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【元気です】 兄から妹へ

吉田拓郎 『元気です』

あんきも豆腐

アンキモを裏ごし致しまして、これを卵液とあわせます。

それをお出しで割りましょう。
たまご豆腐の割でよろしいですね。
しかし1:1ではなく1:1・5くらいが良い。
これは流し缶があればうまくいきます。

蒸しましょうか。
泡がありますとクレーターになってしまいます。
なのでバーナーで泡を潰しておきます(ライターでもOK)
茶碗蒸しや卵豆腐と同じ事です。

水滴防止の紙を置いて蒸し上げます。

あら熱がとれるまで自然に冷まし、冷蔵庫へ。

小さく切って小鉢に盛り、旨出しを張って出す。
それが通常のやり方ですが、それでは面白くありません。
なので、下の奴と組み合わせて二つを球状のゼラで包みます。

これは「もずく」でして、不思議な食材。
先附けですので極めて小さく小さく作り、外側の出しで溶いたゼラの外殻を「柿」に見えるようにします。上に昆布ヘタなどを乗せてそれらしくします。つまりぱっと見は何の料理か分からない。そして二種先附けの一つとして器に盛る。

晩秋の献立の一って訳です。
ここは料理レシピブログではありませんので、
細かいレシピも完成図も無し。
仕事に使う献立などを紹介するのは苦手です。
「仕事は仕事、ブログはブログ」ってのがおいらの考え事。

そういうものに興味があるご訪問者の方はこのブログではなく、店のホームページで月次献立を詳しく紹介してますんで、そちらに行かれて下さい。ホームページがみつからないって場合でも、レシピを紹介してる方々のブログは沢山ですんで、ウチではなくそこに行ってくださいね。

「妹」からの手紙

この料理はね、かなり昔「奥様方の会」で出したものです。
なんでも最近はそのような集まりを「女子会」なんて呼ぶようですな。

「たいがいにしやがれ、どうみても「子」ってトシじゃねぇだろうよ」
そう思いますが口には出しません。(今書いたけど 笑)
「女子」の意味合いが変質した様で、どうも「日本くさい」話です。

それはそれとして商売は商売。
こういう方々は茶会よりもありがたい大事なお客層です。
それに奥様方は下手な旦那より口が肥えてるもんです。
こちらが苦心して作っている意味を理解してくれる人が多い。

特に幹事さんは分かってらっしゃる方が多いですね。
勉強熱心だし、幅広い知識を持っておるんですよ。

その中に「Yさん」という方がおりまして、長い長いお付き合いをする事になります。
結婚前は青学だかの院を出て教師をなさっていたとか。
結婚後すぐに子に恵まれ辞職。
この子が可愛いうえに秀才。
何度も接した事がありますが、
「こんな子がおいらも欲しい」と思うほどよい子でした。

いつごろだったか、まぁ「女子会」なんて妙チクリンな呼び方がなかった時代なのは確かですので、かなり前。あるときYさんが長モノの捌き方と料理方を教えて欲しいと店に来ました。つまり生きたドジョウやらウナギやら穴子を捌けるようになりたいって事でしょう。

おいらはふたつ返事。
「いいですとも、喜んで教えましょう」

さっそく活の材料を買い込んで再訪問なさいました。
いつもは粋な着物姿が多いYさんだが、その時は軽快な服装でもって、なかなか若い、まるで学生さんのように見えたものです。

それをきっかけに個人的にも親しくなる事が出来ました。
時々秀才のご子息を連れて来て、その子の口のきき方、目の綺麗さ、優しい性格に感激しては、「いい子だねぇ~しかし」とため息混じりの驚嘆をしたもんです。Yさんの分身であり、愛の結晶だからにしても幸せですよ。「頼むからウチの子になってくれ」と本音混じりの冗談を飛ばしたもんです。成長していく姿を見れる事が本当に嬉しかった。

