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板前修業旅~沖縄の女性と北海道の女性

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板前の修行旅、出会った人々

矜持の彷徨

薄刃包丁を持ち  芋や大根の皮を剥く

刃線が親指の腹にくい込む

目はそれを見ています

皮膚は包丁の鋭さと冷たさを感じている



研ぎあげた鋭い包丁なのに皮膚を割かない

長年やってますのでタコになってもいる

一般人よりもその部分の皮膚が丈夫かも



もちろん当てたまま包丁を引けば

その部分は切り裂けて血だらけになります


だが 包丁は圧すだけじゃ切れない



剥き終えた時の達成感やささやかな満足感

頭はそんな事を考えているのかも知れません


次の段取りを組み立てていることもある

何も考えず手だけを動かしてる時もある




野菜によっては音がする時もあります

しゅっ

しゅるっ

しゃ しゃ 


包丁の手入れ次第で音色が違う

それに気づいたのは板前になって20年目です






駆出し板前の頃  よく旅をしました

全国各地の板場で助仕事 板前修業

あの頃が良い時代だったか悪い時代だったか

おいらには判りません

誰にも分からないでしょう


ひとつだけ確かなのは

まだ矜持をもつことができた時代だったこと






いつの間にか21世紀も10年が過ぎている



幾層にも重なる厚い雲

その切れ間に見えるものは

朝日なのか それとも沈む夕日なのか

この国で生まれ 仕事を持つことができた

働くことに満足を感じる事もできました



疑問に思う心

好奇心か探究心かResistなのか


それを解決すべく試行錯誤を繰り返す

解決して試行が成功するとは限らない


疑問を持つことが「人生の邪魔」になる事もあります

それでもやはりあらゆる事象に疑問を抱く

苦い失敗をしたとしても

孤独な立場になったとしても

苦労を背負い込むだけだとしても


疑問を持ち それを追う気持ちを失くさない


妙な誇りや自負心なんぞよりも

それが矜持なんだと 自分は思います

飾らぬ美、テダの気質

テダとは太陽のことです。
沖縄では「テダ」「ティダ」「てぃ~だ」という感じで、奄美では「てだ」
そんな微妙な発音の差違があるようですが、沖縄・奄美地方で「太陽、もしくは日照」のことをテダと表現します。

九月も後半に入り、漸く朝夕は涼しさを感じるようになってきた按配ですが、昼間は夏の太陽ですなぁ、まだ。

暑いのは好きではないんですが、燦々とした太陽は好きです。まぁ明るく輝く太陽光線を嫌いな人はあまりいないでしょうけどね。吸血鬼じゃあるめぇし。

満ち溢れるエネルギー。
闇を払いのけてしまう明るい光。
そこに「力強さ」を感じるんでしょう。

北で出会った太陽

昔、まだ親方が存命で元気だった頃

親方
「おぅ、わりぃが今度は北海道まで行ってくれ」

おいら
「いきなり北海道って言われても・・・」

親方
「んだと!おめぇは親方の言うことを聞けねぇってか」
「黙って行ってこい。この唐変木!」

おいら
「はいはい」

偏屈カミナリ爺の弟子になったのが運の尽き。
従うほかありません。

そういうわけで、札幌のとある店で「板長が復帰するまでの間」という約束で、スケの仕事をすることになりました。

板場に出て数日、初日から気になっていた「板場をちょろちょろしてる小さな女の子」と、どういうわけだか意気投合。

「危ないから」という気持ちで声をかけたんですが、しょっぱなからえらく気に入られてしまい、おいらのそばを離れない。

柳刃持って刺身引いてる横で、おいらのズボンの腿のあたりをひっつかんでいる(笑)

危なくてどうにもならんのですが、追い払う気にはなれません。おいらが細心の注意をすればいいだけですからね。火の周辺にだけ近づけなきゃ大丈夫。

小学の低学年くらい、ちょうど学校がお休みの時期だったみたいです。

おいらが刺身を引くのを凝視し、切り終えたら、
「なかなかやるな。おぬし」
との仰せ。

言い草が可愛いいったらありゃしない(笑)

おいらも調子を合わせて、
「そりゃどうも、センセイ」

その子は、店の中居さんの一人娘でした。
よく働く女性で、その店の看板のような存在。

母子家庭のようで、長時間労働の中居という仕事柄もあり、母の職場に入り浸りという事情。

経営者の人柄などもあり、そのようなアットホームを許容する職場環境だったわけです。加えてお母さんの明るく仕事熱心な人間性もあったんでしょう。

最初のうちは母親が、
「板前さんに迷惑かけちゃダメでしょ」
「お兄さんの邪魔になるから向こうに行ってなさい」
そんなふうに叱っていたんですが、その子は何故か絶対においらから離れない。

子供の相手をするのは好きでしたが、これほどまでに懐かれたのは初めて。
慕われると当然ながら尚更に可愛く思える。

「構いませんよ」
「迷惑じゃありません」
「仕事を教えてくれる先生だし 笑」

ある日、寝てしまったその子をおぶって、母娘の家まで送る事になりました。
豊平川の、堤防のような道を、娘を背負って歩きながらその女性と色々な話をしました。

年齢は20代後半、出身は釧路”のあたり”、色々と苦労をしたが今は娘を立派に育て上げることだけを考えている・・・・そのようなことを語ってくれました。

理由はまったく分からないが「馬が合う」という現象はあるもので、娘とおいらはまるで生まれた時からの相棒みたいな感じです。
結局のとこ、仕事の合間にも、休みの日も、毎日その子と過ごすことになります。

四週間後、店の板長が戻ってきました。

おいらは、母親に「自分が東京に帰る日をこの子に教えないで」と頼みました。

ところが帰京の日、空港に二人の姿が。

そのひとは、おいらにそっと言いました。
「つらいのは分かっているけど、それがこの子の為になるから」

泣いている女の子よりも、実はおいらの方がもっと哀しいのかもしれない。そんな心の内を見透かされたような、あるいは「女性の強さ、逞しさ」を垣間見るような、「女そのものの優しさ」を感じたような、なんともいえない複雑な心境になりながら、小さな体が壊れるくらいに強く抱いた手を、なかなか解くことができませんでした。

