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板前の気取りと驕り

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どの道を選ぶか

板前としては名人の域だったんでしょうな。
閉鎖に追い込まれた某高級料亭のご主人ですよ。

「使いまわし」の恐ろしさはね、{それをやってしまうのは非常に簡単であり、いつでもやろうと思えば気軽にやれる}ってところなんですよ。

理屈付けだって{節約・倹約精神・物を大事に}って具合で簡単につけられる。ですから業界のショックは大きい訳です。

簡単だからっても絶対にやってはいけないのが飲食業の掟ですからね。「ありえなない」し、モラル崩壊はここまで来てるって薄ら寒いモンが背を凍らせる。

「自分は他者とは違う」、こう思い込む方々ってのはどんな業界でも必ずいるもんで、珍しい事ではありません。むしろそれが無いと抜きん出る事はできんでしょう。必須の資質なのかも知れません。

日本料理の世界はそれがことのほか顕著だと言えます。歴史を辿れば当然かもしれません。たえず宮中との繋がりのなかで進化してきた料理ですので。市井との差をつけようとする傾向は筋金入りって訳です。

今だって変わりはしません。様々な派閥から各種団体が生じ、それぞれに特色を競っておりますけれども、結局は「宮中」派が最高権威って事になりますので、露骨な権威主義はなくなりません。

ですから日本料理の板前は「繋がり」をやたら強調することになります。「そこ」により近い方が権威があるって考えが抜けない。

よくよく考えればとても恥ずかしい思考回路なんですが、業界で育つとその恥ずかしい感覚は無くなります。

ごく自然に***との関係をアピールしたがります。「寄らば大樹の・・・・」って言動を恥じなくなるし、堂々としたもんです。

「父は名誉勲章を受勲した大人である」
「夫は大資産家で権力者」
そんな感じで自分までもが偉人だと錯覚して驕る二世のボンや奥様と変わりはありませんな。

連れ合いや親が偉人であろうが当人は凡人ですよ。王様やお殿様は事情からしてまた別なんでしょうがね。

職人の政治ごっこにゃウンザリします。

職人として名人の段階まで達すると跡取りが問題になるのが世の常。ほとんど例外なくうまくいきません様です。

自分の腕を子に伝承させる気持ちは分かりますが、職人としての腕が達者でも「教育者」としてまでは一流ではない事に気が付かない方がやたら多いですね。

「観察者」としての冷静さと「親の贔屓目」に線を引けないわけです。

だいたいは一度他所に修行に出しますが、さすがに道を極めたプロですので、一目で才能の有無は判断できますが、親としてのバイアスは抜けない。結果的に過剰なプレッシャーで当人を苦しめる事になる。

腕前が一流である事と、「何か」に繋がってる事は本来は別物ってのは、一代で名をあげたその当人が一番ご存知のはずなんですが、そこを失念する。

しかし和食の世界もそんな御仁ばかりではありません。
名著『味覚法楽』を書いた伝説の板前【魚谷常吉】を始め、大樹によらない名人は枚挙にいとまがありません。

小坂禎男先生もそうだし、最近では道場先生がそれに近いのではないでしょうか。マスコミ頻出以後の事情はよく分かりませんのではっきり言えませんが、それ以前は確実に市井の名人でした。

プライドも確かに必要なのかも知れません。しかしそれは何処からか「もらうモン」ではなく、自分の修行と成果で身につけるモンだと思います。

気取りと驕りは修行の邪魔にしかなりません。板前は料理人、偉ぶってみたところで何も変わりゃしませんよ。

晩節を汚さず、職人としての生涯を全うした名人達にこそ学ぶべきでしょう。

料理人として、単に料理が上手いというだけに留まらず、歳相応の大人としての貴殿のHPの愛読者の一人です。

権威に寄り添いたがり、息子に期待し権威を継続させたがる料理人のお話は、他でも同様です。

裸一貫で企業を起こし、成功した経営者は立派です。失敗した人を数えられませんが、恐らく数百人に一人の成功者でしょう。
でも、成功者の息子は必ずしも優秀ではなく、その子供の99.9%は「普通の人」です。
その普通の息子に自分の成功を重ね、期待すること自体が矛盾しています。
何百人の部下、他の企業の社員を見てきて自分の息子の素質が分からない筈が無い。分かりたくないだけ。
二代目が会社を潰すのは自然のことです。
まれに、何百社に一社が二代目で更に会社を発展させます。でも、例外。
大会社(大経営者)で、このことに気付き息子に継がせなかった(排除した)のはたった二人。ソニーとホンダだけですね。歴史に残る経営者として本も書かれ、その偉大さに誰も疑問をもちません。
キャノンはたまたま親戚だっただけ、松下も二代目に危機があった。出光も先代の後光が抜けず道に迷っている。
何とかトヨタの通った道をなぞろうとしている。

