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職を辞めて庖丁修業をし、自分の店を持ちたい

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庖丁、独立、板前修業

板前としての先輩筋にさる老舗の跡取りがおりました。
この人は若い時に関西の有名店へ修行に行っておりましたので、いわば関西育ちの関西庖丁。つまり「店置き庖丁」を使う場で育ちましたから、個人庖丁が当然の関東板とは少し感覚が違う。

「武士の魂、刀」なみに庖丁を考える関東の板前と違い、「庖丁は道具」って教えの中で腕を磨いてきたわけです。しかし関東に戻ってからは口癖の様にこう言ってました。

「板前は庖丁がすべてだ」
「僕が思うに初心者こそ良い包丁を使うべき」
「庖丁をぴかぴかに磨いてる板前は腕が良い」
「庖丁を研がないダラシナイ奴にいい料理が作れるわけがない」

名人でしたが、江戸っ子気質が抜けず気さくな人柄でしたので、ちょこちょこ顔を出してはウンチクなどを聞かせてもらいました。懐かしいですなぁ。

ずいぶんと影響を受けたもんですよ。

最短の板前修行

、「中年になりますが、今までの職を辞めて庖丁修業をし、自分の店を持ちたい。ついては最短の修行方法を教えて欲しい。」

そういったメールを頂戴しました。
この方は料理人ではないが、庖丁の下地は相当あると見ました。

「魚庖丁」に関しては完全なプロでしょうな。
そういう特殊な仕事を長年してきているのです。

中年過ぎてから正規の社員として調理員になるのは正直難しい。
周囲に現役板前などの伝手がなければなかなか困難。

しかし正規でなければいくらでも口はあります。
所謂「調理補助員」という奴。
まあ早く言えばアルバイトですな。

情報誌などでは「年齢制限」が書かれている事が多いが、あれはタテマエです。真面目な人であれば年齢は関係ないというのが経営者や店長の本音ですから、まずは連絡してみることです。

正直に独立したい旨を明かし、その為仕事を覚える目的で働きたいと言えば、まず断るところはありません。断る店は縦割り組織で権限が曖昧とか、いずれロクな会社ではありませんのでそれで結構。

仕事を身に付けるためには「忙しい店」で働くのが前提です。
下拵えを数多くこなし、沢山の野菜や魚などの食材に、できるだけ多くタッチしなければいけないからです。暇な店では食材に触れるチャンスがありません。

しかしこうした環境で、「板前の繊細な庖丁使い」を習得できると考えるのは誤りです。それはまず無理だと思ってください。

おおまかに仕込みから調理、盛り付け、そして店全体の流れを短期間でつかむのですから、それに集中すべきでしょう。板前が10年かかって会得する技術が、バタバタ忙しい環境で身に付くと思うのは間違いです。

では庖丁技術はどうするのか、たとえば基本のカツラムキはどうするのか。

これは二つの道があります。

一つは、身につけない道。
こうした繊細な庖丁は簡単ではありませんが、調理の必須というわけではなく、簡単に代わりをやる器械もあります。ですので、身につけていない板前、居酒屋経営者というのは相当いるのですよ。

二つ目は、自分で覚える。
先輩板からコツを教わったとて、だからすぐできる様になるといった性質のものではありません。つまり忙しい現場での練習はまず無理。それならば仕事がハネてから独自に練習する以外ない。

要するに自分次第だということです。

板前も色々

一口に「板前」と言ってもその内実は一様ではない。
最初に書いた名人板の様に、厳しい精神でもって一生を過ごす板もいれば、生涯にわたって「かつらむき」を身につけぬまま終わる板前もいるのです。

料亭で教わり「日本料理店」を出すのか、「大衆的な居酒屋」なのか。
ようは自分が「何」になりたいのかで決まるわけですよ。

と、まぁ以上の様な意味の事を短くして、先ほどメールを返しました。
20年以上魚に関する仕事一筋にやってこられた方なので、おそらくは転業なさってもうまくいくとおいらは思います。