テキパキと料理を運び、ハキハキとお客の対応をし、段取り良く仕事を流せる彼女には、太陽の光のような「陽性の強さ」があります。

その気質が娘にも受け継がれることを願って、おいらは飛行機に向かいました。

南で出会った太陽

今から数年前のある日、おいらは沖縄にいました。
那覇に一泊した翌日、コザに宿をとって休養。

本島中部は色々と面白い店などが多く、それはコザを中心とした半径数キロに集中している感があります。

市の中心部はシャッター商店街が多く、イマイチ賑るいませんが、そんなのは何十年も前(少なくとも80年代)から同じでして、日本の地方都市はどこに行っても似たようなモンです。

東京の賑わいが異常なだけで、これが普通ってもんでしょう。大型店舗がさらに大型化し、ドーナツみたいに中心が穴になるのが「経済成長」ってことでしょうな。メデタイことです。誰がどう「成長」してるんだか(←)

毎度のことですが、欧州から帰国しますと、日本の街並にため息が出てしまいます。
白くて大きなコンクリの箱が乱雑に無計画にデコボコに並んでいるだけ。
日本中どの街に行っても同じ光景。このセンス。だれがこの設計図をつくったんだ? そう思わざるを得ない。

日本の「縦割り行政」をそのまんま形にしたようなアリサマですな。全体像というものが描けない。
土建屋政治を「都市計画」とかいうし・・・・

ま、脱線はこんくらいで(笑)

沖縄在住の友人に連れられて、ある店に初訪問。
ちなみに、友人の職業は公務員。

その店はコザからも普天間からも離れた、かなり辺鄙な場所にある軽食店兼ライブハウス。民家を改装したような小ぢんまりしたお店でした。

山の中腹というか丘の上というか、テラスから太平洋がよく見える抜群のロケーション。湾の向こうに離島が見えました。

音楽のジャンルは沖縄民謡、ポップス、ジャズ、クラッシク、フォーク、まぁ要するにオールジャンル。

例外的に店の名前を紹介したい気もするんですが、それはやっぱりやめておきましょう。後述しますが、現在の状況がよく分からないし、どのような迷惑を掛けるか想像を越える場合もあるからです。

結論からいうと、その店を一発で気に入りました。

偉そうな事をね、
言う気はありません(←いつも言ってるくせに (笑)
が、食べ物屋に行くと、料理を口にする前にそのお店の良し悪しがおいらにゃ分かるんです。

造作、インテリアなどの佇まい、流れている空気、そして器類のセンス。それで主人の人となりが大体見える。

ぱっと見が豪華でもどこかにスキがあれば、そのような料理が出てくるし、雑然と散らかっていれば、料理もご同様。

簡単にいうと、「拘りというのは全体に出る」です。
店の門構えから入り口の先にある空間、それが料理なんです。「料理の味だけが特別製」なんてのは現実ではなかなかあるもんじゃないんですよ。

質素だが隅々まで清潔、全体に簡素だが上品かつセンス良い飾り物が雰囲気を引き締めている。そのような感じですと、「お客の視点に立ったおもてなし」を心得ている人ですので、料理もそのように作るのです。

「金があるんだ」とばかり、ひたすら我のみを主張して、「ヨソからどう見えるのか」を想起していないし、「心」がどこにあるのかさっぱり分からぬ、「お・も・て・な・し」など笑止千万。(←又余計なコトを・・・笑)

お定まりのチャンプルーと沖縄そばを注文しましたが、料理が出てくる前からすでに味も合格点。

店の雰囲気から予想はしてましたけども、やはりオーナーは女性でした。

この女将さんがね、「テダ」だったんですよ。

五十年配のようですが、年齢を感じさせない美人。
若い時はさんざん男どもを泣かせたに違いない。

愛想が特に良いわけではなく、むしろ客商売にしては素っ気無いとさえ言えそうなお人柄。

しかしすぐに分かりました。
人一倍情が濃く、繊細な優しさを持つ反面、大胆な行動力を持つ「陽性のひと」であると。

苦労を背負い込んでも、それを跳ね返してしまえるポジティブな思考と行動。「太陽の気質」です。

「うちのマル子が年齢を重ねていくと、このような女性になるのかもしれないな」、そんなことを感じました。

それほど言葉を交わしたわけでもないのに、何故だか肉親のように深い部分で理解できるという、不思議な「馬が合う」という現象。これはどういうモノなんでしょうかなぁ。

飾り気のない「すっぴん美人」
ブランドには興味がないがセンスが光る。
どんなものが自分に似合うのか理解できる頭脳。
他人のマネには関心ゼロのオリジナル精神。

その一方で、

周囲が茶髪だから自分も髪を染め、かと思えば貞子の黒髪、皆がミニスカだから自分も丈を短くし、レギンスが流行れば街中が黒い竹の子だらけ。入れるのが千円札だけであってもヴィトンの財布、とうぜんスマホは必需品。しまいにゃ「鏡を見ないで」シャネルの服を買う。でありながら、それらの行為を「個性」であると思い込んいる不可思議な都会の女子さん達。

この相違はどこから生じるものか。

思った通り若い時代は拓郎やレノンが好きだったそうな。音楽好きはそのまま続き、子供を育てつつ沖縄ロックのメッカであるコザ・センター界隈のライブ・ハウスに足繁く通ったと仰る女将さん。

裕福とは正反対の家で生まれ育ったそうで、何度も何度も「落ちて行きそうになった」ことがあるが、「何か」の力で這い上がる人生。最後は自分の好きな音楽に関わる仕事につけたわけですから成功者と言えましょう。

「何か」とは、ずばり太陽の気質でしょうね。
テダのような「熱いPassion」、「折れない気強さ」、ダークサイドに落ち込まない「明るさ」、そして暖かな光輝のような「深い情と愛」

太陽に照らされた植物は大きく真っ直ぐに育ち、大輪の花を咲かせるものです。
陽射し(テダ)は「母親」そのもの。
そんな存在を「無事に育った連中」「花を咲かせた人々」が放っておくわけがない。
必ず「お返し」をしてくれるんですよ。
それがヒトの繋がりってもんです。

少し気がかりなのは、この方の店のサイトが最近更新されていないことです。近況を知ろうと思えば問い合わせれば済む事ですけども、なぜだか躊躇します。おそらくは杞憂にすぎないでしょうし。

「テダのような美らむん」さん。
どうかお元気であって欲しい。
敬意を込めて心からそう願います。

使い古した盆ザル。
丈夫だった竹も擦り切れてしまっている。
そこからタネが漏れてしまうように、男の矜持って奴も蜉蝣のように儚い側面がある。その事に気が付くのは40歳代も後半に入る頃でしょうか。

