和食の花が咲く処
日本料理の板前で良かったなぁ。
そう感じるのは日本にいるよりも海外に出た時です。
国内での板前って職は、悲惨さの度合いが強くなるばかり。
料理業界の人件費
手を広げすぎた外食はどこも危険な状態ですね。
特に明確な企業理念もなしに、成行きと勢いだけで拡大させて来た会社などは赤信号を見ている事でしょう。
悲惨なのはそんなところで働いている料理人です。
確かなポリシーもなく大きくしたので過剰投資が重い、戦略が無いので戦術もヘタクソ、なのでどうするかと言えば「人件費」に手を付ける訳です。
企業である以上、生き残りの為に人件費の削減はやむを得ません。
しかしそのやり方が最悪なのですよ。
店舗の人員を整理削減するのはいい。
パート、バイトの稼働時間をカットするのも仕方ない。
でもそれをやったら同時に店舗の席数を削減すべきなのです。
それは絶対にしない。
売上減少をおそれるからですが、分かってないですな。
お客様商売ってのは常に波があり、特に休日などは予想外の事が起きるのが当たり前。ヒマだからって油断してたらあっという間に満席になる事もあるのです。
「ヒマ慣れ」したギリギリ一杯の従業員で、その満席のお客を満足にさばけますかな。
必ずお客様に迷惑を掛けてしまう結果になりましょう。
お客はイライラ。
従業員は疲れてぶっ倒れる寸前。
なにしろ10名でなきゃ回んない店舗を5名で回してる状態なので、満席になり、待ちが並んだらもう対応が出来ないのですよ。パンクって事。
この悪循環に嵌り込んで客数が見事なまでに減少しているのです。
こうしたリストラ案は「本社」の命令なのですけども、あきれるくらい飲食店の現場が分からない様です。
最低なのはこうした立案をするのは「元料理人」で、昔は現場で働いていた管理職が多いという話ですわ。現場離れて本社に行ったらこのザマ。救いようがありませんなこれじゃ。
売上が先で、肝心のお客様を見ていないからそうなるのです。
後輩板などに、こうした会社で現場を任されている店長やら調理長が多いのですがね、皆「気が狂いそうですよ毎日」ってな感じです。
昔だったら一言、「とっと辞めちまいな!そんなクソ会社。おいらが他の店探すから」だったんですが、今はそれも難しい時代になりました。
日本に蔓延する「デフレ」は、この流れにさらに拍車をかけるでしょう。
料理人としてメシを食うのさえ難しくなる時代が来るかも知れません。
散りゆく花の名は「グルメ」
僅かな期間にしろ日本を離れて異国にいますってぇと、子供じみたホームシックになっちまいます。
「ああ帰りたい」(笑)
外国の方は日本と違い、板前って職に一応敬意を払ってくださいます。もしかしたら日本料理が生き残るのは海外かも知れないと思ったりもします。
しかし和食の精神は海外移転も可能でしょうが、「和食」そのものは移転不可能なのです。絶対に海外では無理。
和食は単なる料理ではありません。
日本の風土、遷たる四季、その四季ごとに違う顔を見せる和食材。そしてね、割烹着を着たお袋や婆ちゃんの手料理。
分かりましょうかね、和食ってのは「日本人そのもの」なんです。
おいらのブログを毎回読んで下さっている方はご存知の様に、「ワーと熱病の様に皆がいっせいに騒ぐブームとやら」を、おいらは毛嫌いしております。だってウサンクセェもの、そんなモン。
「グルメ」とやらは、料理人の地位を少しだけ向上させてくれました。その功績は素直に認めます。
でもそれだけの話です。
他に有益なものを生み出さず、逆に消えたものが多い。
「泡」みたいなもんで、自分自身も消えようとしています。
おいらはこの稼業を長く続けていますが、「グルメをやっている」と思った事はただの一度もありません。そんなものとは無縁だし、無縁でいたいと願ってきました。
昔教えて貰った仕事に沿って、つまり基本に忠実にやるだけ。
そこに自分のアイデアやアレンジを加えますが、基本は外さない。
ただそれだけの事をやっているだけです。
豪華なモンもけっこう。
ですが食は日常です。
いちいち厚化粧してもしょうがない。
すっぴんの美味さってのがあるんですよ、料理には。
咲く花と飛び立つ白い鳥
グルメって奴はしょせん「あだ花」です。
散っていこうが特別な感慨はありません。
完全に去っても、おいらの仕事とは関係がないからです。
暗い将来を示唆しているような文章で、料理人志望の方には重い内容だったかも知れませんけどね、逆に考えなきゃいけませんよ。
「皆が同じ事を考え、同じ行動を取る」のは異常なんだと、おいらは何度も書いております。
元気のない重っ苦しい世になったとて、自分がそれについていく必要はない。おいらがグルメを無視したのと同じ事です。
世に迎合せず、自分の信念通りに行けば良いのです。
信念とはね、
