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板前の修行と独立 【男坂】

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【男坂】一歩踏み出す勇気

板前修業してる間は人様の倍も三倍も努力したつもりです。
で、比較的早く、20代で独立できたわけですが、それでも料理屋を開業する際は内心不安も持っていました。

当時の自分、短気で尖がり屋の板前根性剥き出しの小僧に、はたしてお客の獲得ができるのか?
客観視というか、まぁそのくらいの冷静さは持っておりましたからね。

男坂でも登ってきやがれ!

もう亡くなってしまいましたけども、当時まだ元気だった親方はそれを見抜いておりましてね、「ウダウダ迷ってんじゃねぇ、このタコ。余分なモンがあるから迷うんだよ。男坂を駆け上がってクタクタになってこい。そうすりゃ余分なモンは落ちるだろうよ」

男坂

日比谷線神谷町駅から5分ばかりテクテク桜田通りを北に歩きますと、愛宕神社なるものがございます。ここが愛宕山。その頂に愛宕神社。

「愛宕」の名で気付かれる方もおりましょうが、京都右京区嵯峨野、清滝に立ちます霊山「愛宕山」と名が同じ。そして愛宕山という山は、あなたの周囲にも必ずあるはずです。

なにゆえ名が同じか。祀る神が同じ「火伏せの神」だからです。
つまり火消し・消防局員にとって漁師の恵比寿様でしょうかね。

江戸愛宕山の祭神 は【火産霊命(ほむすびのみこと)】
京都の愛宕山は全国の愛宕信仰の総本社でして、各地にある愛宕神社約900社の中心。今では伊弉冉尊(いざなみのみこと) などを祭神にしてるようですが、本来の神はカグツチ:火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ 迦具土神)になるんだと思います。

東京港区にあるこの愛宕山は、都内23区で一番高い山。
標高はわずか26mしかありませんけども、邪魔臭いビル群をとっぱらちまえまば、お江戸で一番高い場所なんすよ。

これでいきますと東京タワーの左手あたりですかね。

頂にある愛宕神社の創建は慶長八年といいますから1603年。つまり家康が征夷大将軍になった年ですな。なので家康の守り本尊「勝軍地蔵」も火産霊命といっしょに祀られました。

慶応四年(1868)にはこの場所に勝海舟と西郷隆盛が立ち、江戸の街を眺望したといいます。海舟は江戸の街並みを隆盛に示し、江戸攻撃を考え直すように説いた。西郷は江戸の街を戦火にさらす無惨を悟り、結果として江戸の無血開城になったという、まさに江戸の守り本尊ですな。

歴史ある山といえますが、実は愛宕山で有名なのは頂上の神社へ登る急勾配の石段です。巷ではこの石段を「出世の石段」とか「男坂」と呼びます。

事の起こりは寛永11年、三代将軍家光の時代。
ある日家光公は芝の増上寺に参詣。その帰り道愛宕神社の下を通ったところ、愛宕山に美しい源平の梅が咲いているのを目にとめる。
家臣に向かい「あの梅を馬にて取ってまいれ」と無茶をのたまう。
とてもじゃねぇが騎乗にて登れるような石段ではないからです。

家臣団が尻込みし、家光公がぶち切れそうになる寸前、
石段を見事な手綱さばきで駆け上る馬と人。

感心した家光、
「あれは誰じゃ?」

「四国丸亀藩家臣【曲垣平九郎】でございます」

「見事である」

曲垣平九郎はこける事もなく山上の梅を取り、下りも馬にて成功。
家光公に拝謁、梅を献上します。

家光公の喜ぶまいことか
「日本一の馬術名人じゃ」

曲垣平九郎の名が日本中に轟いたのは言うまでもありません。

これは有名な講談『寛永三馬術』に登場する話ですが、曲垣平九郎は讃岐の国高松藩の藩士で実在の人物であり、ほぼ史実と考えられています。
なのでこの石段を「出世の石段」というようになったのです。同時にここを「男坂」とも称します。