彷徨が迷宮になり暗い世界に呑まれないようにするには、「明日を信じる気持ち」を強めるしかないように思います。

旅の終わりってのは、「とりあえず」でなけりゃいけません。本当に終わるのは死ぬ時だけ。それが人生ってモンでしょう。

どちらかが恥をかかなくちゃならないなんてことがある


そういうときに自分が恥をかく事をためらわない


いつの日か、そう思えるように


今、心に常に思い続けておこうと思いました。

by ゆうじ at 2013年09月07日 14:39


「いい仕事」
若輩者の私ですが、最近考えるんです。
小売としてお客様にできること、距離感、信頼関係。
「お客様」を「同僚」と置き換えてもまた同じ。

色々書きたいことはあるのですが、どうも文章にするのが苦手です。
魚山人さん、今回の記事を書いていただき、本当にありがとうございました。


by 茶坊主 at 2013年09月07日 21:32


苦い失敗をしたとしても

孤独な立場になったとしても

苦労を背負い込むだけだとしても

か。
魚山のォヤッサン!
お疲れ様です。

こんな記事を書いて
尚且つ 説得力もあり


この記事こそが「矜持」。


そう感じたよ。

で同時に 爺が立派な父親であることも確認できた。

このコメの冒頭に書いた爺記事のcopy 俺の父親像なんだ。まんまね。

重なりあう雲の間からそそぐ
日の光が朝日だろうと夕日だろうと 構わねぇ。
ぉてんと様にゎ逆らえねぇからな。
身を委ねるよ。

決して流されることなくね。

どのみち 昇るし沈むんだかんな。

「矜持」って…
なんか見たの?
いっきなし…

それこそ昔も今も 時代もへったくれも ねぇっしょよ。

前を向くって 大変なこと。
時に 痩せ我慢
時に 嘘もあり
時に 逃げちまうこともあるだろうさ。人間ならね。

そんな弱々しい我々人間が
「プライド」みたいなモンを振りかざし 一体何?

はい。
一からやり直しです。
「矜持」とゎ 武器ぢゃねぇのよ。説得力。

その「一から」が出来ないんだよ。今。

この記事。
若い連中ゎおそらく 理解出来まいに。

正確にゎ 理解したいから教えて!!←だろうと。

そんな若者達を 社会や時代や
教育方針の違いのせいにゎしたくねぇやな。

親が悪いんだよ。
「何が悪いんですか?」←この質問自体が終わってる。

子供達ゎ産まれる環境を選択出来ません。
でも産まれた以上 生きていく。
自ら死を選択する若者。
かたや 難民としてでも生き残ろうとする人々。



爺。
俺な 完全に反面教師なのよ。
親父としてな。
でも子鯔達ゎついてくる。

こんな関係を俺みたいなのが築けるのゎカミサンのおかげさまなんだ。彼女がヒールを買って出るからね。

なんかさ カミサンに内緒で俺がこのblogにコメしてることに罪悪感を感じる。

それこそ時代なんかな…


月曜日ゎ2号3号と 釣りに行ってくるよ。

従業員 仕事してきます。
シコイワシ…シコイワシ…シコイワシ…

多分釣れちゃうけど…
ォヤッサン!(笑)

Ps@:休めっての!
以上。

by 鯔次郎 at 2013年09月08日 01:50




おつかれさまです 父ちゃん。。。

ちゅかさ、、、、、

ヒトの文体をば、、、、、、、、、、

真似してはいかんぞい▽ ̄(エ) ̄▽(←カオは犬だけど一応ヒト)




この記事読んだら桜井さんの詩がドタマに・・・


♪~

いろんな街を歩き

いろんな人に出会い

口にした「さよなら」は数知れず

・・・・・・・・・

選んだ道とはいえ 時に険しくもあり

些細なことで僕らは泣き笑う

・・・・・・・・・

生まれた場所を離れ

夢からも遠くそれて

あぁ 僕はどこへたどり着くのだろう

・・・・・・・・・

戦後の日本を 支えたものの正体が 

なんとなく透けて見えるこの頃は


柄にもなく考えたりしています

・・・・・・・・・

変わっていったモノと

いまだ変わらぬモノが

あぁ 良くも悪くもいっぱいあるけれど

・・・・・・・・・

あぁ 僕に何が残せるというのだろう

・・・・・・・・・


そして世界一の お酒を見つけました

それは必死で働いた後の酒です

~♪


【 1999年、夏、沖縄 】Mr.Children



いつか

仕事とか「正体」のコトを全部忘れて、、、、

ゴーヤちゃんぷるやスクガラスを肴にしてさ

美味しぃ~~泡盛を 酌み交わしたいね


by マル子 at 2013年09月08日 19:07


そこに俺も。いれろ。
酒 酌み交わす席に。

お疲れ様です。

マルッポ&爺。

さぞや美味い酒を呑めることだろう。

ただし連休ぢゃねぇと無理だな。
おそらく しこたま 我を忘れる程に呑むんだろから
次の日仕事っつ-のゎ無理だしね。

きっと この記事にコメくれた方々って 矜持を持ってる方々だろう。
俺ゎそんなもん…
ドブネズミみたいなモンだしな。

でも無駄に肥大ゎしてません。
体脂肪率18%なら オッケー牧場っしょ!?

7年後にオリンピック来るんだってな。

俺 おそらく死んでるでしょ。
だってタバコ吸うゎ酒呑むゎ。

「俺の矜持ゎそんなモン」さ。

なんにも要らねぇ でも
よかったよ。
こんなふうに 言葉に出来る人と接点が 僅かであれ あっただけね。

子鯔達 何の競技で出るか 考え中(笑)

ワリィな爺。冷やかしコメぢゃねぇよ。これ。

by 黒足のボラジ† at 2013年09月09日 01:09


ゆうじさん
茶坊主さん
鯔次郎さん
マルちゃん
コメント、ありがとうございます。


マルちゃん、
ミスチルの『1999年、夏、沖縄』、いい曲だね。
本文に貼らせてもらいますよ。

by 魚山人 at 2013年09月09日 05:06


まだ暑い日が続いていますが、遠からず夏も過ぎ去っていくことに寂しさを感じている今日この頃です。

コメントは残していませんがブログは毎日チェックしております。魚山人さん、マル子さん、鯔次郎さん、その他の皆様方の書き込みを拝見しながら、自分の考え方を客観的に見つめたりしておりました。

