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宮沢賢治と環境破壊

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自然との共存は無理

宮沢賢治の有名な文学碑、花巻市の「賢治詩碑」をおいらは一度も訪れた事がありませんでした。こうやって「素通り」していた有名な史跡やらがどれだけあるのかを思い、焦りに似たものが胸をよぎります。

「いつでも観れるから後でいい」いつもこの調子の流れ旅。これを長年繰り返していたら、死ぬまで其処に立つ機会は無いという事に気がついたんです。

賢治詩碑は「雨ニモマケズ/風ニモマケズ」が刻まれた詩碑で、この詩とも走り書きともつかぬ文章は賢治を国民作家に押し上げたといわれます。

作品の底に流れる献身的精神や道徳観などが賢治作品の好まれるところなんですが、おいらは大自然と直接会話していたかの様な超自然的な部分に強く惹かれます。

金だ地位だ名誉だ、そんな『虚栄』の量が幸せの量だと勘違いしてる現代人に、賢治が書いた時代の『ピュア』などもうありません。時には賢治を読んでみるのもいい。そう思う理由です。

最近、ある事を教えてもらいました。

「実は宮沢賢治は小説の中で一番最初に【地球温暖化】を驚くべき正確さで取り上げた作家です。『グスコーブドリの伝記』という作品で、主人公のグスコーブドリが身を挺して冷害を防ぐというお話で、童話でもあり、この自己犠牲の姿勢のみがクローズアップされる嫌いがありまして、【人工降雨】や【潮汐発電所】、そして冷害を止めるためにグスコーブドリは人工的に火山を噴火させ二酸化炭素 (CO2) を生み出し、冷害を救おうとするくだり、これがさらりと流されあまり注目されていませんが、これはSFであり、その科学的な描写に驚かなければいけません。

まず【人工降雨】と【潮汐発電所】これは当然賢治の時代には実現などしてる訳が無く、空想の産物です。しかるにこれらはずっと後の時代に実現しています。

そして『グスコーブドリの伝記』の登場人物はこう語ります。

{火山爆発により、大量の二酸化炭素を大気圏に供給すれば、二酸化炭素は上層大気に混じって地球を包みこんで地表からの熱放射を遮る為、地球の温度は平均で5℃上昇する}

地球を温める主たる物質が二酸化炭素であると分かったのは1890年。賢治がこの作品を書いたと思われるのは1921年頃ですから知っているのは不思議ではなかったにしても、このセリフには唖然とします。

この時代に、ここまで正確にメカニズムを把握していたのは不思議なくらいですから。(現代の科学ではむしろ火山爆発は気温低下を招くと考えられていますが)
願望を具現化させた物語であるにしろ賢治はとても不可思議な作家です」

こうした話に不自然ではない解釈をする事は可能で、理屈はいくらでもつけられるんでしょうけども、おいらは「賢治は自然の精霊との会話でこういった事を知ったに違いない」とそう思いたいんですよ。

イーハトーブの森は、いつでも賢治を見守っていたんでしょう。


この下らねぇ世の中で、ゴタクを並べたてて生きる毎日。自然をいかに愛そうが、共存できなくてぶち壊して行くばかりのレールから下り様が無い現代人。

その哀しさがあるからこそ人は酒を飲まずに正気を保てない。


おいらはね、今の文明と自然はしょせん相容れないと思います。

共存は無理ですね。【人間の社会】が【自然】に接触すれば、自然は消滅します。

自然を消滅させる事を、人は【開発】と呼んでいます。

だからって、ありきたりに「賢治は草葉の陰で現代の環境破壊を悲しんでいる」なんて事は思いません。賢治が銀河鉄道で宇宙をひと回りして地球に帰るころには、多分宝石箱の様な自然を取り戻してる気がするんですよ。

それは気の遠くなる未来でしょうけどね。

賢治が愛した日本のどこかの森で、緑の香りが濃い風に吹かれて眺望を楽しみながら、「このまま固まって石になり、形の定かじゃない地蔵になってしまうのも悪くないなぁ」なんて想いながら、銀河鉄道の切符はどうすれば買えるのか、風になった国民作家に尋ねてみたくなります。

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