不器用な父
おいらの親父は長生きした方だと思います。
料理人ではありませんが、職人でした。
イナセ気取ったどうしようもない生き方してましたんで、大病もせずに天寿をまっとうできたのは頑健だったからでしょう。なにしろおいらが産まれたのは親父がかなりの年齢の時でして、恥掻きっ子って訳です。
そのせいか父と突っ込んだ会話をただの一度もした経験が無く、親父に対する想いってのは希薄でした。20代の前半くらいまでは大嫌いでしてね、10代の頃は「いつかブッ飛ばしてやる」なんて事を考えていたもんです。【お袋を困らせるロクデナシ】としか思ってなかった。
奥多摩まで山菜採りに行ったり、千葉に釣りに行ったりした時は付いて行ったこともありますが、そんな行楽の時さえ何か会話らしい会話をした記憶は皆無です。
社会人になったときに、父の生い立ちや人生をまったく何も知らない自分に驚いたもんですよ。「これでも父子なのか」と呆れましたね。
実際に親父と殴り合いになっても充分勝てる年齢になりますと、昔は鬼に見えた親父がすっかり小さく感じられてまるで背が縮んだみたいでね、とてもじゃねぇが殴れるもんじゃありません。
その頃からですな、父の事が少しずつ分かるようになったのは。
たとえば漢詩を非常な達筆で書いたりしてるのを知りませんでしたし、人命救助で何回も表彰されていたなんて事も知りませんでした。
体に大きな醜い傷跡があり、ガキの頃はそれを見て薄気味が悪く、「飲んでヤクザ者とでも喧嘩してやられたんだろう」くらいに思ってましたが、それも人助けで負った傷だった事を知ったのはおいらがもう30歳になる頃です。
不器用だったんですな。
どうしようもなく。
それはもう実の息子と、会話もまともに出来ねぇほどの、
不器用な男だったんです。
おいらはね、お袋がなんで親父を捨てないで添遂げたのか、最近は分かるんですよ。
おいら達には見えなかった親父の良い面を誰よりもよく知ってたんでしょう。
惚れてたってわけです。おいら達が何度家を捨てる様に説得しても無駄でした。
「おまえ達には分からないでしょうけど、お父さんは優しくて正義感が強い人」
なんて逆に怒られたもんです。
元来父と息子は縁が薄い関係なんでしょうが、着流し姿で縁側に腰掛けて三味線なんかを弾いてる父を思い出したりしますと、まったく知らない他人であるような気がするんですよ。
そういった父の風流な部分を受け入れなくなった下地は、幼い頃の記憶ですな。
会話は無くても躾だけは異様なほど厳しかったんです。
味噌汁のネギ一切れ、ご飯粒一つ、食べれずに残すと、食べ終わるまで何時間でも正座させられました。子供ですから食べられないモンもありますが、おかまいなしです。
今になるとその意図は理解できますが、やり方が完全に間違ってるんですな。
相手に理解する糸口を与えない躾は意味が無いばかりか有害です。
おかげで成人するまで喉を通らなくなった食品がいっぱいでした。逆効果になってたんですね。嫌いなものが増えただけ。
その他にも嫌な思い出は枚挙にいとまがありません。
そんな感じで大人になるまでの間は、父親を完全に拒否していました。
正直言いますと、晩年になって心臓が弱り、死期が近くなってもあまり動揺みたいな感情はありませんでした。
もっと言いますと、亡くなっても自分の親が死んだというショックはありませんでした。
じわりじわりと親の死を深く考え出したのは数年後からです。
おいら達はお袋には孝行してるが、親父に何か親孝行したかな?
でも思うんですよ、父親ってのは子供からの孝行を受け入れない存在じゃないのかってね。
【男は築くものを築き上げたらあとは消えていくだけ】
マッカーサーじゃありませんが、これは真実じゃないかなって思います。
寂しい話ですが、男は元々寂しい生き物なんですよ。
眼を閉じると親父が商売道具を真剣な顔で手入れしてる姿が浮かびます。
その時のおいらの気持ちを表現する適当な言葉を知りません。
初めまして。56歳の男です。現在はアメリカ カルフォルニア州に住んでおります。こちらに移住してから まだ1年ほどですが アメリカに来てから貴方のブログを読ませていただいております。私の父も亡くなってから10数年になりますが、貴方が 貴方の亡くなられた父親の事について思いをはせた言葉を何故か他人ごとのようには感じられず、思わず書き込みをしてしまいました。
私には子供がおりません。 私の死後に 私の事に思いをはせてくれる人間がいない事に少し寂しさを感じます。
これからも貴方の書かれる言葉を楽しむに読ませていただきます。
Posted by 田中 at 2008年02月23日 15:57
はじめまして田中さん。書き込みをありがとう存じます。
カルフォルニアですか、1年ですとかなり落ち着かれましたでしょうか。慣れるまで色々気苦労なされました事でしょう。新天地で第二の人生を楽しく過ごされますようにお祈りいたします。
亡父の事を語るのは、非常に難しいものですね。
ドライにもウェットにもなれないですし、考えてることを言葉にするのがこれほど困難な話もあまり無いのではなかろうかと思います。
子供ですけども、おいらもどうしょうもなく欲しいと思ってるんですが、恵まれません。想いを他に向ける以外ない状況です。
しかし人生模様は十人十色。
自分の人生を黙って受け入れるのもまた由。
そう考えております。
Posted by 魚山人 at 2008年02月23日 22:04