>>>疑問を持ち それを追う気持ちを失くさない

そんな姿勢を持ち続けている魚山人さんだからこそ、魅力的なのだと思います^^

その思いを自分自身の言葉で発言できている・・・とっても輝いているように私には見えます。

マル子さんが紹介してくださったミスチルの曲。初めて知りました。隠れた名曲ですね。何度も聴いてしまいました。いつもありがとう。

by ゆき at 2013年09月09日 15:47


 西伊豆の浜ですね。
ゴロゴロの岩が打ち寄せる波に磨かれてまん丸になってしまったのが少し寂しくも在り、
 また辛抱の甲斐がお在りになったと言う事でしょうか…

by sin at 2013年09月09日 23:12


sinさん

我々は「派手で立派な富士」にばかり目が行きがちですが、
波に洗われる石塊も「日本の一部」だと自分は思います。



ゆきさん

この曲は知りませんでした。
やはり凄い才能ですねぇMr.Childrenは。

それにしてもこの曲の世界観・・・
マルちゃんに脱帽です。

by 魚山人 at 2013年09月09日 23:37


魚山人様 

旅はいいですね。
日常から離れ色々なものを見、人と交わり、日常と違うことを考えることができます。

矜持という言葉から中学時代に読んだ中島敦の山月記の李徴を思い出します。
小さくて臆病な心、実力が伴わなく研鑽するでもない尊大な心、理解して欲しいのに回りと交われない弱さなど自分を重ねてしまいました。なるべくその反対をするように心がけようとしてきました。

人間としての矜持、職業上のプロとしての矜持、夫・父親としての矜持どれだけもてたか疑問ですが、40年間の職業生活を幸せに終えることができ幸運に感謝しています。これからもやりたいことをやれればと思っています。

よい旅、時間をお過ごしください。

by 庄助 at 2013年09月10日 12:34


ありがとうございます、庄助さん。

庄助さんの食卓を拝見するに、「両方をバランスよく得てきた方」なんだなぁという気がしています。


旅先で見えてくるのは自分の人生だったりします。若い時には見えづらかった人生の目的が、旅を重ねることで鮮明に浮かび上がってくるんですね。

結局は「仕事と愛を得ること」、そうなりますね。
それが人間としての幸せなんだと理解できます。

「仕事と愛」
今は両方共に得難い時代だと云いますが、いつの時代だって「与えられるよりも奪われる」ことが多いと思います。

受動的に待っていては得られないということです。

どちらかが欠けては幸せな人生を過ごせません。
ところが日本の社会風土は仕事だけに偏重している気がします。「大学に入るのだけが目的」みたいな教育のあり方などがその特徴でしょう。

だから日本で暮らす若者は、倍のパワーが必要になるんですね。それか愛の方を犠牲にしてつまらぬ仕事人生を送るかです。
どちらにしても両方をバランスよく獲得して幸せを得るには大きなエネルギーが必要になりますね。

この国の現状を見ておりますと、「仕事(経済)を全てに優先させて人間を顧みない」という風潮が、あと100年くらい変わらないと思わざるを得ません。

観光地でゴミをまき散らしてくるようなモノではなく、旅先で人と触れ、大地を感じてくる旅。
そんな旅をする若者が増えてくれることを願うばかりです。

by 魚山人 at 2013年09月10日 23:28


爺。お疲れ様です。

この記事に関係ねぇんだが
一応コメしとく。
むしろ むりくり関係付けるかも。(笑)

2号3号連れて いって来ました
海釣り公園。

子鯔達にゎ最近 こう言うんだよ。「テメェで仕掛け こさえろ」
ってね。
案の定 頭使わず行動する2号ゎ出遅れ。3号ゎその間に ジンタを上げた。

サビキ仕掛けですんで 超簡単なはずが 次男(2号)ゎ向いてねぇな。釣り。
まず 考えない人。だから(笑)

で 俺ゎルアー釣り。
結局ボウズ。

が もう一本 保険で投げ釣り仕掛けをブチ込んどいた。
餌ゎダルマイカのカス。


それもなんにも当たりすら無し。


で子鯔達。
結局ジンタを50匹ほど釣り 帰宅の途へ。

その間に サッパやシコイワシをつりあげたが
サッパゎリリース シコイワシゎ俺のなげざおに。

面白く悔しいのゎ その俺の投げ竿に掛かった?な 魚。
間違いなくアカエイだろうよ。
リールが ジージーと悲鳴上げ 糸が出ていく。
しかも5㎏ゎ間違いなくある個体なはず。
あいつらに姿だけでも見せてやりたかったよ。

釣り公園だけに 野放しに放置すっと他の方々に迷惑だから
ドラグ絞めて 結局 ブチッ!!

矜持
情けないったらありゃしねぇよ。

あのアカエイを釣り上げなくても
姿くらいみせたかったよ。
パパ すんげー!!
っつ-反応を得られたはず。


結局ダメ親父(笑)

が 途中から2号が。
サッパが釣れると 海猫とコミュニケーションを取り出した。
サッパを空中に投げると 海猫達が翔んでくる。
空中でniceキャッチすんだよ。
管理人さんに見つかったら おそらくダメダシでしょうが。

矜持

そんな子鯔達を 誇らしく思うよ。俺。

心がなんせ優しいんだ。


で ジンタゎ南蛮漬けになり
今 残りをツマミにシテマス.
女房にも感謝。

この南蛮漬けにする手間とか
俺が子鯔達と 一生懸命遊ぶ姿勢も矜持の ひとつかと。

っつ-か これしか俺に矜持とできるモンがねぇ。

庄助さんにゎ到底叶わないッス。


以上。
結果報告です。

by 鯔次郎 at 2013年09月11日 01:49


お疲れ様です鯔さん。

矜持なんてもんは、片意地張ってまで得るもんじゃないと思うよ。
彷徨の末に「辿り着くもの」だという気がするんですよ。

初めから確固たる矜持があるって人は、よほどの意固地かヘンクツか、天上天下唯我独尊って感じの尊大さを持ってるヤツだけだと思う。
不幸にもこの国はそんなエリートさんが多いがね。