例えば、日本に咲く花は何故にこれほど特別に美しいか、その意味を理解する事です。
信念とは自由に羽ばたく為の、羽の役目になるのですよ。
真っ白な白衣をきりっと着たあなた方が、大空に飛び立って行くのがおいらの願いです。頑張って下さい。
美しい桜が良く似合う、真っ白な鳥。
そんな料理人であってほしい。
お疲れ様です そして無事に旅を終えた御様子でなによりです(^-^)
自分は海外に出たことないので、外からみる日本ってのはどんなものか分かりませんが きっとホームシックになって黄昏てんだろうなと(笑)
人員削減 これは去年の夏から自分らの板場にもありまして、病気で足を洗った板の変わりを入れず 2人で回す状態で今もやってます 飛び切り忙しくてもなんとかやれますので経営者は、現状で行く腹ですが 手間の見直しをしてくれたのでまだモチベーションも保てます。周りの板前にくらべれば クタクタになろうが恵まれた環境なのかもしれません カウンターと裏を行ったり来たりだと、なかなか思うようなお持て成しが出来ないと悩んでしまう事があります…
グルメや流行り廃りなんてのにかまってたら、最後は泣きをみると、ガキのころから仕事と色褪せない歌からも教えられて今にいたりますが 長くご商売をされてきて、板前としても経営者としても地に足がついている魚山人さんだからこそのお言葉に今日の記事は身に染みます
長いスパンで考えると人員削減したらキャパを押さえることが生き残る道に必要な事… 心のこもったお持て成しはパンク状態の店じゃなかなか出来ません
そこに踏み込む頭と心を持つ経営者は、数字に悩まされていればいるほど視野の狭さも手伝って、英断できないのでしょうかね
正月に助に行かせてもらった旅館は百五十位入る中型な所でしたが板場に三人 だけでした 昔なら五人は詰めているくらいの環境ですが 昔と違って花板が社長に気を使うご時世 そんな場面も垣間見て なんか寂しくなりましたね… 自分なんかはぶつかる方ですから…
久しぶりの旅館でしたが、親父さんが料亭あがりで細かい仕事が多くてよく三人でやってるなぁなんてかんじてたら、八百屋さんが作ってるんですよ 揚げ物の種やムキモノや八寸やら椀種…親父さんが細かく指示してその通りに作って持ってくる 聞いた話じゃその界隈はよくある話し 大量の野菜の仕入れがあるから、すこしの手間賃で何でも拵えてくる、既製品とは少し違っていて八百屋の板場には板前が居るっていうじゃないですか(笑) 勿論三人じゃ回せないから手が回らない分だけの注文みたいでしたが、人件費や若い板前が少ないって事もあるのでしょうけど… 自分たちの頃は寝ないで我慢してやっていたもんですが あの若い衆は3年かかる事も5年になっちまうなって感じたりもしました けど八百屋の板だろうがどこの板でもみんな頑張っている キツい生業だけど 夢みるやつもいれば家族守るためのやつ 板前しか勤まるとこがないやつ 人それぞれ思う気持ちは違うかもしれないけど お客さんの事考えて仕事してなんぼ
職人でいたいです 後ろ指さされようが…
春に二歳になる息子も今じゃ胚芽米を自分と同じくらい食べるまで成長しましたある意味食べ過ぎですが(笑) そんな息子も芋の煮っころがし、ずいき 大根 人参 糠漬け 干物 納豆 豆 葉類を好んでたべています 母ちゃんが朝早くから作る日本のおかずを板前の自分も忘れず料理の基本に据えて ブレない料理を志していきたいです(^-^)
かみさんなんかは今の日本人は昔の夜型から朝型に変化してきてる 背景には健康や景気も絡んでるし この街は朝飯旨く出す店がないから朝もやったら喜ばれるんじゃないかと言ってます(笑)朝昼晩かぁ…… キツそう(笑)
Posted by たいら at 2010年01月21日 03:23
お疲れ様です、たいらさん。
いやあ、まだ帰着しておりませんよ。
帰宅は週末かそれ以降かな。
寄り道ついでにちょっとその・・・泡盛とソーキそばを・・・
まぁ余計な話はいいでしょう(笑)
しかしあなた文章が巧くなりましたなぁ~
我知らず思わず読み込んでしまいましたよ(^^)
一本の記事ですな、こうなるともう。
ブログのコメント欄で面白いブログ記事が読めるなんて幸せですよおいらは。どうもありがとう御座います。
兎も角時代はどんどん変わっていくでしょう。
それも悪い方向に。
今後おそらく50年から100年はそうなります。
料理人って職業自体が消える可能性だってある。
でもね、時代がバカヤロウだからって自分まで馬鹿野郎になる必要はどこにもない。自分の道は自分自身で選んで進む。八百屋の方がムキモノが上手なご時勢になっても、例え板場から庖丁が消える世になっても、手前だけは板前の仕事をし続ける。死ぬまでね。そういう事です。
Posted by 魚山人 at 2010年01月21日 04:33