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「焼きがまわる」

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融解熱

「焼きがまわる」って言葉の語源は正確には分かりませんが、多分刀匠や鍛冶から生まれたと推測できます。刀を焼き入れするときに、焼きを入れすぎると「ナマクラ」になってしまいますので。鋭さがなくなる、ボケが始まる、そんな意味合いでしょう。

どうやらおいらもヤキがまわって来た様に感じます。
ブログ上で個人的な愚痴みたいなものだけは書くまい。そう決めているんですが、何故か書いた文章がそれに近くなってしまう。この文もそうですな。

心の深い部分にあった「核」が溶け始めてるんでしょう。
きらめくナイフに黒サビが纏いはじめて輝かなくなる。


明けの粋が宵には偏屈に変化するって事が、歳をくったってことなんですかね。

まだ自然が残り、海と山が隣接した小さな田舎町に、一人でやれる小さな料理屋でも出し、地の素材だけを使ってのんびり料理生活をしたい。

子供もいないし店は処分しても別に悔いは無い。そんな思いが心の何処かに育っておりまして、地方を旅行する時などもその観点から地勢を眺める事が多くなりました。

先日お客様のご厚意もありまして、お座敷の流れで久しぶりに東京湾に船で出てみました。10年前よりもさらに陰影の鋭くなった夜のメガロポリスをじっくり遠望する機会があったんです。


巨大なビルの影と煌めくネオン。そこにガキの頃の東京の殺風景な街並みを重ねていると、強い皐月の海風すら忘れてしまいました。

「ここを出る事は許さない」
河川の谷間が暗く切れ込み、稜線が大山脈の様に奥に重なる都会の影は、おいらにそう命令してる、幻ではなく確かにそう言ってるんですよ。


それが何であるのか、その意味するところは今のところ解りません。

今年は神田さんもお休みですし、日枝さん、いややっぱり富岡八幡宮ですか、本当に久しぶりに賽銭でも奉じて、その意味でも訊ねてみましょうかね。

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