逃げる場所はない
もう10年以上前の話ですが知人がオーストラリアに移住しました。その方はさる一流の大企業を定年まで勤め上げた立派な人です。キャリァからして定年後も勤め先に困る事はなかったでしょうが、こんな事を仰っておりました「僕は仕事柄何度も高級官僚の天下りをサポートしたことがある。内心忸怩たる思いだったし、今でも割り切れない想いがあるんです。せめて定年後はそうした事と無縁でいたい」
なるほどなぁ、そう思いました。
しかし移住の動機は他のところにあった様です。
「この国の将来はあまりに暗すぎます。国民すべてがそうなるでしょうが、特に老人の暮らしは非常に難儀な事になって行くのは間違いありません。今現在バブル崩壊の後遺症に苦しむ状況ですが、10年後には日本の経済に崩壊の予兆が訪れ、20年後には国家財政は完全に破綻している可能性が濃厚です。国自体が倒産するんですよ。僕は余生を静かに送りたいと望んでいますが、それは無理だと判断しました」
その当時の話の内容ですが、驚きですな。金融危機が起きる時期をほぼ正確に予測なさっている。それにこの時点で『75歳以上は・・』のドライな政策傾向も見抜いている。長い海外勤めで視点が大きくなっていた、それだけではここまでの観点は身に付かないと思います。
今でもその老紳士からは抜ける空と青い海の画像つき年賀状を頂いておりますけども、末尾は必ず「遊びにいらっしゃい」か、「あなたもこちらに移住しなさい」で結ばれております。南国好きのおいらには心揺さぶられる語句です。
しかしね、おいらは思うんですよ。
「逃げる場所はどこにもねぇんじゃないか」ってね。
歴史が教えてくれてると感じるんです。
世界中何処に居ても同じ確率でどんな事でも起こり得るです。
例えばね、第二次大戦が終ったと同時にソ連が北海道に侵攻する可能性は非常に高かった。日本が南北に分断されていたかも知れない訳で、そうならなかったのはけして必然ではないんです。そうなっていたら多分関東以北は今の北朝鮮の様な狂った国家になっていたでしょう。
歴史に「もし」はありません。
でもね、
どんな事でも起きる可能性があるんだってのは動かせない。
不幸と幸運、危険と安全ってのはね、
確率の問題でしかなく、場所の問題ではないんですよ。
つまり何処に居ても同じなんです。
幸せになる人はなるし、不幸になる人はどんな場所にいてもなる。
それを踏まえたうえでのリスク回避なら有りでしょう。
地震や噴火が起きる場所からネズミ等の動物は逃げ出す。それと似た様なモンで、危険地帯にいるより安全地帯の方が確実にリスクを回避して不幸になる確率が減るって事ですね。
少しは話は飛びますけども、
近年目覚しく進化が著しい分野がガン治療。
優秀な医者でも半年勉強しないとついて行けないほどらしい。そうした厳しさを反映しているのか、日本にも腕の良い専門医が増えております。まことに心強い話で結構なことです。
ところが治療のインフラが重厚になっております反面、見落とされている事があるんじゃないか。それはガン患者の激増ぶりですよ。今じゃ何十人に一人はガンになるほど。
癌のメカニズムに関しては研究が進んでいる。だけど「人は何でガンになり、なんでガン患者は増加してるか」についてははっきりした説明が無い。
医者は怒るに決まってますがね、おいらはこの世からタバコが消えても肺ガンの患者は減少しないと睨んでおります。 女性の乳がんも増加傾向を維持するでしょうし、男性の前立腺腺癌も増加を続けるに違いありません。
何故かと言いますと、ガンの増加はアトピーやら喘息などアレルギー症の増加とも関連してると思うからです。
もしかしたら機械・情報の文明進化とシンクロしてるんじゃないか。
複合的な因子によるもので、過度の都市集中やら情報化によるストレスなどもあるでしょうが、やはり直接的で最大の原因は「食の飼料化」ではないですかな。大衆食の高度文明化、進化ってやつ。
さっさと言えば、大量生産・大量消費の事で、要するに人間の家畜化で国の牧場化。
畜産や養殖ではエサの加工度合いが高すぎると、必ず動物に異常が発生します。曲がったハマチ、狂牛病、間接的には鳥インフル、豚インフル。それに大都市の通勤電車を想わせる「密飼い」でも病気が多発すのは業者にとって常識。
同じ動物なのに、人間だけが例外だと考えるのは妙です。
ここで話は戻り、結局逃げられないって現実に直面しましょう。
どうも現代の食には確かに問題がありそうです。
しかしじゃあ何を食えばいいんでしょうか。
過密の都会から田舎に帰っても仕事が無い、あっても安月給に耐えられない。農薬野菜が嫌でも畠作業は出来るわけない。都市の汚染が嫌だから何処かに引っ越すっても南極や北極の動物から環境ホルモンが出るんじゃどうにもならない。
せめて食には気をつける様にしよう。
ところが、
食材や栄養に関して造詣が深く、ご自分でも長く健康食を実践されていた方がガンで亡くなるケースがかなり多いのですよ。直接的にも幾人か知っております。長寿を誇っているのはね、「粗食で育ち、美食・飽食を知らない世代」だけなんですよ。
我々は檻に閉じ込められて出る事は出来ないんです。
見渡せばコンクリートの箱。
空は地に迫って低く重苦しい。
抜ける空と青い海など何処にも無い。
『檻』と形容するしかない街。
でもね、ここで生まれて育った。
おそらくはここで死んでいくでしょう。
出て行く場所はないし、逃れる場所も無い。
呼吸もできないアスファルトのタールに立ち昇る陽炎、そいつに目眩を感じても、ここを歩くしかない。
どこか良いところに逃れたところでね、
そこは『檻』の外ではないと思うからですよ。
今の日本で海外移住の方、また希望されている方々はどのくらい居るんだろう?