鯔さんは、「すし職人という仕事」と「美人のカミさんと3人もの子鯔」を抱えてるわけで、それはつまり『両方持っている』ってことだろう。

もし我を忘れて道を踏み外せばソイツを失う可能性があり、そうなれば幸せな人生が消失することになる。

「後悔先に立たず」
そうならねぇように、これからも仕事と家族に精一杯エネルギーを注ぐといいでしょう。

by 魚山人 at 2013年09月11日 05:12


お疲れ様です。

安物の薄刃を自分の愛した人と同じくらい大事にする。

ふと気付く感覚が年々重くなります。自分勝手でありますが、紙重なる現実の中で子を亡くす人生でした。

しかし次男も今日で一歳。
長男の素直さと力強い人柄と次男の愛くるしい微笑みに俺は、ただただ優しく接することしかできません。

甘いわけでわなく幸せだからです。

色んな板前と時代を駆け抜けてまいりました。

答はないけれど、魚山人さんと出逢った頃に学んだ日本人が自分は大好きです。

汚染水や政治をカミさんと日々考えております。

ボンクラな俺には勿体ない彼女は凄く子供と日本の事を考えています。

俺に何ができるのか?
包丁を磨き、懐石に蓋をしつつ、鰹の血あいを汐留めして、じっくり焼きながら考える日々です。

詰めてる板場には東北の男たちがアルバイトにきています。皆大学生です。

気が付けば板前もホールも皆野郎です。

真っ直ぐで若い素直な男たちと毎日仕事して、語り尽くしてると、薄刃を初めて持ったあのころより、今の時代に生きる若い獅子たちのほうが骨があると、強く思います。

経営の気苦労は痛いほど痛感し、それでも嫌みじゃない鋭さを持たなきゃならない。

家族の有方、板前の有方、まだまだ足りないものだらけです。

書き足りぬ思いですが呑み過ぎかな(笑)

近いうち包丁を投稿します(笑)

それしかできないっす俺は(笑)

by たいら at 2013年09月12日 02:21


お疲れさまです、たいらさん。

おいらね、正直3・11から一年くらい経た時期頃あたりから心がズタズタです。(←ガラにもねぇが 笑)

せっかく日本人が心をひとつにして一丸となれる機会を、完全に棒に振ってしまった。

「絆」「頑張ろう」って言葉が虚しく空回り、上滑り、ひとり歩きして心に響かねぇという、まるで「手垢の付いた使い捨て消耗品(アイテム)」のようなアリサマ。


一丸どころか、国民が二派に分裂して互いに口汚く罵り合い、責め合って、争うという始末。

見たくないモノは見ないふり。
実体の無い「ふわふわした虚像」に期待を膨らませ、【今そこにある事実】はスルー。


味噌汁を作ることさえ「手間、面倒くさい」とばかりに、カップラーメンに湯を注ぐ。
その精神構造がなせるワザでしょうかね。


でもね、都会を離れて田舎に行きますと、相変わらず自然は美しいし、そこに根を張って野菜や果物に丹精込める人々がいます。

「まだ、捨てたもんじゃない」
「まだ日本人は終わっちゃいない」


世界遺産とやらで混雑する富士のお山を心配しつつ、やっぱり美しい御山に見とれて、こう思います。

「どんなモノゴトであれ、真正面から睨んで目を逸らさない」
それが矜持じゃねぇのか。

核心的な本質には目をつぶり、浮ついて、無理な踊りを続けようとするこの国の中で、あらためて自分自身ににソイツを問うて行かなきゃならねぇ。

それしか出来ないだろうし、だから今からもそんな料理だけを作り続ける。
それが自分の人生へのケジメじゃないか。

今おいらはそんな風に考えています。


バイト先の店が潰れるって事も考えずにイタズラ写真をSNSにアップして自慢する小僧もいるが、その一方で薄刃やムキモノを持って野菜の皮をシコシコ剥いている若い衆だってまだまだ存在してる。

気合を入れなきゃね、おいらも。
そしてもちろん、たいらさん世代の板前もです。


久々に、たいらさんの包丁を見てみたい。
心待ちにしていますよ(^_^

by 魚山人 at 2013年09月12日 05:41


ご無沙汰しておりました・・しぶとく生きていましたナオでございます。

まぁそうは言っても魚山人様と関係各位様のご意見は欠かさず拝見させていただいてました。

今回コザの文字が確認されましたのでついつい・・

愛妻が沖縄なのは以前お知らせしたような気がしますが、中心部ではありませんがコザが実家でして・・

今年は桜の季節に両親と姉二人を福島に招待しましたので帰省はしてないのですが、年末辺りか、年明け早々にでも行こうかと思ってますのでそのような素晴らしい店を調査?してきましょうかね・・笑

愛妻もこちらの生活の方が長いのですが、今日も実家の母親と電話で話してましたが、沖縄の方言で話すので所々ナオには分かりませんでした・・

最近方言が見直されてきて、積極的に子供たちにも教えようとか・・若い時は恥ずかしいと思ってましたが、田舎者には、やはりホッとしますな、方言は。

今日の沖縄からの電話は先日送った福島県産の梨のお礼でした。

今年も福島の梨は美味しく出来上がってます、もちろん検査済みですので、ぜひ皆さんお買い求めください。

なんだかいつものように、とりとめのない話ですみませんです。

南相馬の住民も皆さんのおかげで元気で暮らしてます。ぜひ、東京オリンピックも見たいですな~~。

by ナオ at 2013年09月18日 19:56




にゃはははははは

ワシも行ったことあるぞい。。。

ちゅかさ、、、

この書き方だと行った人はすぐ分かるしっっっ

アホなの?父ちゃん▽ ̄(エ) ̄▽



それにしても

突然にアップするこの手の記事

無敵じゃね こういうの書かせると。。

この読後感があるBlogって他にないと思う

こゆのが《個性》ちゅーモンであろう。。。

もしコンナモン連発されたらば恐ろしい気が・・・

WordPressには来ないで欲しいもんじゃ




>誰がどう「成長」してるんだか

《成長》するのんはちゃんとありますけん

それは【ブラック組織】と【役所組織】


『今日もブラック花盛り』(魚山人)

あははははははははははははははははは

名人じゃね~このタイトル


そこまでピンハネブラック王国になっちょるとさ、、、

来たる〈土建景気〉でどうなるコトかのう



アメリカも格差が加速してるけど

日本みたく残業代払わないで使い潰すというのはナイ

〈みなし労働〉なんて日本なればこその産物


若いヒトが絶滅するまで 

延々と続けるんじゃない? そういうコト

労働基準法や組合を持ち出せば〈サヨク〉〈ザイニチ〉

クルクルパー社会がもう末期に近いご様子なれば

「若いテダ」が日本から逃げ出すことをワシは願う。。。


by マル子 at 2013年09月18日 20:13


音楽のジャンルは沖縄民謡、ポッ プス、ジャズ、クラッシク、←あのな…
こういう笑わせ方 無しな。
せっかくエロジジィが素敵な記事書いてんだからよ(笑)
ちゃんと確認しろっつ-の!