端的に言いますと、「だらだらと過ごす悠長な時間など無い、だから自分がしなければいけない事を絞り込む。そしてそれに集中する」ですな。10代で見習いとして板場に入るわけではないのですからね。

ですので、こうしたケースでは職場で板前庖丁を身につけるという考えは除外したほうが良い。ただし他の板前がやっている仕事は徹底的にマークしておくべきです。

もともと板前修業とは仕事を「盗む」ことなのです。盗んだ技術を手にするには自らの努力以外なにもありません。もっともそれが自分に必要であれば、ですが。

とにかく頑張っていただきたいですねぇ。

板前の仕事は楽とは言えません。
ですが楽な仕事というものなど存在しません。

この国の病巣である「渡り鳥」にしろ、細かなところで税金泥棒をしてる既得権益者であろうが、彼なりの苦労ってもんがある(?かもしれません)

煮方としてかなりこなれてきた若いもんの仕事を眺めながら、

亡くなってしまった名人の諸先輩板前達をふと思い出します。

庖丁に強い拘りを持っていたあの人達と違い、最近の板前は本当に庖丁に対する関心が薄い。気質が優しくなった分、仕事への思い入れもあまりない。

「様変わりしましたよ、先輩」
そう腹の中で呟く。

でもこいつらが将来弟子を持ち、さらにその弟子がまた弟子を持つ。
そう考える以外にないのでしょう。

関西の板前サンゎ店置き包丁で仕事が当たり前なんすね…初めて知りました。

お疲れ様です。

雇われ若い衆の俺がね
クソ幼稚園児並なコメで言えるのゎ、仕事ってヤツゎ『人』がヤルもんだ!って以外に言いようがネェ。

爺ゎ『人』を多種多様に見て来た方と存じ上げる。

必要とされるから『仕事』なんであって、どんだけ『桂』が上手く早かろが、必要とされネェ仕事なんてのゎ自己満足に過ぎネェ。

その爺に相談持ちかけた方ゎ爺が認めんだから この不景気も乗り切るんだろう

うらやましいぜ…正直。

お客様のツボを 是非見抜いて下さいね。MAILをした方。

生意気ですが 店ゎ当然ながら経営者が創り スタッフが味付けしてくもんです。
この味付けを経営者が否定するなら、そりゃかなりの経営者サンなのでしょう。
味付けとゎ料理の味付けとゎ当然違いますよ。

身近にも、素人サンが経営する店が 沢山あります。

『今』ゎ成り立ってます。しかし5年後ゎわかりません。

二代目ってヤツゎ阿呆?
俺ゎ二代目が嫌で鮨道に入りました。

経営に関しちゃ何にも言える立場ジャネェが 『その方』にゎ是非がんばって貰いてぇもんでコメ。

『常連サン』を大切にして
尚且つ奇抜な『Menu』を
開発して貰いたい。

商売と板前道ゎ根本的に違いますんで。


んじゃ板前道ゎ…
それがこのblogだな(笑)

って3時じゃん…
明日ゎ二日分の仕込み!
寝る

Posted by 鯔次郎† at 2010年03月27日 03:08


お疲れ様、鯔さん。

>関西の板前サンゎ店置き包丁で仕事が当たり前なんすね…
一昔前はね。今はどうでしょうかね。
それに店によって違うから。
今は関東の板でも庖丁に興味ないのが多いし。
全国的に似たようなもんじゃないか。