日本の年金で充分やっていけるだの、空気はきれいだし、水もきれい、おまけに物価は安いだの、金利は日本よりはいいだのと、いいことずくめで移住していく人、移住していった人たち。
だが、アッシはちょっと待って・・・と言いたい。
元気なうちはそれもいいでしょうが、人間はみな年老い、患い、死んでいく。
日本の親戚や身内に不幸があった場合、その都度葬式だの法要だのに来れますか? また日本の親戚は海外へその都度行けますか?
若いうち、元気なうちは、油っこい食事も平気でしょうが、年老いて、老いさばらえて、食欲がだんだんとなくなっていく身に毎日ステーキだのが食べられますか?
ガキの頃食べたブリ大根やイカと大根の煮付けや、冷や奴が食べたくなっても食べられないでしょう。 今は海外でも日本食は食べられます・・・と言う人があるかもしれませんが、実際現地で見たことがありますか? あんなもの日本食ではありません。
生まれた土地(国)を捨てて、海外へ行った人たちをとくと見てごらんなさい。 ブラジル、ペルーなど南米はもとより新天地を求めて出て行った人たちのうちちゃんと生活しているのはほんの一握り。 今やその子孫(3世など)がどんどん日本へ出稼ぎに来ている。 昔、満州へ渡った人たちのことを考えて見てください。
この国に生まれ育ったのなら、この国を愛し、この国の土となる方をアッシは選びます。
昔、ニューヨークに住んでいた頃、金髪の女がいい・・などとうそぶき、金髪の女と結婚した同僚がおりますが、今となっては来るメールごとに日本に帰りたいばかり。 生まれた子供は日本語は全く出来ず、妻は日本なんか行きたくない、など愚痴のメールです。
戦後、米国へ渡った戦争花嫁たちの老後をロスで見たことがあります。 米国には渡ったけれど相手には妻がおり捨てられた花嫁たち。 その多くは米国の西海岸へ移ってきていた。 なぜだ? と聞いたら、「ジャパンに近いから」と言ったのには閉口しましたね。 そして彼女たちのどの部屋にも富士山の絵葉書が飾ってあったのも印象的でした。
年を経れば経るほど、生まれ故郷(国)が恋しくなるのでは?