お疲れ様で~す♪


我が家からも みなとみらいとやらの 狂った建造物達が 澄んだ空気により 綺麗な夜景?
としてベランダから見えるようになり 秋の気配です。

「お・も・て・無・し」
ダロ?あれ…
「お・も・て・う・ら」か?
(笑)

そういう意味に於いてゎ確かに 太陽のような女性が今 絶対に必要なのかもね。

俺 太陽苦手ですが…
出来れば爺。
月に例えた 素敵な女性の記事書いてくれよ。m(__)m

だってさ俺。ガキん頃から
夜中の生活。
今年の夏なんて 外仕事だったら 間違いなく死んでるぜ。
吸血鬼ぢゃねぇが コウモリみたいなモンだしな。(笑)

職業病として 夏ゎ自律神経が
イカれる。
エアコン&出前で炎天下
エアコン&出前で炎天下
これを 繰り返すと 鳥肌と
汗をかく といった自然な対処法が真逆になる。
炎天下で鳥肌…と いうようにね。
つらいのよ。

グダグダゎこんくれぇにして

まぁ爺も ぶちまけたモンだね。
(笑)

女子を敵に回した。(笑)
んぢゃ俺も。
1号にさ 「彼女にする条件」を
伝えてある。
それゎ。
「足」「脚」
おみ足の綺麗な女しか 俺ゎ認めねぇし お前が苦労すんぞ。←と教えた。
は~い!!敵増えました~!!

がね
太いとか細いぢゃねぇのよ。
恐らく その北の中居も
南の女将も 脚 綺麗なはず。

別に俺が脚フェチな訳ぢゃねぇ。
俺ゎ鎖骨フェチ。←どうでもいい(笑)

生活が 脚に出るんすよ。
顔とか性格なんてのゎ 好みあるし嗜好品。一概にゎどれが良いかなど言えねぇ。
慣れる←っつ-こともあるしな。(笑)

とにかく そう父親として教えてる。


レギンス。
どうしても許せねぇのな。
爺ゎ(笑)

俺それ 理解するゎ。
何故かって?
男女間の接触にゎ有事が付き物。その際…
脱がすべ?
すっと レギンスが最後に…
力道山ですか?!!
天竜ですか?!!
はたまた 江頭2時50分ですか?!!
っつ-ことになる。
なるほど…。爺が しつこく嫌がる訳だ。納得。

俺のカミサンが かたくなに自転車に乗らねぇ理由とにてる。
意味不明だろがね。(笑)
そのくせにシャコタンの某ノンスリ入った車に乗ってますが…

この記事。
女子のこと書いてんが
男子へのレクイエムだな。
そんな素敵な女子を 必死に求めるエロジジィが もしく ゎ
そんな素敵な感性を持つ男子の書く記事だからか。

俺 乱暴だからコメ。
堪忍ねm(__)m

その北の娘っ子に 逢いにイッタレよ。爺。
南の女将ゎ心配不要。
それが旅ってんぢゃねぇのか?


また報告記事を書いたらいいぢゃんか。

シャッター通りが 当たり前のなか
我々ゎ努力する以外に 何があんのよ。
国民全てが 大資本の店にしか
行かなくなっても 俺ゎ細々でも 店が欲しい。

出前ゎやらねぇ。
店が殺伐とするから。
おみえに なられた ぉ客様に
最高の空間を提供したい。

太陽の女将を
月の申し子 鯔次郎が
凌駕するような店。やりたいね。

by 鯔次郎 at 2013年09月19日 01:23


南相馬とゎ なまりも違うでしょうが 我がオフクロの実家
東白河郡あたりの なまりで。
m(__)m

「寄ってぃがっしょ~」
「茶っこさ 飲んでったらいいばい?」

素敵な言語。
大切な 訛り。
文化です。
俺 悔しいモン。
あのイントネーションを自然にしたいっす。

公務員である郵便局員サンが
土間で ぉ茶呑みしながら
カブ乗り回し 各家庭を回るあの仕事内容。

あ!今 民間化されたんだっけ(笑)

ナオサン。
爺。よろしくね。
俺の手にゎ負えないんで…
このジジィ。

南相馬。
聞くだけで反省の念です。
申し訳ないm(__)m
我々日本人が だらしないばっかりに。

梨。
先日 頂きました。

美味いね。
くだものってのゎ
甘さと 酸味と 舌触り。
このバランスです。
最高の梨。ごちそうさまでした!
後ゎ 桃。
まだ喰ってねぇ。
あ!季節逃したね!(笑)
んぢゃ ツチグリ下さいな。
m(__)mマヂに。

by ナオサンへ♪ at 2013年09月19日 02:20


お久しぶりです、ナオさん。
お元気そうでなによりです。

もう少し若い時は、コザから58号に向かい東シナ海に出て、北谷から嘉手納にかけて点在する「そば屋」で、足てびちソバとか鹿ソーキのソバとかが楽しみだったのですが、今はボリュームよりも薬膳的なモノが好みになってきました。ま、おいらもトシってことでしょうか(笑)

by 魚山人 at 2013年09月19日 05:22


マルちゃん

>アホなの?父ちゃん▽ ̄(エ) ̄▽

いや、あのね (~_~;ゞ

分かってる人は別にいいわけで・・・
興味本位、やじ馬的に行かれると困ると。

なのでリンクや地図ナビはナシってことだな。



WordPressの段取りは終了した。
やり方もほぼ理解できた。
ありがとう。
練習としてとりあえずあのサイトをナニして慣れておいて、引退後に本名ブログを書くつもりでいる。


今は記事の量産など不可能だよ(笑)
連発なんぞ出来るワケがあるまいに。

そのうち1行も書けなくなるだろうし、
いらねぇ心配ってもんだ(^_^



逃げ出せる者は、もうそうしているよ。
どこかの「犬のおねえちゃん」みたいにね(笑)

そうできない若い衆が大半だろう。
それが問題なんだよ。

真面目な若者ほどタチの悪い企業に追い込まれやすい。「週に100時間残業させて手当を出さない」なんてのはもう殺人と同じだと思うんだが、今の企業にはそれが当たり前だと考える管理者が多い。