時は移り昭和の初期。
陸軍参謀本部に【平形】なる軍馬がおりました。
駿馬でしたが、8歳になり廃馬(殺処分)が決定。
これを不憫に思ったのが本部所属の馬丁「岩木利夫」

岩木は平形の花道を飾る為と称して曲垣平九郎と同じく愛宕山石段(男坂)の騎乗登頂に挑戦。内心は平形を救う最後の望みに賭ける気だったのでしょう。

岩木と平形は登頂に成功。これをラジオの臨時ニュースが流しました。下りに挑戦する時には愛宕神社にラジオを聞いた観客が殺到します。

岩木の志が人々の胸を打ち、大評判になりました。
そしてこの美談は昭和天皇も知る事になります。
天皇はいたく感心なされたといいます。

その結果平形の廃馬は中止になりました。
岩木利夫の賭けは成功したのです。

愛宕山石段の前に立てば分かりますが、とても人馬一体で登れるとは思えない急勾配。

曲垣平九郎の故事から現代まで、騎馬登頂に成功したのは10例ほどにすぎません。

踏み出す勇気

「度胸」だけで登れるものではありません。
背後に積み重なる練習がなければ絶対に無理。

しかしね、いくら練習してその実力があろうと、
度胸が無い奴は「最初の一歩」を踏み出せないでしょう。

踏み出す勇気を得るには雑念を捨てることです。
雑念とは「ゆとり」「余裕」と考えていいでしょう。
いわゆる「びびり」は雑念ではなく反射です。

ゆとりを持った行動は通常の場合称賛すべきもの。
しかし針の先みたいな集中力が必要な時は邪魔なんです。

「余裕かましてる場合じゃねぇ」、です。

頭の中で屁理屈をこね回しているだけじゃ踏み出せんのです。

急峻な男坂の石段を3往復もすれば足がパンパンになり、息が上って何かを考えてなどいられなくなる。考え事などしてりゃ転げ落ちて怪我するから気を抜けない。

「男坂を駆け上がってクタクタになってこい!」
いい親方でした。

久しぶりに墓の掃除でもしてきましょうかね。
うっせぇから、あの親父。
あの世で文句言ってるに違いねぇ。
「このボンクラ、掃除がなってねぇ!」(笑)

お疲れ様です  

最高の親方さんですね(^O^) 魚山人さんは一本立ちした初日はどんな気分 いや心境だったのでしょうか? 血気盛んでどんな仕事もバリバリこなし、希望に溢れていたのでしょうね 二十代といえば10年修行して自分の店を出したくなる始めの転機でしょうか 中には五年くらいの修行で目上のお客を引き込む抜群の板前もいるんですよね 

自分はいままで独立の転機が三度ありました。一度目はさらし仕事で3年目の丁度修行10年の時です  居ぬきなんですが店ごとそのまま譲るという話でした 馴染みのお客さんも多い小さい小料理屋、女将さん一人の十二坪の店 店の名前もそのままでお客さんには声かけとくから、好きにやりたいことやればいいよ  こんなお声をかけて頂いたのが
師走の半月前… 1月から入ってくれるのが条件。。当時は親父と二人仕事で 師走と御節を控えていて  とても切り出せる話ではなく 記事にございます一歩を考える暇もなく気持ち的にも独立はまだまだ先に見据えていました。 丁重に断りをいれた次第です 今思えばありえない話でしたね(笑)    