この方は庖丁使いに関してはある意味板前以上の部分がありますので、あとは細かな配慮を身につけるだけですし、なんにしろ「大人」ですので、上手くやっていくでしょうな。

Posted by 魚山人 at 2010年03月27日 05:54


お疲れさまです 

関西寄りで修行していたときは店置きの包丁がたしかに沢山ありました 脇板が嫌な顔しながら全部、面倒臭そうに研いでいたのを思い出します そこで他の板より段違いの研ぎを身に付けられるかどうかは己次第 それにはお手本も必要でしょう 一度聞かされたり実演で見せてもらったら 二度は同じことはしてくれない職人もいます だから必死に食らい付いて メモは常に持ち歩き 細かいとこまで神経張り巡らせ、人の何倍も動く 漠然と手作業するんじゃなく 何故そうするか理由をちゃんと理解する 数えきれないほどやることがある修行です 良いことなんかなかったけど嫌いじゃなかった そう思う時期もありましたが 今は感謝と良いことの思い出が強いです  板前になろうかな 板前に絶対なる この違いが伸びるか錆付くかの違いでもある気がします

花板の引き出し。。
日本料理の約束事のなかで毎年使う食材は同じ 調理法や当たり付けも大差ない板場もあります伝統といえば伝統ですが 年季がある経験豊富な花板ほど沢山の調理法を身につけていて 長くお付きになりたいと思っていたし 逆に毎年同じことの繰り返しは修行には付き物ですが年月がかかるわりには引き出しは増えない。 ましてや月替わりの献立なら集中して仕事をものにできますが これも引き出しは増えない 逆に小さいキャパの店で親父と二人仕事仕入れ次第で日替わりの献立 こんな経験が自分にはありますが バタ仕事ではありましたが色々やらせて貰えるし 閉塞された大箱板場より楽しいんですが 花板の引き出し次第でした 調理法と当たり付けがマンネリ化 すなわち板場をあまり歩いていない板前。そう感じてましたし。お客様も飽きてくる。その店の味ですからそれはそれで間違いではないのですが。いつも同じ割り仕事じゃ……自然と洋食チックになりつつあるそこに違和感も生意気に感じて上がりましたが 早く仕事を身に付けるという観点からは小さい店で親父ふくめて二、三人くらいの板場が理想ではないかと思います 
時間かけて引き出し増やすならきっちり月替わりの献立を立てる板場でコツコツ、ポジションを駆けあがり身体にしみ込ませる。引き出しが沢山ある親方に出会う おまえに教えることはもうないよと言われるまで精進 もちろん途中で親父に外にだされたりしますが(笑)     
一件だけ どうしてもそこで教わりたく 訪ねて行き手間はいくらでも構いません えんそ(賄い)だけでよろしいんで置いてくださいと頼んで修行させてもらいましたが 独身でしたからできました家族がいれば夜中バイトしていたでしょう 
生意気につらつら書きましたが 記事にございますように自分は何をしたいのか そこから自分に掲げる期間の中で血へど吐くまでプライド捨ててやり抜けば結果は付いてくるんじゃないでしょうか そして包丁置く晩年まで腕と包丁と魂を磨がき続ければ 何十年もやってきた仕事に誇りが持てると確信しています

近場に何人かいますよ(^-^)中年で生業を板前に百八十度かえて独立を掲げて、何年か真剣に学んで 独立してます 独立してからも貪欲に勉強して、人付き合いの中で仕事を教わりながら、立派に家族を守っている きっとそれを夢みて頑張ったから苦労も苦にかんじなかったはず。。 
自分は煮方を一番長く修行させてもらってきましたが 魚山人さんに(当たり)を見て頂きたかった 記事にあります若い衆のように(^-^)

Posted by たいら at 2010年03月27日 12:05


お疲れ様です、たいらさん。

煮方は「八分」。
二割を「想像」に委ねるアタリが身についたら不動の板前です。
これは教える事ができない性質のもので、その板前の「引き出し如何」になってしまいますねぇ。どんなに分かりやすく説明しても二割の余白の意味をツカミ、それを実現させ得る板は稀です。

しかし、たいらさんの様な板なら自ずとつかんでしまうでしょうな。


>板前になろうかな 板前に絶対なる この違いが伸びるか錆付くかの違いでもある気がします

いい事を書きますねぇ(^_^)
ブログ書くの引退したくなりますよ、おいら(笑)

Posted by 魚山人 at 2010年03月28日 00:14

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