ところがその子は亡くなります。
Yさんは半狂乱になったらしい。あたり前ですな。
そんなもん男であるおいらですら耐えられないかも知れない。

あまりにも痛ましい出来事であり慰めなど意味が無い。
時間の経過しか癒す術はない。
なのであえて暫らく音信不通にしておりました。

数年後、風の便りに離婚したと聞きました。
胸が痛み、電話で慰めでもと受話器を取るも、
おいらに出来る事はないと気付き、受話器を置きました。

実の妹のように思っているが現実は肉親でも何でもない。
唇を噛むしかない自分がいました。

しかしさすがはおいらが「人間として惚れた」女性です。
そのまま崩れていくことはなかった。
それからさらに後、便りを送ってくれました。

「元気にしてます」
その書き出しを読んでおいらは涙腺が緩んでしまいました。
目が霞んで先が読めやしねぇってんだ、チキショウ。

封筒に吉田拓郎のCDを忍ばせて返信を送りました。
もちろん「ある曲」を聴いて欲しかったからです。

誰もこっちを向いてはくれません
一年目の春 立ち尽くす私
道行く人々は 日々を追いかけ
今日一日でも 確かであれと願う

風よ運べよ遠い人へのこの便り
二年目の夏 涙ともらい水
幸せの色は 日に焼けた肌の色

夕暮れ時には想いが駆け巡り
三度目の秋 何かが揺れている
時間をとめても 過ぎゆくものたちは
はるかな海原に 漂い夢と散る

自由でありたい心のままがいい
四年目の冬 寒さを拒むまい
どれだけ歩いたか考えるよりも
しるべなき明日に向かって進みたい

あなたの人生が いくつもの旅を経て
帰る日くれば 笑って迎えたい
私も今また 船出の時です
言葉を選んで 渡すより
そうだ元気ですよと 答えよう

吉田拓郎『元気です』から抜粋

この歌の通り、立ち直るまでに約四年の歳月を耐えた。
それこそ「唇をかみしめて」耐えたんでしょう。
そんな彼女にさらに前向きになって欲しいと願ったんです。
このような名曲を作った拓郎に感謝です。

このブログはもう数年もやっておりますので、再訪問して下さる方々は自分に近い感性を持っておられるのでないかと想像しております。そうであった方が自然であり、だからこそ料理関係は「手前板前」というHPに分離しましたし、「レシピを求めて来る人はお門違いなのでヨソに行って下さい」と書いたりする訳です。

それでもやはり料理関係者もいれば板前さんもいるでしょうな。
特に修行初期の料理人の卵が多いようです。
順調に階段を上ってる人もいれば、そうでない人もおりましょう。
どうであれ人は「道」を辿って歩くしかありません。

ところがその道は多くの場合「切断」されております。
なだらかな一直線で途切れ目がない道なんぞ稀な例外でしかない。
それはこの世において極めて「普通」な事なんです。

10代の頃迄は親の労力でもって道はつながっています。
しかしそこから先の道はどうなっているのか誰にも分からない。

大概は幸せの坂の先には峠があり、崖や急激な下り坂になっている。
道が途切れてしまっている事もある。
仕事だけではなく、大事な人を失ったり、心に深い傷を負ったり。
そこをどうしのぐか、それが「人生」なんですよ。

つらい事があれば心にマイナスイメージが育つ。
そのまま放っておけばそれは黒い霧になって精神を汚す。
汚染された心根では、誰かを幸せにする事はできません。
最悪の場合大切な自分の子供にそれは伝染していく。

黒い霧を吹っ飛ばしてくれるのは「陽の気」です。
つまり「元気でいる」ってことですよ。

料理だって同じ事。
小手先の料理技術をいくら覚えたってね、
「人様を喜ばせる」気持ちを持っているか、
それが「相手に伝わっている」かどうか、
それがなきゃ「料理人」と言えない。

黒い霧で真っ黒なハラでもって、誰が喜ぶのか。
どこの誰がシンパシーを持って下さるのか。
一時的に「お仲間」が来てくれても、10年は無理でしょうね。

互いに尊敬する事で「人との絆」が出来ます。
兄のように慕ってくれたYさんも例外ではありません。
今はしっかりとした人生に戻っておりますけども、辛すぎる思い出を忘れ去る事は絶対にできないでしょう。死ぬまでね。時に心が潰れそうになる事もあるはずです。眠れない夜があるに違いない。

その彼女へ贈ると同時に、
仕事や失恋など人生の波乱で苦しむ方々にも贈りたい。
おいら自身が辛い時に何度も励ましてくれた名曲
吉田拓郎の『元気です』を

出会いや別れに慣れてはきたけれど
一人の重さが誰にも伝わらず
どこかへ旅立てば ふり返りはしない
いろんな事があり愛さえ見失う
それでもこの街に心を沈めたい
それでも誰かと触れ合えば
そうだ 元気ですよと答えよう

この歌を聴いて「元気」になって頂ければ、それはとても嬉しい。
『元気です』と誰かが言ってくれる、その為においらは料理を作っているし、その為に人生を生きているからです。

寒く暗い冬は永遠ではないですよ。
四季は巡りいずれ花が咲く季節が待っています。
失意に明け暮れていてはいけません。
途切れた道も必ずつながります。
道は一つだけじゃありませんしね。

道に立つ方法、それは「元気」です。

吉田拓郎 『元気です』

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