二度目は先輩板が移転する際に金はいいから居ぬきでそのまま残すから やってみろ  こうでした。始めの話から二年後、三十前ですね 当時は店を移ったばかりで、所帯を持ったばかり。その板の店も傾いてきていて、移転する時の話。自分は飲食店の出店の時にその店舗の前の商売がとても気になります こんな田舎街だと人様の過去のイメージが残ってると、心理的に影響すると感じていまして 同じ生業のまして傾いていた店の後にはどうしても入る気が起きず、詰めたばかりの板場での仕事を取りました。板場に板前が三人、バイトが三人。自分が入った事でバイトがみな解雇されたわけで、余計気が引けたのも事実でした。そして今の店です 現在も居ぬきの話はこの界隈にはたくさんあります 常連の方に出資するから共同でやろうと言う人がいます 三度目の話ですが単独の独立ではない話でした 気心しれた人ですがお金が絡むのは人間関係も危うくなる可能性もあり出資額のバランスを考えても主導権は向こう様の景色。熟考するまでもなく丁重に断りをいれました。    
自分には養う家族がおります。約束の中で蓄えが目標までいかなければ、独立はしない 何度も話あい決めた事です  運転資金までは借り入れたくなく(借りるのはむずかしいかな) 最低限の家族の生活分と家の払いは最低一年分は独立前に渡したい。 近場にも都内の老舗あがりの板前が出店したり、色んな飲食店が乱立している現在 早くて半年、一年で辞めていく人もいます もちろん自分の考えと違い 出店してそのまま従業員、家族を守れる人も沢山いるのでしょう。

細かい話は抜きに 3年後 これは最低それまでに独立する事です それ以降になるなら、今の年収の保証と生活の安定を取って、散々夢描き、日々の毎日に風穴あけたくて、理想と現実の狭間に立たされている自分を否定し諦める事でもあります。その時点で独立は無しです 慎重にならざるをえない事も事実です。独身なら始めの一歩はもっと前に見据えていたのかもしれません。無謀と大胆は紙一重で、記事にございます練習を重ねることは絶対条件で、一歩を踏み出す際に、「びびる」これは人それぞれでもあると感じます 余分な考えはこの「びびる」の原因ですね 人間誰しも初めては心に影響を与えます プラスやマイナス。 プラスから立ってマイナスに落ちる傷  マイナスから立ってプラスに持っていく力 大胆に踏み込めばなかば成功したものだとよく教えられました。今は少しこの言葉の意味の解釈はちがいますが 自分は立ちますよ 毎日頭抱えるほど残りの人生考えています 冷静にならなきゃいけない毎日が多いですが、家族を背負って 必ず定めた時期に。 男坂 長いようで短い人生。ならば自分も登りたい一度しかない人生ですからね(^O^)    
7月に東京にいくのですが、 三往復は走るのですかね?(笑) 酸欠で倒れて運ばれた馬鹿がおりましたら たいらの野郎か と笑ってやってください。

Posted by たいら at 2010年05月22日 03:16


お疲れさま、たいらさん。

文章というのは現実の一側面を描く事しかできません。
情報量ですと「動画」の百万分の一程度にすぎないでしょう。
それが文章の限界ですが、逆に想像力を喚起させるのはこの反対の数値になり、ビジュアルは想像を萎えさせ文章は膨らませるでしょうけどね。

つまりおいらも独立の際は厖大な「色々」があった(笑)
ここに書いたのはそのほんの一部分を切り取ったのみです。



独立で一番大切なのは店を開けた後の【修正能力】なのです。
実はそれ以外はたいした問題ではないのですよ。

板前というのは大概において「半年、一年で・・・」のパターンです。
特別な付帯条件でも持たない限りそうなるんですよ普通は。
おいらもその例外ではありませんでした。

状況に合わせて方向転換できる柔軟性と同時に、「試した結果が出るまで待てる意志の太さ」。この相反する性質を併せ持つ事が大事になってきます。

しかしこれもやはり言葉で正確に表現するのは無理があると思います。
「百の言葉や思いより、急な石段を登る足の痛み」

でも、くれぐれも筋肉疲労で仕事に影響することのないよう「ほどほど」に(笑)