他の大多数はそれを横目で見てこの国の組織のあり方を理解してるので、仕事への情熱など持てず会社への忠誠なども育たない。

そんな背景がある以上、会社や仕事がつまらなくて堪らない、苦痛でしかないって者が想像以上に多い筈だ。

会社は会社で安い銭で若い労働力を使い捨てる旨みを捨てきれない。中毒みたいなもんだからエスカレートするだけだろう。なので最後は正社員まで絞りに搾るようになるわけだ。

こんなザマでは、離職率の増加傾向は当然というしかないだろう。

ま、一概にアメリカと比べる事はできんがね。承知してるとは思うけど。
簡単に首を切れる米国と違い安易にクビに出来ない仕組みがあり、それは「組合の圧力」が拵えたものだ。
しかし組合そのものが利権団体と化した今、そんなモンは都合の良い言い訳にしかなってないわけで。

どちらにしても「野に晒されている者は、組織に骨になるまで搾られる」という構図があまりにも固まりすぎて隙間さえもない社会。独立独歩の気概を持つ者は出て行くしか選択肢がないのかもしれないね。


1%はエリートとして霞ヶ関に行き、官僚ピラミッドの裾野を広げる役割を担う。そしてブラックを再生産し続けるんだろう、いつまでもね。

経済一辺倒の半世紀がこの状況を生んだのは明らかなのに、ま~た「土建経済」「お上のばらまき」に国の未来を託すというメンタリティ。

「同じことを繰り返す」行き方に何の疑問も湧かないというのはいったいどういう事なのか、もう理解できん。

日本の若者達が本当に可哀想だと思う。
でもね、先輩としてのホンネは、「だけど負けるな。明日を信じて動き続けろ。日本を捨てるな!」

by 魚山人 at 2013年09月19日 05:23


鯔さん


今の時代はね、鯔ちゃん。
個人店でも「清濁併せ呑ま」なきゃ商売としてやって行けなくなるもんだ。

「お客さんに満足してもらって、営業利益も出せる」
これは口で言うほど簡単ではないよ。

とくに「料理のプロ」が経営を軌道に乗せるのは難しいもんだ。

「お客さんの視点か」それとも「プロとして料理を作って出す側からの視点か」、これが分からなくなってしまいがちだからね、プロは。

結局ね、「自分と同じ味覚と感性を持つ人だけが来ればいい」という考え方との綱引きで苦しむことになるんだよ。

苦しまないで済む「”だけが来ればいい”という位置」に店を持っていけるかどうかです。多くの場合はそこに至る前に店を閉める結果となる。


何であれ、自分の道は自分で切り開くガッツは不可欠。それがなきゃモノゴトは始まらない。

それはつまり「自分で判断する」ってことだ。

迷うこと、分からないこと、ソイツは自分が完全に理解できるまで考えぬいて答えを出す。解答が見つからないとしても、そこで終了じゃ話にならんので、見つかるまで探す。
そうする事によって「判断して決断する力」を自分のものに出来る。

人生の重要な決断を他人に依存するなどあり得ないと思うよ。
カルトやテレビ脳じゃあるめぇし。
(↑魚山人風余計なヒトコト  笑)


「自分ならやれる」という強い気持ちと、何があっても引かない根性があれば大丈夫ですよ。

サイレントなら分からんが、「鯔次郎」ならね。

by 魚山人 at 2013年09月19日 05:24




アホ言うてからゴメンナサイ
スマンスマン (~(エ)~;ゞ←謝りながらも魚山人の顔マネ



ワシが行ったのは父ちゃんよしかずっと前なので、、、

お店の位置とかキャパが今とは違ってマス。。


オーナーさんのセンスの良さはサ

響きの良いお店の名前で分かるよね

ワシもあの人が好き。。。。



コザ界隈の最盛期はAサイン時代じゃない

ジョージ紫とかコンディショングリーンとか

今は7th Heaven KOZAやJACK NASTYにバトンかな

ライブハウスも代替わりとか栄枯衰退

中央パークアベニューもゲート通りも

中の町もパルミラ通りも

人の通りは少ないし活気とは遠いよね

どんなお店であれ

中部地区で経営を続けるのは大変だと思う。。



そういえば普天間、、、、

ジェイソンのPENT HOUSEって今もあるの?


by マル子 at 2013年09月19日 08:03


『PENT HOUSE』かぁ。
あるんじゃないの。
最近の普天間はよく知らんけど、基本的に変化しない街だからねアソコは。


「寂れた街」
沖縄の魅力はそこにあるし、おいらがやたら沖縄に拘る理由もやはりそこにあるんだよ。

錆びたシャッターや変色した看板のまちやぐゎー、パーラー、すば屋、そんな光景を「うら寂しい」「さびれている」と感じるのは外部の者であって、そこで暮らしているウチナンチューには「日常的な当たり前の風景」でしかない。

少々古臭かろうが、活気がなかろうが、
「地域で暮らす当人達は何も不自由を感じてない」
ここが大事なんだね。

この風景が消えてしまい、再開発が進行して醜い大型店舗に移行すれば、それは「沖縄が終わる日」だと思っているよ。
既に郊外の埋立地などはそうなっていて、「日本本土とまるで同じ」になっているがね。


沖縄の人にね、胸に刻んで欲しい言葉があります。

【無理な背伸びをするから日本はダメになった】


「等身大で普通に気張らず暮らせばいい」というセリフだけは好きだが、これほど似合わない言葉はないし、実際にこのように生きれる日本人はまったくというくらいいない。

日本国内でかろうじてそれが残っている場所。
それが沖縄県なんだよ。

日本化の波に押されて、今のライフスタイルを捨てるような選択をしないで欲しい。

がむしゃらに働き、ヒトというものを蔑ろにし押しのけてまで呪文のように「経済成長、経済成長」と金儲けに目に色を変える、そしてみっともないコンクリの箱をそこらじゅうに建てまくり、自然の風景を壊していく。

こういう姿のどこが「等身大で自然」なのか。

自分の頭でモノを考えるのをやめて流されるか、
生きた亡者のようになるかだ。

日本はやがてゾンビと脳ナシの国になり果てるだろう。



シャッター通りがあろうと、古臭い色あせた店ばかりだろうと、そこで暮らす人には何の不便もない。

見栄を張ってバカのようにデカイだけの「ハコ」を造り続ける理由がどこにあるってんだ。

幻想や煽りに乗せられて、「もっといい暮らし」が出来るというのが実は妄想に近いか詐欺の被害に遭ったようなモンだと気づけるのは、「落ち着いて自分の暮らしを見つめなおし、足元はどうなのかを考え、自分自身の頭で思考できた」ときだろう。

