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流れ板

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流れ板前

紫陽花が美しいですなぁ。

艶姿七変化、高貴でありながら人懐っこい花でもありますねぇ。

板前流れ旅

おいらは若い時に各地の板場を流れた時期がございます。
と言いましても、親方の指図で動いておりましたので、根無し草の流れ板という訳ではありません。所属の無い流れ板と違い、「紹介状」を懐中にして動くというものじゃなかったのです。

親方は高齢で、顔の広い職人でした。
じっとしてられないおいらの性分を見抜き、でかい腹で各地を放浪させてくださったのです。

「○○県の○○亭に行って来い」
「はい。行ってきます」

もしくは、
「親方、今度四国へ行ってみたいんですが」
「なら土佐の○○さんとこに行け」

で、雪駄履きにダボシャツ、寒かったら皮ジャンかスカジャンを肩に。
持ち物は設計士が使う筒状の製図入れだけ。

中身は設計図ではありません(笑)柳に出刃に薄刃。庖丁です。
他の庖丁が入った庖丁ケースと衣類などは別便にて送ります。

店に到着するやお勝手に回り、挨拶。

「○○から参りました。魚山人と申します。」

「え?聞いてませんが」

あんのクソジジィ!連絡も入れてねぇ(~_~;)

まぁ大概はそんなもんですが、御亭主と面談すればすぐ解決。
こういう事情ではなく、新規で働き口探す場合でもね、昔は履歴書なんぞあまり必要はなかったんですよ。《紹介状》か、もしくは《どの親方の下にいたか》。板前の世界はそれだけです。

それやこれやで各地を回りました。
その間色々な事があり、思い出も多く貴重な経験も。
「旅はやめられねぇ」、しみじみ感じたものです。

中でも強く思い出に残る節目みたいなモンは、何故だか梅雨の時期が多い気がするのです。濡れ窄む風景、そこに佇むのは鮮やかな紫陽花です。

※紫陽花は料理のあしらいにも多用します。
しかし紫陽花は毒花です。間違っても食べてはいけません。
(食べさせてはいけない)
中毒を起します。

流れ板角さんと紫陽花

最初にその板前と出会ったのは北陸だったと思います。
煮方が3~4名もいる大きな板場でした。

おいらがお邪魔して3日目に《紹介状組》の流れ板が入ってきました。
繁忙期だったんでしょうね。

その流れ板の名前は「角さん」(仮名)。
出身は東北で歳はおいらよりも10才くらい上。
見事な寒打ちの本焼庖丁を持っていました。

その店の板前が10個を剥く間に、5キロの馬鈴薯を全部庖丁でスイスイ剥いてしまう腕の冴え。おいら達二人はたちまち意気投合しました。

数日後、風邪気味で具合の悪い角さんに、生姜湯とお粥を作って食べさせますと、大袈裟に感激しまくった角さんは、それ以降飲み代を絶対においらに払わせてくれませんでした。

そこでは三週間ほど一緒に仕事をしました。

それから約一年半くらい後。
関西の料理屋に出向いた時、そこの板場に角さんがいました。

「やあ、また会えたねぇ」

嬉しそうに笑う角さんの無邪気な顔。
その晩はミナミまで出て痛飲。
もちろん代金は角さん。どうしてもおいらに払わせない。

ほどなくおいらは自分の店が忙しくなり、親方も気を使っておいらを旅に出すのを控え、そうこうしてる間に10年の歳月が流れました。

店は完全に軌道に乗り、若いのも順調に育った事もあり、またぞろ旅が自在にできる様になっていた時期です。

突然店に角さんが現れました。
喜んだおいらは当分の間草鞋を脱ぐように懇願しました。

「ゆっくり逗留して、のんびり東京見物でもしてよ」

「気持は嬉しいけどね、生憎この近くの料亭に入る事になってる」

ガッカリはしましたが、すぐに会える距離。
渋々と引きとめるのをあきらめました。

しかしそれから三ヶ月、まったく音沙汰がないのを不審に思い、その料亭を訪ね、裏から料理長を呼び出し聞いてみますと、
「いや、角さんなら数年前に来たが、今年は来てないですよ」

