、、、、その若さとパワーは。。どうなっとると言いたい。。
普通 じゃありまへんっ とっくのはるかむかしに。。。。
「枯れゆく静寂」
とぉっても良い響き
素敵な言葉じゃね
それにィ、、、
【一緒に仕事をしていたい人】
至言じゃ思いまする。。んにゃ、、金言じゃね。。金句。。
いったい父ちゃんのドタマの中どうなっとるの ̄д ̄..??
今度行った時に割ってドタマ中を見てみるけんね
Posted by 怖いソの娘 at 2010年03月08日 04:17
konomuさん。
素直に御共感を頂きましたましたようでこちらも嬉しいです。
書き足すことは本来ありませんのですが、思うところをもう少し書いておきます。
生きていくのが容易ではない様に、老いて行くのはさらに輪をかけて容易ではありません。老醜を退ける道はたったひとつしかないとおいらは考えています。
魂が不動であること。つまり「年齢」の問題ではないということですね。性別や人種の問題でもないのと同じ。
料理人言葉で言いますと、「自分という素材をどのように庖丁してきたか」なのではないでしょうか。強い核を持った静けさの中で年を重ねたい。そう望んでおります。
たいらさん。
十五年後のコメントですか。そいつは大変だ(笑)
それまでおいらも元気でいなきゃいけないからね(^^)
でもあなたの頼みだ。受け入れるしかない。
そのようにいたしましょうかね(^_^)
鯔さん。
『沈まぬ太陽』は不自然の極。
破綻した、どこぞの航空会社みたいにね。
朝日が昇れば当然黄昏も来る、それが自然です。
不健康を怖れるのは老いを怖れるから、老いを怖れるのは「死」を怖れるからに他なりません。目を背けても無駄だし、見ぬ振りは不自然です。
直視すべきなのですよ人間は。「死」というもんをね。
そうすれば沢山の「不自然」が改善され、人間は生きる事の得がたさ、有り難さを知るでしょう。たった一度の人生を、自らの愚行で棒にふる者は確実に減る。
政府が強制的に国民に禁煙を迫るのはビョーキの世界ですよもはや。
煙草が消えようが癌は絶対に減少しないし、人はいつか必ず死ぬ。
「死」というもんを病原菌みたい忌み嫌う社会なればこその虚空の舞。
黄昏を受け入れるとはね、虚勢を捨て去るという意味なのです。
繰り返しますが、人はいつか死ぬ。
若さへの憧憬は社会が歪んでいる事の証明。
インチキの根っこはここにあるんですよ。死を無視するからです。
「前を向く」とは、若さを羨望したり追いかけたりするもんじゃない。
いつか老いて死ぬからこそ今を渾身の力で生きるという解釈が正しい。
怖いソの娘さん。
そうきましたか(笑)
やっぱりオットロシイ娘じゃわい。。。。〈←マル子調〉
Posted by 魚山人 at 2010年03月08日 05:53
お疲れ様です。
今日ゎ少年野球のOB君が
見事『高校受験』に合格したもんで~約束通りに
『ボーリング大会』を親しい家族とやって来たよ(笑)6ゲームも(泣)
その前に1時間ゎ息子と息子の達とキャッチボール…
おおよそ100㌔ゎ二人とも出てますんで 明日ゎバリバリ筋肉痛かと(泣)
しっかし爺さ
よく おみとうしだこと!
まいりましたよ。
俺な 今 若作りに夢中!
そりゃ学校に行く機会が あっからさ!
俺みてぇなヤツにゃ かなり痛い記事だし返事コメもまた的を射すぎ(笑)シカモ痛!
『死』…俺ゎ今を 楽しむことが 俺の『死』への 鎮魂歌なんだ。
だって明日イヤ…これ書いてる最中に脳溢血って可能性も 無きにしもあらずじゃん?だろ?
まぁ
こんなコメゎ冷やかしみてぇなもんだが
黄昏←って やっぱ深いもんなんすね
俺ゎてっきり 糞ジジイが半狂乱起こして…なんて感じたもんでスンマセンm(__)m
にしてもイイ記事
しかもコメがまたイイ!