短い人生で大事なのは、「新しい立方体のハコ」なんかじゃない。
大事なのは、周囲の人々と繋がりを持ち、その人達と笑って語り合い、酒を酌み交わすことだと思うよ。

by 魚山人 at 2013年09月19日 15:26


魚山人様・・・沖縄を心配してくださってる様子で、関係者としては感謝の極みです

が、どうでしょうか?沖縄の兄弟、甥っ子、姪っ子達に、「て~げ~」の文化が宿っていれば大丈夫かとも・・・

方言じゃありませんが、地方の生活習慣はそのまま引き継がれていってほしいものですな~

良しにつけても悪しきにつけても・・

ボラさん、ありがとうございます。

ナオはボラさんの優しさにはいつも感謝しています。

ここに集う方々がいる日本はまだまだいけるような気がしてますが・・・どうでしょうか?

by ナオ at 2013年09月19日 20:03


おはようございます、ナオさん。

我々のような一般人の「声」ってのはとても小さいもんです。何を言おうと埋没してしまい「何も言ってないのと同じくらい誰にも届かない」のですよ。

そのような背景では、言いたいことがあっても、「持って回ったセリフ」など書いた場合は「何も言ってないのと同じ」です。

届いて欲しいと思うことは、せめて「大声」で喋るしかありません。音声の無いブログの文章なれば、「針小棒大」に書くという事です。


おいらのような書き方をしていますと、少なからず「偉そうに」とか「嫌なことを書くなあ」と思われてしまうのは承知しております。

でもね、おいらは「好かれるために」Blogを書いているわけじゃありません。「言いたいことがあるから」書くんですよ。

なので多少とんがった言い回しであれ、「印象に残ってくれること」を優先させてブログの記事を書きます。

マル子式の妙な文体も、パソコンユーザーの視線を想定しているからです。


実際のおいらは何処にでもいる保守的なオヤジです。
お客さんとの会話も極めて保守的なもので、余計な事は一切言いません。

現実のマルちゃんが「モデルのような容姿の品の良い女性」であり、「ワシがマル子じゃけん」なんていう文章を書いているなど誰にも想像がつかない。それと同じようなものです。



ここに何をどう書こうと、
本当は、【ただ願うしかない】です。

by 魚山人 at 2013年09月20日 05:25


魚山人様

昨夜の中秋の名月、少し興ざめするほど見事な満月でしたね。
我が家も団子を作り、花、果物、菓子を供え趣なく二階のベランダから月見をしました。

古代、女性は太陽だった。
自由の女神は太陽のイメージ、ミロのヴィーナスはどちらかというと月のイメージなんでしょうか。自分で光り、まわりを照らす素晴らしさ。光が当たることで輝ける素晴らしさもありますね。

娘が生まれたときにこの子が大人になるころには日本の社会も男女差別、格差、関係を含め変わっているだろうと思っていましたがあまり変わりませんでした。大学も理系を勧め入りましたが役にはたっていないようです。ここ十数年、ダイバーシティなんて言われてますが早くそういう社会になってほしいものです。

南の太陽さん、北の太陽さんが輝き続けていらっしゃるといいですね。

by 庄助 at 2013年09月20日 11:52


こんにちは、庄助さん。

日本は国旗と国名がそのものが太陽であり、伊勢神宮に祀られている国母も「てだ」ですね。
南国の国造神「アマミキヨ」も、もしかしたら太陽を象徴する女神かもしれません。
この系譜がミトコンドリア・イブに繋がっているのかもなどと妄想したりします(笑)

女性が最も美しい瞬間は、内面にある強さと逞しさが垣間見える時ではないか。自分はそう感じます。
「陽性の気質」は美しく眩しいです。

でも裏返すと月とか般若とか恐ろしいモンに・・・(笑)

by 魚山人 at 2013年09月20日 13:07


なんで この記事。
10月5日付けになってんだ?

一応 お疲れ様です。

だがね♪

体操ベルギー大会。
これ この記事に もってこいかと思い コメしとく。

「シライ」

跳馬ゎ残念ながら4位だったが
あの表情。

今 内村君の平行棒を見てた。
やっぱり安心感が桁違い。

でもだ。
俺 白井君の演技 魅力を感じる。荒削りなとこに。

かぶるんだよ 息子とね。
細身で まだまだ弱々しいが
あの細身こそが スピンの命。
筋肉派の選手にゎ真似出来まいに。物理的にね。

投手も同じでね 投球を力で制すか スピンで放るか。

我が息子ゎ細身でね 筋トレゎやらせてねぇ。
勿論 人様の目にとまるような投手でもねぇ。


なんつったって白井君。
御近所の公立高校に居る。
たいして頭脳明晰な高校ぢゃねぇんだが そこがいい。

今現在 17歳の子に このタイトル。
矜持ゎわかるまい。

1号と同い年。

わからねぇだけ可能性がある。

凱旋門で負けたオルフェとゎ違うんだ。

とにかく 親近感が湧く。

奴らゎこれから矜持と向かい合うわけだ。

今ゎとにかく前を向き やるだけやるのを許されてる存在だが
勲章が貰えてからの立ち振舞いだろう。


常に挑戦者の気持ち
前を向く姿勢
これって 俺らも負けてねぇよな?爺?

だから 相手選手の演技に拍手を贈れる。

そこの素直感?

それこそが 矜持の裏側かとね。


ボツゎ覚悟ですが。
何かのミスなんでしょうから。
この記事が ここにあるのゎ。

Posted by 鯔次郎 at 2013年10月07日 00:58


白井にも1号にも頑張って貰いたいものだね。
若者はいいもんだ(^^
爺になるとロクなことがねぇ(怒)←

しかし本当に頑張るべきなのは、若い者より「おとな」だろうと思うんだがね。

大人から疑問や不正に対する「怒り」が完全に消えているような気がするよ。山崎豊子の死が何かを象徴していると感じた。

やがて「社会正義」と「エゴ」の区別がつかない人間だけになり、選挙制度さえも消えてしまうんじゃないかな。今でさえ国民の半分は投票しないしね。

それがどんな暗黒社会を招くか想像することも出来ないのだろう。疑問や怒りを失くすとはそういう事です。

Posted by 魚山人 at 2013年10月07日 11:11

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