気づいてからでは帰って来れないでしょう。
Posted by 飛車角 at 2009年06月10日 22:16
「逃げる場所はどこにもねぇんじゃないか」
確かにそうですよね。我々はどこにも逃げ場がない,かといって総悲観したくはないというのも私の本音でもあります。
数年前までは,日本という国家はこのままでは借金でいますぐにでも潰れるやら,日本人の貯蓄率は諸外国に比べて異常であり,これからは貯蓄から投資の時代だと盛んにメディアに喧伝されてきましたが(このような日本異質論は80年代の貿易摩擦がピークに達した後で出て来ました。それはかつて日露戦争後の黄禍論にも似てると思われます)が,昨今この金融危機でまっさきに潰れたのは,いち早く外資導入で金融国家にシフトしたアイスランドでした。(いまにもつぶれそうな日本の円は相対的に高い)
日本の借金(国債)は膨大なんですが,バランスシートで考えれば同時に資産もあります。
さらには国債が国内で消化されているならば,落語で有名な花見酒の循環理論でもあります。
また,金銭的には評価されなくても無形の資産(それはかつての日本人の特質としての我慢強さとか繊細さとか礼儀正しさとか)もあります。
まぁ無形資産が今どこまで現存してるかについては多いに異論の余地もあるでしょうけれども。
あと,官僚もマスメディアからすれば,恰好の餌食になってますが,実際の若い官僚なんて時給で言えばファーストフードのバイト並みのもんです。国会が空転すれば廊下で寝そべって
再会待ち。おまけにわけのわからん族議員が横やりを入れてくる。
しかも高度成長期のような天下りはもはや無理。
汚い官舎(場所は一等地ですが)と安い給料,マスコミに叩かれるにたびに下がるモチベ。
でも反論は個人として出来ない。
そういうわけでアメリカ留学後にやる気を失って高給外資系金融機関に転職した者もいいます(もちろん税金で留学してるので辞職の際にはきっちりクンロクされますが…)
が,辞めないで歯を食いしばっているものもいます。
(私の同級生に官僚が多いので,自分自身の評価として霞ヶ関に甘いのは承知してます。ただ,旧大蔵省のノーパンしゃぶしゃぶ事件後,メディアは総バッシングだったけれどもその後日本の金融と財政がどうなったかを考えていただければ,と思います)
台所に立ち包丁を握る老若男女のための役立つブログである貴ブログの「場」や「雰囲気」に反するコメントであることは重々承知で失礼を詫びながらも,少し違った考え方や価値観もあるんだということも知っていただければ,と。
Posted by 愛読者 at 2009年06月11日 00:19
飛車角さん。
そのようなリスク面は全て承知し、万全の準備をしたうえで移住する方も多いと思いますよ。そんな人達は「逃げ出す」意識はなく、むしろ「挑戦」の気持ちが強いと思うし、「逃げ出してる」という見方をする気にはなりません。要は「覚悟」の問題でしょうし、それが強くしっかりしてる人も結構いると思います。
行きたい人はどんどん行けばいいし、それは悪い事ではない、ただし「覚悟」が前提でしょうな。
愛読者さん。
確かに去年まではブログの「場」や「雰囲気」を意識していました。
HPを立て、記事を整理し、相互リンクを解消したのはそうした事から縁を切る為でもあります。「何も気にせず思ったことを好きなときに好きな様に書いていく」そこに戻りたかったからだと思います。
日本の社会はいまだに残る日本人の特性「外向きには堅牢だが内弁慶」が多分に影響しているからか、底辺層が見え難い様になっています。恥を何より恐れる気質が生きているから負の部分を必要以上に隠すところがあるんですよ。
社会的弱者層の現実を認識せずに日本国を論ずるのは空論に過ぎないと思います。目を背けても経済が逼迫すれば、あるいは格差がこの先も広がれば、否応無くこの層は拡大するに違いありませんしね。
「自助努力が足りないから」と切って捨てれる様な問題ではなく、この先老人大国になる過程で他人事ではない深刻な問題だと認識すべきだと思えます。おそらく8割に近い国民がいつどんなきっかけでこの層に落ちるか分からない、そのような薄氷の暮らしをしてるのが現実ではないでしょうか。
官僚ですが、確かにキャリア組だけでなく国の中枢で働く人は意識が高いもので、激務をも厭わぬ立派な方も多いですね。
しかし公務員は国家公務員一種を持つ人だけではなく、地方も含め厖大でして、その中で「意識」が生きているのは果たして幾パーセントでしょうか? それに「超」高級組の天下りはいまだに誰にも邪魔されることもなく堂々と行われていまして、自民党でもそれを止められません。
いちいち反論する様で申し訳ないのですが、ノーパンしゃぶしゃぶ事件後のバッシングがあろうとなかろうと、角栄以降の国の流れからして財政はいずれ破綻に向かっていたでしょうし、米国と深くリンクしている以上金融もその影響をもろに被るのはある意味当然だと思います。
自分が今居る場所で努力を続け、人生と戦う。そんな人間が増えて欲しいし、その人達を支えるのが公務員の仕事だという気がします。
Posted by 魚山人 at 2009年06月11日 06:48
若い頃は飛び出したくて仕方なかったですね
実際飛び出したり今でも思ったりしますが。
しかし年をとると(30代ですが…)そうフラフラしてんのもな。とも思います。
一人ならなんとでもなりますが、嫁を食わせていかなきゃなりませんから。
結局今までの自分を大きくしてくれたこの社会に少しでもお返しをしたいなとか思い
結局狭い場所にしがみついて、
20代を使い捨てにならないように説教して
嫌がられてるんです
Posted by なお at 2009年06月11日 21:27
こんばんは、なおさん。
おいらはいまだにフラフラしてます(笑)
それに若い衆にはいやがられてますよ、「うるせぇし変な親父」って(^^)
世の中ってなぁそんなもんですよ(~_~)
Posted by 魚山人 at 2009年06月11日 22:11