色々な想いが錯綜したままやむなく帰宅。
すると暫くしたある日、裏口から角さん。

「やあ、今晩は」

「今晩は、じゃなくて。まぁとにかく中に入ってよ」

「いや・・・」

そう言ったきり動かない。

10秒ばかり角さんの表情を睨む様に伺いますと、おいらはいったん店に戻りました。再び仁王立ちの角さんの所に戻り、黙って封筒を差し出しました。

角さん。
消え入るような小さな声で「すまない・・・」

「全然すまない事なんかないんだよ角さん」

去っていく後姿をおいらは声も無く見送りました。

翌年の6月、便りをもらいおいらは東北へ行きました。
便りをくれたのは角さんの息子。
息子がいたとは知りませんでした。

死因は心臓病。
息子が社会人になるのを見届けて死んだとか。

奥さんは離別して行方は分からない。
息子に仕送りしながら大学まで行かせたと言います。

「葬式らしいものをしてやれませんでした」
「連絡が遅くなり申し訳ありません」
小さな墓所へ案内しながら息子は言いました。

手を合わせたおいらに息子が、
「ありがとうございました」
そういって差し出したもの。

それは見覚えのある封筒。
おいらの店の封筒でした。

卒塔婆を覆い隠すように茂る紫陽花を見る。
雨は止んでるはずなのに濡れている。

紫陽花は「高慢」「冷淡」「無情」
それは角さんの庖丁さばきを思わせる。
実に艶やかな庖丁人だった。

そして紫陽花には別の花言葉があります。
「辛抱強く、ひたむきな強い愛情」

おいらは眩しく輝く紫陽花の横、
いつまでも黙って墓前に立ち尽くしておりました。

封筒を握り締めたまま。


「供物」か「祓」か 北の酒を友と差しつ差されつ

『爺blog』を『携帯電話』から閲覧してる俺自身が
恥ずかしくなるな…この今日の記事ゎ

なんかコソ泥にでも なっちまった気分になるのゎ俺が小さいからか…


俺ゎ今まで職場ゎ2ヵ所しか携われなかった。
流れたことなんざネェ。


不思議と紫陽花の季にゎ
アクシデントが多発する。
今年ゎとくに 梅雨を通り越して 熱帯雨林的湿気。

俺の親父もまた 爺の愛したバァチャンと同じく この季節に亡くなった。

自律神経の崩壊が その原因なんだろさ かなりヤバイ感覚を毎年感じっからね
エアコン病だ…

弱い部分をストレスゎ攻撃してくっから 爺も気をつけてな! ま 俺に言われたくゎネェだろが…

俺自身も今ゎ異常
体調がね。
足ゎムクミまくりだし
肝臓の代謝も悪い…

毎年この時期ゎ当たり前


お疲れ様でした。
何故か涙ぐむ鯔チャンダヨ…

オヤスミナサイ爺
毎度 勉強ッツーか 励み?

なります。

Posted by 鯔次郎 at 2010年07月02日 02:51


鯔さん。
恥ずかしくなることなんざ何もないと思いますよ。
流れ板はとても辛い仕事です。
「浮き草」でよるべがないってのは、最大の苦痛。
誰もが「腰をそえたい」というのが本音なんです。

そして殆どの流れ板はいずれ何処かに落ち着く。

一流の腕を持ちながら流れ続けるしかなかった角さんには、それなりの事情ってもんがあった。根性のある東北人ならばこその選択だったのだし、また並大抵の覚悟じゃとても続いてはいなかったはずです。

野菜を剥き、味噌を練って、豆腐を擂鉢で当り、盛り付けをする。
魚をさばいて上身にする。
助板はでしゃばってはいけないので気をつかう。
四畳しかない狭い部屋でコップ酒を酌み交わし、
布団を並べて寝る。
それでも、
気が合って、信じられる人間になど、そうそう出会えるものではない。


あの晩、どういう気持でおいらを訪ねたのか・・・
その前後はいったい何処でどうしていたのか・・・

世知辛い世の中、流れ歩くのはさぞ辛かったでしょうな。
色々な事情があったに違いない。
それでも旧知のおいらに頼るのを三ヶ月もためらっていた。
おいらに迷惑をかける事が何よりも嫌だったからでしょう。

角さんが現れた晩、その表情を見て、
「もう二度とこの人とは会えない」
そう思いました。

残念だがその予感は的中したわけです。

あの時の後姿、逞しい背中が小さく見えた。


金が戻るなど考えてもいなかった。
しかし角さんは忘れず息子に託していた。
死んでも、角さんは義理堅い角さんだったわけです。

墓前に立ち尽くすしかなかったですよ。


子供のように無邪気な笑顔と、東北なまりの早口。
そいつを交互に思い出しながら、おいらは酒を飲んでます。
息子の手を経て戻った色褪せた封筒を肴にね。

Posted by 魚山人 at 2010年07月02日 21:22


お久しぶりです。 田舎で修業中のハナタレ坊主です。 今回の記事を見て色んな気持ちになれました。

親父さん、覚えていますか? 『水が合わないと魚も育たない』

去年の年末に親父さんくれた言葉です。

あの後、仕事を辞め、包丁も握らず、毎日、酒を飲んでおりました。

もう包丁も心も錆びてしまっておりました。
色んな事が数ヶ月の間にありました。

しかし、今、尊敬できる師匠の下で働かせていただいております。

まだ何も見えません。

前もそうでした。

けど、今は何も見えなくても一切、迷っておりません。

何が伝えたいのか理解に苦しみますね(汗)

あの時、このクソ坊主に言葉をくださって、ありがとうございました。

もう負けません。

もう立ち止まりません。

Posted by カンパチ at 2010年07月05日 00:29


カンパチさん。

人生は波。
時に荒々しく上下する事もある。
動きのない入り江に迷い込む時もある。
でも必ず動き出します。

波に呑まれて溺れない様にしなければいけません。
波をコントロールできる強さを身につけるという事です。

そうなれる方法はたった一つ。
どんな時でも自分を磨くことを忘れない、です。

頑張って下さい。

Posted by 魚山人 at 2010年07月05日 21:42

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