たいらサンのコメ見たら
コメ被せんの恥ずいんだが…
(恥ずい)←若者風
俺ゎ俺なんで
んじゃオヤスミ夜
Posted by 鯔次郎† at 2010年03月09日 02:01
鯔さん。
オイラゎおいらなんで、じゃお疲れさま。
(1行で終わるねこれじゃ 笑)
>俺ゎ俺なんで ←この解釈もまた正しいのだろうね。
「若作りに夢中! 」だそうですが、
若さを維持するコツは「物事への興味を失わない」ことです。
1つの概念に執着しないと同時に、こだわりを失くさない。それでいて、多方面への関心を持っている。つまりは、外見を作るよりも内面から出る若さの方が大きく影響するってことじゃないだろうかね。それが「目力(メジカラ)」となって表れる。若さは何より「目」に出るからね。濁りきった目をした若さってのはありえない(笑)それは『年齢に関係なく』誰でもといっていい。
まあアンタは十分若いですよ 鯔だし (笑)
ちょいと「難ずい」かも知れんが、内省偏向的な枯れ方よりも、風雪に耐えて年輪を重ね、「最期まで枝を伸ばし続ける大樹」のごとく枯れるのが理想って事です。
Posted by 魚山人 at 2010年03月09日 14:31
あまりにも 我が心と符合する所があり
言葉を失い 書けずにいました
節目節目を過ごして 老いる姿を 鏡に映せば
初老の父と 瓜二つの姿を見て
父が亡くなった年まで 後 数年 ・・・
私も そろそろ 近づいてきたなと感じている次第です
残された時間 ・・・
遣り残した事は 子供に託すしか方法が無い年になってきました
長男は 止めれば良いものを 私と同じ業界に進み
その苦労は 口に出さなくても 私が苦労してきた道 ・・・
次男は 自由奔放に育てた為か この日本が 狭いように
感じてるような 行動力
小学生の時は ロシアまで 一人旅に出し
今や 友達は 日本中にいる始末
やっと 今年 就職が決まり 少しは 落ち着いてくれれば
良いなと思う次第です
節目節目に 体力・外見は衰え
家内から 「毛生え薬」と馬鹿にされる「育毛剤」を
寝る前に 頭に 降りかけ 結婚前に 禿げたら 離婚という
約束を 今になって 必死に守ってる次第です
いろいろな 衰えは それだけにとどまらず ・・・
まあ 男なら 我が心労 ・・・ 察してください
でも ・・・ 男なら
生まれてきたからには 何かを残さねばならぬ ・・・
そう 思いつつも 時間に追われ 背中を蹴飛ばされ ・・・
何も出来ぬ自分を 恨めしく思い
逃げたくても 逃げる事の出来ない 人生という時間
何かを残す事が出来ればと もがく毎日です
せめて 残された者には 迷惑を掛けたくない
父のように 脳溢血で ポックリ逝くのが 希望です
「子孫に美田を残さず」 ・・・ 考えなくても 残せません
まとまりが無い文章になってしまいました ・・・
今回の記事は 見ないようにとしてた 我が心を
出刃包丁で 突き刺されたような思いです ・・・
Posted by トミー at 2010年03月11日 02:50
いや~、胸にしみますなぁ、トミーさん。
ある意味で「戦後に生まれた罰」という気がしてます。
戦後は現在まで一貫して「老いを否定し、若さに執着」って流れ。
愚かというのも馬鹿馬鹿しいけど、現実は動きません。
おいらは今の日本は「罰を受けている」と思いますね。
過去を否定し、文化を捨て去り、老人を蔑ろにしてきました。延々とそれを続けて来た。家庭からは「和食」が消えました。
ベビーブーマーや、フォークエイジを責める気はありません。ただ彼等も還暦を越え、「何でこうなった?」と内心思っている気はしますがね。
役所も企業も国民も「硬直化」してしまい、柔軟なタフさがまるで無い。
国際化が進めばタフな外国勢に押されるだけでしょうな。
つまり明るさが全然無い国になりつつあります。
芯が持てなかった戦後60年の、結果がこれなんでしょう。
せめて若い世代に希望をつなぎたいが・・・・
この国の蜘蛛の巣は、厚みが深すぎて容易ではないでしょう。
馬車馬のように働きぬいたあげく、家族にも国家にも、すげなく扱われる老後を迎える男性は、想像を超える多さだと思います。
果たしてこのような国で老いて行くのは正しいことなのか・・・
逡巡が無いと言えば嘘になります。
Posted by 魚山人 at 2010年03月11日 06:05