成功者の息子は、庶民と違うのは「経済的な余裕」であり、それこそが人生のアドバンテイジだから、本当に好きな道(自分を活かせる道)を歩むべきです。金の無い奴より成功する可能性は高いはず。

でも、そうならないのは、誰もが権威に寄り添いたいからでしょう。悲しい性かも。

定年退職した管理職が再就職斡旋会社の世話になり、「貴方の特技・専門はなんですか?」と聞かれて「私は部長が出来ます」と真顔で答える人が少なくない。名刺のタイトルがなくなると自分でも自分が分からなくなる大人が少なくないのです。

小生は外資に勤めておりました。欧米人は猛烈に働き(競争し)、できるだけ早く(金をためて)リタイアして、趣味や友人と老後を楽しむことを人生の目的としています。60近くになってなぜ再就職したがるのか不思議がります。そんな影響か私も私の友人も外資出身が多いです。

生れた時は裸、死ぬ時は一人なんて言いますが、分かっているのかな??

取り留めのない事を書きました。
今後も貴HPを楽しみにしております。

Posted by 包丁前 at 2008年05月31日 10:08

包丁前さん、どうもありがとうございました。
いちいち納得のいくご意見をよせて下さいました。

仰る通りですが、日本における最大の二世問題は「政治家」につきるであろうと思われます。あまりにも異常だと思うのは自分だけでしょうか。
Posted by 魚山人 at 2008年05月31日 23:58

結局はお客様を忘れたということでしょうか。
もし自分(てめえと言いたいところですが)が
誰かが箸を付けたかもしれんモンを食わされたら
どう思うんだよと言いたいですな。
だれのために仕事をしてるんだかという事を
認識してない奴があまりに多すぎる気がします。
素人目にも
あまりに心がこもってないなと思います。

Posted by ヘボシグペン at 2008年05月31日 20:16

ヘボシグペンさん、こんばんは。

今の世で一際表面化しているのは「おもいやりのなさ」です。
この傾向にどこかで歯止めがかかる事を祈るだけです。
Posted by 魚山人 at 2008年05月31日 23:59

魚山人さん、お久し振りです。

実は、吉兆の使いまわし問題が発覚する1週間ほどまえ、名古屋の吉兆に行きました。
お料理は、私の感覚では、無難に美味しいという感じでしたが、おなかがいっぱいになって、どうしても食べたくないお料理もありました。
最後のご飯の時、胡麻クリームにあえた鯛のお刺身が出て、お茶漬けにするのですが、1切れは食べましたが、何か、ぐにっとした感じ。普通は美味しく感じる、いい鯛なのですが、何か食べられない。
違和感のようなものがありました。
本当にお客を大事にしてくれるお店に行けば、おなかいっぱいでも、どんどん入っていくように感じます。
お客も「感覚」で食べるので・・・

名古屋の吉兆は、京都吉兆でしたし、関係ないのかもしれないし、私の後付けの「感覚」なのかもしれませんが。

作るものに作り手の「気持ち」が入るのは当然ですし、それをおなかに入れるのですから、どんな気持ちで作ったかは、何となく分かるような気がします。

感覚的な話で、支離滅裂になってしまいましたm–m
Posted by 蝶々 at 2008年06月01日 04:10

お久しぶりです蝶々さん(^_^)

以前もこのブログに書いたんですけど、同じ系列のチェーン店同士も、FCやグループ関係でも、料理店ってのは同じ味になりません。 つまり本支店同士でさえも「別の店」です。料理は結局人間が作るモンで人間は個性の生き物だからです。

もし同じ味にできるのなら料理人は不要だとも言えますね。大企業のFASTやらはその道を目指し、それにほぼ成功してるから料理人を使う必要が無い訳です。最近は和食関係、例えば回転寿司などもこの傾向が目立つようになりました。板前を使ってないですね。非常に合理的で企業理念もすごく分かります。おそらく成長は続くでしょう。
しかし最近のマック裁判などをご存知でしょうか?人間を育てる気持ちを無くした企業はいつか内部から崩壊していくとおいらは思っています。
金儲けしか眼中になければ人を使わず皆ロボットにすりゃいい。

船場の醜聞も、人を育てるよりこの理屈が全面に出たって事なんです。
Posted by 魚山人 at 2008年06月01日 08:34

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