Posted by 魚山人 at 2010年05月22日 07:01


魚山人さん、はじめてブログを拝見させていただきました。自分はブログをまだ始めたばかりで右も左もわからい者です。現在27歳で、大学を卒業してから、板前の世界に足を踏み入れました。最初は焼き鳥屋のバイトからはじめ、熱海の旅館で3年修行していました。現在は東京の創作料理の店で2年働いてます。和食、そして親方というものに憧れ、熱海の旅館にバックひとつ持って行ったのですが、理想と現実はちがうという事を痛感させられました。大体の子は持って半年くらいで挫折していくようなきびしい店でした。毎日、皿洗い、何もさわらしてくれず、休み時間に桂向きの練習、休日に魚屋に行き、練習したことをたまに思い出します。とにかく3年やろうと決意していたので、とにかく我慢をしました。東京にきて、また、この年になって考え方が変わってきまして、職人業だけにやはり才能もある程度は必要なのかなと思ってます。自分はとにかく要領が悪く、覚えが遅いと思ってます。ただ、ここまで必死に、やってきたことを無駄にするつもりはないので、親方より経営者を目指そうと考えました。その中で料理の技術と共に、頭の方も磨こうと日々精進してます。本格的に経営学を学びビジネスをやりたいと思ってます。そうした中で時代の流れからネットの必要性を強く感じてます。だから、ブログを始める事にしました。
魚山人さんは何年も前からやってらっしゃるのは、板前といえど、ネットは必要だと思いだからですか?Twitterはやってらっしゃるのですか? 最後に自分の考え方はずれてないでしょうか? もしよろしければ意見をいただきたいです。                          
Posted by フジッターマン at 2010年06月01日 04:09


こんにちは、フジッターマンさん。

「考え方」に当りも外れもないと思いますよ。
人は生まれ持った個性と信念で生きるのみ。それは何かに影響を受けようと本質的に変わるものではないし、変わらない。

そしてもし自分が「外道街道」に迷い、道を外れてしまい、考え方の修正が必要になってもね、考え方を誰かに代行してもらえる訳はないので己自身で修正しなきゃいけないってこと。それができるかどうかはやはり最初に書いた「個性」でしかないのです。


板前としてどう生きていくか、それは自分次第なんですよ。
勤め上げるもよし、経営に回るもよし、職人に徹してもよしです。


ネット。何らかの具体的目標があるならやるべきでしょう。
しかし漠然とやってたら「頭が悪く」なります(笑)

ここで言う頭の悪さとは、料理に必要な「独創性」も含みます。

ブログを拝見させて頂きました。
サイトを持つとSEOに悩みますね。これはもう仕方ありません。サイトを続けるかぎり消えない問題です。

1 内容を充実させる

2 ヤフーなど良質のサイトに登録してもらう

3 忍耐強く待つ

効果のあるSEOはこれしかありませんし、これの繰り返しです。
とにかくWebに認知してもらうには時間がかかりますので、辛抱強く頑張って下さい。

Posted by 魚山人 at 2010年06月01日 11:24


すいません、ハンドルネームをフジッターマンからHANABIに変更したので、よろしくお願いします。
貴重なご意見、ありがとうございました。
パソコンをやって馬鹿になる、たいへん興味深い内容でした、魚山人さんの独創的な考え方に感服です。こうした考え方に出会ったのは初めてだと思います。自分は、最近やたらと普及している、グリーやらモバゲーやらをやっている方々たちを、正直、馬鹿にしている部分がありました。人生そんなことやってる暇ないでしょう、踊らされてるだけだよと・・・・私は、自分の生活環境をあらゆる情報が入ってこれる環境へとシフトチェンジしたいと考え、ネット社会に入っていこうと考えました、そして、TWITTERもそのために導入し、リアルタイムに必要な情報を入手できる環境が作れるのではないかと思ったわけなのですが、私自身が情報化という言葉に踊らされているのかもしれませんね・・・・。
自分自身のスタンスをはっきりと持ち、ネット世界に踏み込もうと思わされました。ありがとうございます。
これからもブログチェックさせていただきます、よろしく、お願いします。板前修業もがんばります。

Posted by HANABI at 2010年06月04日 04:49


HANABIさん。

PCもブログもTWITTERも、全ては『道具』です。
つまり料理人にとっての庖丁と同じ。

「使い方ひとつ」だって事ですよ。

頑張って下さい。

Posted by 魚山人 at 2010年06月04日 12:44


はい、ありがとうございます!! (^ー^)

Posted by HANABI at 2010年06月05日 08:09

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